ふみちゃこ部屋



この頃は、夢のなかで眠り、夢のなかで目覚めては、ナイトメア続行でちょっと参っているです。

夢のなかで、ふうっと、気を失う感覚で、すべての感覚が途切れる。

時間にして数秒も経ていないのだろうが、数時間は眠っていた状態から目覚めた感覚で、同じ夢のなかで、夢の続きとして、目を覚ます。

数日前の早朝は、こんな夢を見た。

既に十数年前に、鬼籍の人となった父母と、田舎の村にやって来ていた。親類の誰かの見舞いに来たような、父か母の生まれた村の祭りを懐かしみ訪れていたような、ただなんとなくドライブしてたどり着いたような、もやっとした感じはあるのだが、夢のなかの私は、取り敢えずやり過ごしている。
山間の村のようで、坂が多いのだが、目の前の湖が氷を張っているから、季節は冬のだろう。海岸近くの急勾配の丘に立つ木々の根元は、ところどころ、雪の白で覆われている。

父と母が、氷の張った湖の上に一緒に来るよう、私に言った。
「やだ、ちょっと気温高くなって氷割れたら、沈んじゃう」
と抗議するのだが、気がつくと、父と母と同じように、水面に張られた氷の上に、私は居た。
そして急に強烈な眠気に吸い込まれ、私は気を失った。

どれくらい時間が経ったんだろう。湖の氷は溶け出し、破れる寸前だった。危ない。
父も母も、見当たらない。
悲しい気持ちで、なんとか急いで陸に上がる。

父も母も、私が眠ったのを確認し、放置して、いなくなっちゃったんだ。

そう感じた瞬間、波打ち際の浅い水面に、父と母が、仰向けに横になり、波に揺られているのが見えた。
二人の耳も口も鼻も、波が来るたび、水面の下になっている。
まずい。

私が父と母に気づいた一瞬の後、鮮やかな蛍光色のスポーツウエアを着た中年の男女が、レスキュー体勢で駆け寄り、父と母を、引き上げてくれた。
そのさなか、蛍光ピンクとイエローの配色のウエアの女性は、母を持ち上げながら、
「この人は、冷たくなってる。もうダメだと思う」
と、言うのだった。

それでも、彼女は、ネイビーに蛍光ブルーのウエアの相方の男性とともに、父と母の身体を揺すったり摩ったりしてくれ、それ程時間を要せず、奇跡のように、父も母も、何事もなかったように、甦った。私も、父と母に、いっぱい、触れた。

「帰り、〇〇村のほう、まわって寄ってみるか」
父は、言い、母は、
「まさか自分が預金通帳忘れるなんて思わなかった」
と、海岸に座っている私の前で、不機嫌そうに立ち上がり、大股で去っていくようだ。
と。
目覚めた。

支離滅裂だけれども、私の、無意識の心象映像の部分も認められ、何より、氷や水の質感にやられ、父と母の身体の、死の冷たさからジワジワ変じていく肉の温みにやられ、汗びっしょりで目覚めてしまった。

夜は充分白んでいたが、午前四時前・・・。

再び眠ったら、またナイトメアが待ってるかもしれない・・・。

私は寝室を出て、キッチンへ直行し、前の晩残したスパークリングワインを取り出し、シャンパングラス(フレディ マーキュリーがステージでピアノの上に置いていて、オーディエンスに振りまかしたタイプじゃなくて、細長く、ぎょうさんいただける方)に、ていやっ、と注いで、ゴクゴク飲んだ。

落語の師匠とは違う意味で、“今日も四時から飲み” をしてしまったのだった。

最近、眠りのなかで、眠ってしまう。それ自体は、むしろ、気持ちがいい。夢の入れ子構造の奥底で、おやすみを続けたい。

夢という、無意識が絡む領域ですら、寝落ちして、逃げる算段な私なんだろうか。

情けないなぁ。


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# by chaiyachaiya | 2017-07-21 17:01 | Trackback | Comments(0)

イホイホ合唱隊とタハー貝の夕べ。

昭和の時代、義務教育におけるガッコーの先生らのなかには、独善的な情熱に駆られ、感情の流れるまま、自由に盛り上がり、怒り叫びまくってひとが多かったと思う。
自分が叱られてるのじゃなくとも、「うわぁ、こんな風に皆んなの前で言われたら、もー、これ、一生もんでしょう、はぁ・・・」と、胸が痛くなることも幾度かあった。
・・・て、流れ矢でもないのに、勝手に魂の中核を突かれた気持ちになり、半世紀経っても、そのシーンを今だにフラッシュバックして苦しくなるのは、私が魂を病んでいるからである。こっ酷く罵倒されてた隣の席の子は、逞しく成長して、元気に生きてるかもしれないのに。
あ。て、いうことで、早くも結論が出たのでおやすみなさい。

