父に言われたことがある。
「この世には、部屋を片付けられない家系というものがあることを、おかげ様で、知るにいたった。わが家では義母、妻、娘、と直系で脈々と受け継がれている。」
ああ、片付けられない血脈。なにゆえ、淘汰されずに今日にいたったのか。
父は、車のボンネットに、鳥の糞どころか、虫の糞?のような、粒、いや、粉が付着しているのを発見するやいなや、ただちに除去し磨きなおすことを厭わないきれい好きだった。
自分の留守中に、十五分ほど滞在した客人があれば、「ん、誰か来客あり、だったな」と、換気扇の最強スイッチを押した。
区分けし排除し、他者と自分の領分の稜線は、太字ゴシック体で、くっきりさせておく性分。
というと、冷たい人間みたいだが、太字ゴシック体の成分は、それほど強いものではなく、「いろんなとこまわってるけど、おたくのお父さんくらいお人好しはいないね」と、取引先の若い男性に言われたくらいだから、筋金入りの人好さんでもあった。
父の太字ゴシック体の成分表は、どうなっていたんだろう。
話しは戻って、片付けられない、という私の特技?についてですが、ものごころついた時分から、まわりの人々の毎日の暮らしを見あげては、不思議に思っていました。
にんげんは、毎日、身繕いをし、食事の準備片付け、その他にも懸念事項が降ってきて、でも、毎日食べたり片付けたり、そしてだんだん死んでいく。
そこに喜びを感じていても、見出せない人も、いなくなる。
どうしたことか?
母は、暮らしや季節のうつろい、時節の行事には興味がなさそうで、ついでに、私の存在にも、さほど喜びをを見出していないと見うけられた。
どうしたことか?
が、子どもの私の心に降り積もっていった。
それと、私が片付けられないことに、何の関係があるのか?
どんよりもやもやの重たい心を、なんとか動かして、片付けなくては。
一週間きれいな部屋を保った後、私は、必ず風邪をひく。
部屋をきれいに保つことは、汚ない部屋に自責の気持ちでいる以上に、わたしの免疫機能を低下させるらしい。難儀な事だ。
でも、片付けなくては。
河合隼雄氏が生前記されていたと思う。
「苦手をなんとかしようと頑張るよりも、得意なこと好きなことを追求したほうがええとちゃいますか」
得意なこと好きなこと、が、結局は、ただ蹲って体温を下げ、免疫機能を下げること、に落ちつくのは、忍びないなあ。
・・・古文で最初に覚えた歌を、一瞬の後、こんなものに変えていた私だった。
世の中に絶えて片付けのなかりせば 春の心は のどけからまし
業平さん、ごめんなさい。