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ふみちゃこ部屋



本当にあった、概ね怖くない話・・・私が感じた座敷童子ちゃん

岩手の金田一温泉郷にある、その宿を訪ねると、一家で、魂が、凍み溶けた(方言かもしれません。凍りついて硬くなっていたものが、ふにゃっと、原形を失うほどに、柔くほぐれたり、な状況、症状をさす言葉)ようになり、箸が転んでも転ばなくても、ついでに、自分が、ちょっとした段差に躓いて転んでも転ばなくても、只へらへらと、生きていること自体が、非常にめでたい気持ちになってしまうので、時々、宿泊していました。

四年ほど前の春の、二泊目の夜のことです。

その宿の齎す効果により、ゆるゆるか〜さんになっていた私は、歯を磨いた後に、二男が寝床でポッキーをぽりぽり食すことにも、寛容な態度を貫く始末でした。そのうち、一家は、なし崩し的に、それぞれ、眠りの国へと降りていったものと思われます。

夜半過ぎ、というより、むしろ、朝方だったような気がします。
二男の布団の枕元のあたりから、ポッキーの内袋を、カシャカシャ探る音で、私は、目を覚ましました。
絶え間なく、小ちゃな指がたてているような、可愛いその音は、いつ迄も、止まないのです。
私は、遂に、その音の方へ、声をかけてしまいました。
「座敷童子ちゃんでしょう?」
そしたら、ポッキー内袋かしゃかしゃサウンドは、ピタリ、止まってしまったんです。
嬉しい半面、紛れもなく、座敷童子ちゃんが、今、この部屋に来ているのだと思うと、正直、背中じゅう、シャーシャーと冷たい感覚が上下しました。
いっときの静寂が、この先の展開への、期待と不安を盛りあげてくれています。
すう〜、と、その気配は、ポッキー地点を起に、私の左肩から、頚、右肩の順にたゆたい流れ(その瞬間恐怖心はMAX、『うりゃ〜、話しかけなきゃよかったあああああ〜っ、おっ、おっかねええええええ〜っ』と、心のなかで叫びまくっていました)
次の瞬間です。
お腹に、確かな重みのある何かが、乗っかったと感じるコンマ一秒前から、めちゃくちゃに暴れてくれました。我ながら、おかしな表現だと思いますが、肉体を持った人間の持つ、移動や、次の行動への間合いが、ないのです。
からだ全体が、ぐらぐらに揺り動かされている感覚が、少しの間続き、ややあって、その不思議なそれは、ふわりと空中に浮かんだようでした。でも、小ちゃな手が、私の左右の手を、空中から持ち上げているようなんです。
感覚としては、もう自分の手は、45度以上に、引っ張られ、持ち上げられているみたい。

その後、私の両手は、可愛い手の感触から解放され、それは、すー、っと、部屋の天井の方へ登っていきました。
「わらしちゃん、大好きだあああああああ〜っ」
と、叫んでいた私ですが、その姿を、はっきり見ることは、出来ませんでした。

私は、かなり重症な、水捌けの悪い、浮腫みか〜さんで、朝起きがけや、時には夕方まで、手の指を自由に曲げられない日が殆どなのですが、座敷童子ちゃんだと思われる(思いたい)、不思議な何かに、手指を掴まれた後、一ヶ月の間は、浮腫み知らずな日々が続きました。

宿から戻ってほどなくして、長男から、部活絡みでの、嬉しいニュースが届いたりもしました。
もう、こうなると、偶然であれ、何であれ、《わらしちゃん、ありがとうモード》の内側でしか生きられない体質に(?)なります。

もし、座敷童子ちゃんがいるとして(や、本当は、いる、と確信しているのですが)、その子らは、幼くしてみまかった、此の世のこちら側にいる者の勝手な基準からすれば、或る意味、可哀相な魂だとも思うのですが、そんな小さな魂たちが、イタズラ心満載で、何かいい気を送ってくれている、というのは、私にとって、やたらと愛おしい事なのです。
by chaiyachaiya | 2013-01-04 22:56 | 座敷童子さん
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