や。なんで怖い先生の話になったん。
私はただ、小学生の時分、半ば強制的に所属させられていた、イホイホ合唱隊について記し、ほっこりとした笑いを取りたいだけなのに・・・。

ああ。
その合唱隊の担当の先生。
子供の頃満州からから引き揚げてきたという、白眼際立つ眼光鋭い、目力マックスな女性だった。自分らの世代が耐え忍び、くぐり抜けてきた、命ぎりぎりのところの苦労と比ぶれば、戦争を知らない、ニッスイのインスタントラーメンやソーセージをぬくぬくオヤツに食べて、無条件で命の保証がなされ、好き勝手なことをしている子どもらには、愛という名の叱咤の鞭をふるわねば、となるは、道理であったとも思うのだが・・・。


ある放課後、久方ぶりに練習にやって来た生徒に、女性音楽教師は言い放った。
「ずっと練習来ないで、発表近くなった今になって来たところで、お前の場所はない。帰れ。」
取り敢えず今日のところは帰って反省して出直しなさい的な含みを持たない、いきなりの最後通牒であった。

自分が拒まれたわけでもないのに、その時の、一学年上級の男子の、一瞬で固まった表情、皆の視線のなか、魂の死地へ赴くような暗い目になり退場していく様子などが、胸の奥に焼きつき、お焦げになって、にがい風味が、喉の奥に甦る。
それは私が、ひと1.5倍ぐらい、いや、もっとだ、ひと100倍ぐらい、人から拒まれることを拒みたいにんげんだからだろう。
それは私が、病気だからである。
私が病気という結論が出たので、それでは、おや・・・

おやす・・・おや。や。や。

わたすは、ほっこりほのぼのな、イホイホ合唱隊について記し、クスっと、笑っていただこうとしているだけなのに、何故だ、たどり着かぬ。

・・・満州帰りのR先生は、(満州帰り、と書いたら、中山ラビ「上海帰りのリル」を思い出したので、先生のこと、リル、の頭文字で、R指定、いや、R先生、と致しました)まっこと、キビキビびしびし、合唱隊の子らを指導してくださっていた。
R先生は、来たる合唱大会に向けて、自由選択曲の方は、仕上げるのがかなり難儀な曲をチョイスするのが常だった。やり遂げた時の達成感の素晴らしさ、快感を、知っている方だったんだろう。
音楽の父や母の肖像画の下、音楽室の黒板に描いた難しい曲の楽譜の、彼女が強調したい部分には、記号や文字が、力強く書き加えられていく。
黒板を前にしたR先生の勢いと筆圧に、志半ば折れ飛んでいった白墨たちも枚挙にいとまがなかったことは、言うまでもありますまい。(ここ、盛りました)

アルトもソプラノもメゾソプラノのひとびとも、合唱隊のメンバーたちは皆、(ちなみに私の担当はアルトだったのですが、普段の会話のトーンの高さとは違うものなんだと、と子ども心に感心していました)R先生が書きなぐりになられる記号や文字の示すことごとを表現していこう、追いついていこうと必死だった。

「緑の牧場」
というタイトルだった気がする。
出だしが、
げ〜んきなこーえーひっびーくよーみーどりのまーきぃーばぁー
“元気な声響くよ、緑の牧場”

皆で数回出だしを歌ったところで、R先生は、例によって、パシパシ、“緑の牧場”の後に、文字を書き加えた。
カタカナで、イホ、とあった。

選ばれし我々合唱隊は皆、訝しく感じながら、R先生を信じてついていくしか選択肢はなかった。死なば諸共、多分そんな所存だった。

げ〜んきなこーえーひっびーくよーみぃどりのまーきーばー イホッ

あるアルトは震えながら、別のアルトは叫ぶように、後列のソプラノはうわごとの如く、横のメゾソプラノは何故だか瞳を輝かせ、・・・
ああ。私たちは、めいめいが、「イホッ」て、合いの手のような発声をしたんだ。イホを信じ、イホの側に魂を添わせたんだ。

