塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア、或いは優雅なる冷酷」って、タイトルだけでも、くらくらっと陶酔感を覚えた記憶があります。
読後に、行ったことのないフィレンツェの、訪ねた覚えのない華麗なる館の一室で、窓からの光りを受けて、チェーザレさんの口髭の先が、虹色に輝いているのを、多分侍女かなにかであろう私が、傍からぼんやり見ていました。もう二十五年もムカシに見た夢の話、ですけれど。
せっかくの夢なんだし、私ももちっと若かったのだから、美しい妹ルクレテイアになって、お姫さまダンスに興じている場面でも良かったのになあ。
窓辺に立つ、動きのない地味な状態のチェーザレさんに、益々もやっとした召使いな私、という、ドラマ性のかけらもない夢なのでした。ああ。
すべての夢は、魂の自己治癒、癒しなのです、と書物に記されてあったりしますが、地味チェーザレと、もやっと侍女のふたりは、無意識の世界の、何の象徴で、私の魂のどの部位を、お直ししてくれたんでしょうか。ちなみに、チェーザレさんの上半身の装束は、緑と金色。手間の掛かった絹の膨れ織で、間近で見たのですが、それこそ優雅でした。
唐突に、「へータレ・コイジア、或いは優雅なる怠慢」であります・・・。
へータレさんは、日々ヘタレとしてのスキルアップに邁進し、そのヘタレ魂のステージは上昇気流に乗りまくってるったらありゃしない。
生まれ落ちた時分から、恒常的にヘタレ状態だから、ヘタレていない時の人生の遣り過ごし方がわかりません。
このへータレさん、自分が置き物になって、古い角部屋に捨て置かれていたり、ひなびた博物館(?)に、巨大なスタチューとして、安置されている夢を見ます。
折にふれ、くったりと動きが止まったきり、微動だにしなくなるへータレさんの特性、優雅なる怠慢、を象徴してもいるようです。
いかん。いかん。へータレさん。
のろのろ、よろよろ、へなへなと、立ちあがりましょう。