人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ふみちゃこ部屋



鵙屋春琴の踵とサーカスの獣

海を越えて、有名なサーカス団が、やって来ていた。

少なくとも、当時日本国土をまわっていた、インド大魔術団でないことは確かだ。
ボリショイ大サーカスだった気がするのだが、中学生になったばかりの私は、リネン風の、いわゆるケミカル素材ノースリーブのワンピースに、踵部分にリネン風の縄を巻いた、バックベルトのサンダルを穿いて、真昼の太陽の下、公演会場の体育館を目指した。
生成り麻素材に憧れてはいたが、現実には、手の届く値段の、麻擬きの化学製品である服や靴や鞄を、結構満ち足りた気分で大事に用いていたのだった。

その頃、父の本棚から、谷崎潤一郎を抜き出し、「春琴抄」を読んだのが、いけなかったらしい。
鵙屋春琴の踵は、その頬と同じくらい、柔らかい、という一行により、
「あ、私の踵は、頬っぺたよか、硬い」
と気づかされた私は、薬店で、ニチバンスピール絆、という、イボやウオノメを、柔らかくして除去するシールを買い求め、土踏まず以外の両の足裏に、隙間なく貼っていた。

洗濯機の黴取りに際しても、薬を投入し8時間放置と説明書きあらば、洗濯機を痛めることになる可能性がありますので、という注意書きを目にしつつ、24時間は放っておく習いの私は、説明書で読んだリミットの2、5倍の時間、さしてトラブルのない足裏を、ウオノメ取りで覆っていたのだ。

一週間を過ぎた頃から、足裏からは、違和感と痛みのあわいに、泡が浮かんでくるような、奇妙な感覚が、ふつり、ちくり、とあがってきていた。
耐えきれず、その医薬品シールを剥がした時の私の足裏の様子は、下に記す通りである。

「エンブリヨ」という映画のラストに、バーバラ カレラ演ずるヒロイン(?)が、車のハンドルを握り、自分の急激な老化を、唯一抑止出来る、生きた妊婦さんの胎盤をぶんどるために、病院へ向かいながら、しかし間に合わず、次々と、脱皮するように滅びに向かうシーンの、あの、これでもかと浮きあがり剥けてくる水母に似た質感。ううう。

ぴくたら、ぴくたら、夏なのに、足裏の事情から、厚いストッキングを穿き、痛む部分への衝撃を最小限に抑える歩みで、サーカス会場に到着した私は、ラストまで、ロシアの男女や獣の演技を、安心して見ていればいいはずだった。

ちょっとした芸をこなす度に、次々と角砂糖を与えられ、熊は、人間の指示におとなしく従っている。
万が一、与える角砂糖が切れたらどうなるのだろう、などという不測の事態は、考えないよう試みていた。

しかし、それは、突然、起きてしまった。
いや、熊ではなくて、猿が、不意に、ステージから客席に、逃げ込んで来たのだった。
すぐに私は、覚悟を決めた。
このエンブリオクライマックスシーンな、ぶよぶよで痛みをともなう足裏では、いつものようには、走れまい。
私は、サーカスの猿に、引き裂かれるかもしれない。

暫くの間、猿は、体育館のなかを、まんべんなく、逃げまわっていた。
何故だろう。観客の人達は、猿が近くまで飛んできても、皆冷静過ぎるくらいな振る舞いだった。席を立つ人も、殆どいない。

猿はやがて、サーカスの団員達に捕らえられ、ハプニングは、収まった瞬間から、その日見に来た人達の思い出に、ちょっとした陰影をつけるエピソードとして、多分、すうっと、おさめられた。

私の足裏の収束には、その後、一年近い時間がかかった。
せめて、足裏美人でいたかった、ということなのか。恐ろしい事をしたと思う。
by chaiyachaiya | 2012-11-10 23:28 | ねこの寝言
<< タミル映画とボリウッドムービー ペリドット蜘蛛とフライパン >>


猫と日常と非日常

by chaiyachaiya
カテゴリ
Twitter
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
最新の記事
冬の眠気でぼんやりしてきた。
at 2021-01-14 16:58
ポチ顔のわたしと思い出のねこ顔。
at 2021-01-12 14:30
彼女に彼女を紹介する。
at 2021-01-09 14:56
手袋の雪。
at 2021-01-07 16:37
天と地の間に。
at 2021-01-06 14:41
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