次の瞬間。
R先生が、笑いながら、頽れてしまった。

「ちょっと、みんな、これ、漢字で、“休” て書いたのよ」

アルトもソプラノもメゾソプラノも、皆ひとつになって、大笑いした。

・・・でも、よく落ち着いてもう一度黒板を見たが、休、ではなく、やっぱり、あくまでもカタカナのイホに見えた。

・・・この件以来、私のなかで、R先生率いる合唱隊は、イホイホ合唱隊、という呼称で言い表されることとなり、人生において、似たような状況に陥ってしまうことを、イホイホ合唱隊現象が起きていると、述べて、やり過ごすことになった。
「ふっ、これは間違いなくイホイホ合唱隊化現象が、もの凄い速度ですすんでいますね」と、したり顔をするのである。

え。似たような状況。どんなだ。はてな。

いや。
イホイホ合唱隊現象は、個々の人生のみならず、あらゆる世界情勢、政治経済の領域を、人知れず深く、根底から揺るがしているのかもしれない。
書いている私ですら、具体的にどういった状況を指すのか、全く意味がわからないくらい、浸透してしまったということなのか。イホイホ合唱隊現象は。旋律、いや、戦慄を覚えてしまう。

・・・あ。タイトル後半部の「タハー貝の夕べ」
は、次回、と致します。
イホイホを笑っているうちに、タハーに復讐されるような、そんなお話になってしまうのじゃないでしょうか・・・。

今日も何言ってんだかな、ワケワカな記事であることよのぅ。


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# by chaiyachaiya | 2017-07-20 11:49 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

おそうじベーシック3もiPadも。

明日 ダスキンの交換日なのに、今回まだ一度も使っていない未開封のモップが、見つかっていない。
モップについた埃を吸い取るマシーンもセットで、画期的だ、といたく感動した日が、遠い昔のように感じられる。

iPadは、今さっき見つかったので、こうして開けている。
灯台下暗しで、居間のテーブルの上、私の席のすぐ右に、それは、あった。
正確には、大分特産フンドーキンの柚子胡椒、自分で単品ナッツを混ぜ混ぜして詰めたヴァラエティナッツ瓶、DHCのココナッツサプリの袋、桐野夏生さんの「デンジャラス」、多和田葉子さんの「百年の散歩」、國分功一郎さんの「中動態の世界」、宮下規久朗さんの「闇の美術史」、内田樹さんの「街場の文体論」の文庫版、はぁはぁ、(段々、こんな本読んでるんだべさ調)などの下に、私の、地味なうすらぼけ桃色風呂の蓋付きiPadは、埋まっていた。

以前、優しい友人から、
「散らかってるっていっても、ほら、○○さんとこの散らかり方は、なんかアタマいいヒトの、インテリっぽいソレだから、大丈夫」

アタマいい。インテリ。インテリっぽい。そっかー。そうなんだね。
大丈夫なんだ。なんか大丈夫なんだ。あははは。
擬きでも、っぽい、でもいい。い。インテリかぁ。
なんか、これはきっと、大丈夫なんだ。あははは。

・・・おお。友よ。

それ以来、わだすは、本すら、片づけられなくなったぞよ。

・・・そして、ダスキンモップ、もし見つかったとしても、それを滑らせる床が、見えていないのであった。


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# by chaiyachaiya | 2017-07-17 12:55 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

おかーさんの言葉は。

おかーさんの言葉はダイヤモンド

キラキラ万華鏡 無限大に光り輝いて

私を護ってくれたの

てぇ

私のおかーさんの言葉は

カットが稚拙だったので

尖ったまま

コドモの魂の殺傷に特化したのね

わお

ダイヤモンドというよりダイナマイト

木っ端微塵よ

私 だけじゃなく 周りの皆さまも おかーさん自体も

ドッカーン だったの

朝も早よから

向き合う のだ

この愛おしき 取り返しのつかぬ誤謬に



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# by chaiyachaiya | 2017-07-15 06:13 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

夢のなかで眠り目覚める夢。悪夢白書。

ものごころついた時分から、しょーがっこーの四年ぐらい迄、夜寝る前に、お祈りしていた。
「どーか怖い夢を見ませんように」

夢は無意識層の発露。
ある意味解放区の側面もあると思うのだけれど。

よくぞまぁ、毎度毎度、まいどまいど、ヴァラエティにとんだキモすぎるえいぞーを、見せてくらはりますなぁ。

もはや、更年期鬱を抜けて、老年期鬱の領域なのやもしれぬ。

でもさ。

すぐ死ぬ死ぬ言うているわりにね。

大量のサプリメント摂取してる。

わし。

生きる気満々て事なの・・・

はぁ。

お。

ネコが、じっとわしを見てるよ。

香箱座りして、真っ直ぐに、私を、私だけを、見てる。



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# by chaiyachaiya | 2017-07-15 04:57 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)


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