ふみちゃこ部屋



鯉のぼりと龍の鱗について

 九月の末のある日、日本画家で祭り絵師としても活躍している先生と、屋外で豚汁をいただく機会があった。
 ちなみに、まあ、正確には、皆で豚汁は食したのだが、昼間からビールをきこしめしいたく酩酊したのは、わたしだけだった。
 素面では、どう振る舞えばいいのか検討がつかない。検討がつかないのなら、ただ大人しくしていればよいだけの話なのだが。
 泡立つビールの河を渡り、そこにいらした方々との一体感を得られなければ、わたしはうつろに項垂れてしまう。
 淋しがり屋、という可愛いのもではなく、もうちょっとグロテスクな感情ではないかとも感じる。

「先生、わたし、鯉のぼりが怖くて怖くて、ものごころついた時からなんですけれど、でも、龍の鱗は平気なんです、鯉のぼりのは怖いんです、で、ネットとかで違いを確かめようとしても、鯉のぼりの画像を見ちゃうことになるから、怖くって、出来ないんですが、龍と鯉のぼりの鱗って、どう違うんですか?」
 他の方と談笑されていた先生に、斜めかなり前から、わたしは問うた。
 先生の顔は、秋もじわりと深まっているのに、ヘアスタイルの影響もあり、大きなひまわりのよう。
 慈悲深き秋のひまわりは、慈悲深き笑顔で、話してくださった。
「鯉のぼりと龍の鱗の描き方は、同じ」
「えええ~っ」
 ビールの力で、関節が柔らかくなっているわたしは、ここぞとばかりにのけぞった。
「だけども~」 それから、先生は、秋のお天気と豚汁を共有している皆に、鯉や龍の描き方の習わしや由来など、いろいろ話してくれた。
 のに。
 せっかくのお話の中身が、泡立つ大量のビールの河をすべり、記憶の島から、忘却の大河へと流れ去ってしまった。
 はずかしや。

 やさしい方々が揃っていた。お互いが見えなくなるめで、見送りあった。
 ほんわり虹色に光る龍の胴体にぶら下がったり巻きついたりして、空を飛んでいる気分だった。
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# by chaiyachaiya | 2011-11-13 16:55 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

見えない世界について

 自らを霊能者だと標榜する人々に、わたしが何故こんなに鯉のぼりに恐怖を抱くのかを聞いてみたりした。
 答えは色々で、
「綺麗な布が水を流れていくのが見えますよ。あなたは壇ノ浦で滅んだ平家の姫でした」
「まあ、答えは、これからおいおい、来るうちに」
 なかには、「さあ、わかりません」と、きっぱり言う人もいて、これはこれで、こちらもすっきり、なんだかしゃっきりした気持ちになって帰ってくるのだった。

 先日見た三谷幸喜さんの「ステキな金縛り」のなかでで、淺野忠信さん演じる歴史学者が、ヒロインの弁護士の話の内容を、心霊的なものに関わることだと知ったとたん「興味ありませんから」と一蹴した後、自分の気持ちの何処か深くて浅い個人的に大切な場所にふれる情報(弱み、と言って差し支えなさそうだ)を発信されたとたん、すべてを受け入れてしまう、というのは、わたしたちが、心霊的なものにふれる場合に陥りやすいパターンのように思った。 

 つづく 
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# by chaiyachaiya | 2011-11-13 16:16 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

お節介の節度

 米国におけるショッピングセンターとショッピングモールの違い、というのが、今頃わかった。
 ニューヨークに住んで米国の投資会社で仕事をしている女の人・・・って、さらり、ニューヨーク在住のキャリアウーマンと書けば済むのですが、なんだか、むずむずしてしまう。自分のことでもないし、いや、自分のことじゃないから、勝手にこじれた照れ方をしているのか。自分の心のありようにかなう表現を探して、時々わたしは、かえって伝わりづらい、難儀な道をいくのだった・・・が、教えてくれたのた。
 ショッピングセンターのほうは、同じ敷地に、ホームセンターやドラッグストアなどを有し、日常的庶民的な展開をしている。
 モールのほうは、もう少し高級で、ブランドショップも入ったり、大きな一つの建物であることが多い。
 米国の若い歌手が、「ショッピングモールで歌ったわ」とインタビューで話していたのを、思い出したりする。

 その日、百貨店でもない、米国型ショッピングセンターでも、モールでもない、日本型ショッピングセンターのお手洗いに向かっていたわたしの前を、車椅子の女の人が進んでいた。
 その女性も、お手洗いに向かっている。             
 すぐに、わたしは肝に命じた。というより、神に祈った。
 わたしが、ひとりよがりな過剰な親切にはしり、車椅子の女の人に、いやな思いをさせませんように。

 女の人は、様式トイレのドアを押し開こうとして、難儀しているように見えた。
 動きのない時間が、かなり長く続いた。・・・ように感じること自体、何か手伝いたい、という願望のなせる技だったもしれない。
 他者を助けたい、というより、関わりたい、という感覚。正確に言えば、きっとこれは、親切心ですらないのだろう。
「なにか手伝うことはありませんか?」
 わたしは、声を抑えて、言った。笑顔も控えた。
「ありません」
 即座に、女の人はかえしてきた。
 振り向いたその顔の片側は、骨が粘土質に変わったのに気づかずに、顔の筋肉にそって外側に強くマッサージされたような形をしていた。
 わたしが声をかけなければ、女の人は、振り向かずに済んだのだ。
 という、解釈もまた、勝手な思いなのだろう。
 
