「うわ〜っ、胃が焼け野原だわ〜、真っ黒に焼け焦げてる、ほらな、ほらな、こらあ、急性胃粘膜病変だわ。」
入院の際、テンションの高い当直の内科医は、胃カメラのライブ映像を見せながら、声を弾ませた。
年末恒例、ああ情けなや、一年分のヘタレ精神生活の大集成として、私の胃は、尋常でない痛みとともに、赤黒い血液粘膜のようなものを、次々と、喉元口腔まで、送ってよこしていたのだった。
ストレスで傷ついた胃を護ろうとして、胃の壁の層が、ますます傷を深めながらも、その層を厚くしていくため、仰向けでいると、丁度五ヶ月目の胎児が、胃袋に収まっているかのように重いのだった。嘔吐をともなう、胃の激痛は、とどまるところを知らず、挙げ句の果て、内科の病棟ベッドの上で、点滴に繋がれたまま、除夜の鐘を聞いたことは、一度や二度ではない。
その年の終わりの頃の真昼も、私は、胃の壁剣山総攻撃といった趣きの痛みに、うんうん唸り声をあげながら、寝室のベッドにいた。
またしても入院となれば、家族に迷惑をかけてしまうので、なんとしても、年末年始絶食点滴ライフ イン病棟は、避けたかったのだが、呼吸の度に、段々と、胃袋が切り裂かれるような感覚も混じり、痛みは増すばかりだった。
見かねた夫が、背中を摩ってくれていたのだが、ふと、その手の動きが止まり、背中から離れていった。
それから、背中の後ろで、妙に静かな時間が流れている気配を感じ、私は、なんとか、身体を捻り、夫の方を振り返った。
彼は、仰向けになり、両の手で空を仰ぎ、何やら、うっとりと、視線を泳がせている。
「なにか、見えて、るの?」
痛みのさなか、やっとこさ、訊いた私だったが、夫が何か、常ならぬものを見ているのだな、という確信はあった。
「埃に混じって、小さい光の粒が、次々目の前まで来て、消えてる。50個くらい見た。」
「え?・・・」
私は、痛みを堪えつつ、夫の方へ頭を近づけ、彼の視線の先をなぞった。
天窓のからの光のなか、埃の糸屑達のなかに、極々ちいちゃな、真っ白い光の粒が、ほわほわ、何処からともなく遊びたゆたい、私の鼻先まで舞い降りてきては、ふうっと、消える。
昼の明るさのさなかにあっても、その小さい光の泡玉は、はっきりと、光明を放っていた。
「こ、これって、わらしちゃんレスキュー隊、だよね。」
私が目に出来たのは、お終いの8個。
夫と、暫く天窓から射す光の帯のなかに、微かな光粒の手掛かりを求めていたが、漂い降りてくるのは、後はもう、糸屑の細い線だけだった。
胃の病は、少しづつ、少しづつ、和らいでいった。
その年末年始、私は、お家で、年越し蕎麦をいただき、筑前煮や、お雑煮、お汁粉などを作り、家族とともに、自宅で過ごすことが出来た。
私には、その光の正体が何なのか、本当のところは、わからない。
多分、はっきりとわからなくても、いいことなのだろう。
けれど、この世ならぬものに、図らずも助けられて、何とか生きているフシがあるのは、確かだし、なにやら幸せな気分なのだった。
あの宿に泊まってから、ちょっと不思議で、心癒される出来事が、増えている。