飼い始めた頃、アビシニアンのアビは、私が、ヒンディーフイルムミュージックを鳴らして、踊るやいなや、カプ、と足先を噛みに来ていた。
「か、か〜ちゃん、た、頼む、やめておくんなせい」
という、メッセージだということは、嫌でも理解せざるを得なかった。
アビにしてみれば、音楽はうるさい、か〜ちゃんは、いつものか〜ちゃんでなく、別ものになって、ドタバタ暴れている、という状況は、耐え難かったのだろう。
しかし、ああ、歳月の力よ。
今では、ジュヒーにしろ、インド映画のダンスシーンミュージックが、大音響で鳴るなかで、お腹を上にして、気持ち良さそうに、寝ているようになった。
「このての音が、鳴ってるってことは、か〜ちゃまが、取り敢えず、健やかでいれてる証拠。だから、安心。ご飯も、おトイレも、大丈夫」
と、まるで、悟っているみたい。
この頃のジュヒーは、居間のテーブルの椅子に腰掛けている私の傍に来て、後脚で立ち上がり、前脚を私の腿に乗せ、「にゃおん」と、鳴く。
「どうしたの、ジュヒちゃん」
と、立ち上がった私を、振り向きながら誘導する。
そして、ソファーの背凭れの端っこにジャンプして、香箱座りをする。
「ジュッちゃん、ブラッシング?」
と尋ねると、
「にゃおん」て、また言う。
ちょっとブラッシングすると、反対側の端っこまで歩み、其処にいる、夫におでこをくっつける。
「ジュッちゃん、ジュッちゃんのお父さんは?」
と、問うと、夫のほうを、じっと見る。
俳優の萩原流行さんが、自分と妻が離婚しなかったのは、猫のおかげだと、以前猫雑誌で語っていらしたけれど、本当に、猫の力は、計り知れないと思う。
猫らは只、自分らにとって、ストレスレスな状況を維持しようと、試みているだけかもしれないけれど、ああ、彼らの思う壺な日々であることよ。
そして、今宵も、猫らは、意図していようとなかろうと、真綿の如くに、人の痛みを吸い尽くしていたりするのだ。