 相手の立場にたって考える、というが、わたしの頭は、ときどき混乱している。
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# by chaiyachaiya | 2011-11-10 21:43 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

可愛いものには、ちゃこをつけて 2

 前脚をそろえて、チンチラの女の子は、ガラスの向こうから、まっすぐにわたしを見あげていた。
 わたしを見つめたまま、彼女は、にゃお、と見事な口パクをした。ガラスによって、鳴き声が聞こえなかったのではないことを、その後の生活のなかで、わたしは学ぶことになる。
 家のなかで、声を出さずに鳴くのは、チンチラの女子だけだ。かならず、わたしを見つめ、ごくごく微かに、空気を振るわせる。わたしの耳に、それは女の子の頼りなげを超えて、生存の確認を急がなくては、ぐらいのレヴェルに響く。
 わたしのアタマの底では、ああ、小動物の雌に、やられてる、操られてるなあ、と感じてもいる。
 だども、抵抗できない。
 彼女のなかでは、ニンゲンなんて、ま、少なくても、この人間かあさんをいじるのは、簡単っ、という認識が深まっているのだろう。
 それでいいのだ、と思う。これでいいのだ、と頭のなかでは、も一回、バカボンパパが、だめ押ししてくる。
 
 ところで、家に連れてきたはいいが、去勢をした(ああ、ニンゲンの都合、勝手による)とはいえ、もと雄の気配を心身に残すアビシニアンとロシアブルーが、新入りの雌を、どう迎えるのか、あるいは、迎え撃っても、迎え入れることはないのか、とても不安だった。なにかが起きるであろうことは、確実な見通し。アビとルーの魂は、大恐慌を引き起こすだろう。うまく収まる保証はないというのに。そうとわかっていて、もう一匹新しい猫を連れていこうとする自分は、ぷち人非人やもしれぬ。

 次に日の午後には、チンチラペルシャの女の子は、餞に淡いピンクのリボンをお頸に結んでもらい、ハウス型の段ボールに詰められ、わたしの車に乗せられた。
 別れの挨拶のとき、お店のお姉さんが、じゃあね、と言いながら、涙ぐんだように見えた。
 お店の人を泣かせるなんて、この猫はなんだか凄いぞ、と、わたしは意味もなく、心のなかでほくそ笑み、そんなことでほくそ笑んだ自分に、また可笑しくなった。




 
 


 
 
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# by chaiyachaiya | 2011-10-27 23:24 | | Trackback | Comments(0)

可愛いものには ちゃこ をつけて

 わたしの猫、アフガンの白天使、ジュヒは、チンチラペルシャ。
 
 長毛種など、今生では決して飼うことはないと(相変わらず、大仰な物言いのわたし)信じていた。いかに見た目が豪華だったり歩く姿が優雅だったりでも、その豪華優雅の元の長毛の手入れ、部屋じゅうに放出される長い猫の毛、を考えると、怠け者のわたしにとっては、ふふふ、ありえないことだった。
 しかも、チンチラペルシャといえば、わたしが思い描く猫の神秘的な美しさの対局にある顔つきなのだから、無料で差し上げます、と言われても、いやあ、すみません、と遠慮していたはずだ。あの、つぶれた顔を見ると、猫ではない、と思ってしまう。(実際飼ったことのある方は、性格も姿もけなげで、一晩で情が移りますよ、と言っておられたのですが)
 
 でも、わたしは、出逢ってしまった。
 ペットショップの大きめの檻のなかで、ごく小さなノルウエジャンフォレストキャットをせっせと毛繕いしている、子猫としての旬を過ぎようとしている、一匹の白いチンチラを。
「このチンチラ子、お見送りキャット、って言われてるんですよ。最近、ソマリ、やシンガプーラ、エジプシャンマウ、って珍しい子がいっぱい入ってきて。
 このチラ子ちゃん、かなりのお世話好きで、お母さんみたいに、毛繕いや排泄のお手伝いしては、相手の珍しい品種の子が、次々おうちが決まって出て行って、見送ってばかりなんです」
「へえ~、そうなんだ」
 わたしは、ペットショップの女の子の話に、わざとそっけない反応に終始するよう心がけた。
 なぜなら、ノルウエジャンフォレストキャットの耳の内側をきれいにしてあげているチンチラペルシャの顔が、ちっともつぶれ顔ではなく、大島弓子さんの「綿の国星」のヒロインチビ猫を、もいっかい猫に戻したら、こんななのでは、と思わせる顔だったから・・・。これは、やばいぞ。
「このつぶれてない顔って、あれでしょ、チンチラペルシャとしては、邪道ってことよね」
 意地悪く、わたしは言った。
 その瞬間、ガラス越しに、チンチラペルシャと視線が合った。なんと、ノルウエジャンフォレストキャット(ああ、長い名前、以下、北欧森猫)の耳のお手入れを終え、こちらを向いて、わたしを見ているではないか。

          続く
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# by chaiyachaiya | 2011-10-02 21:16 | | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
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