ふみちゃこ部屋



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シャーシャールーとごろごろルーの狭間で

や、わかっておりやしたよ。自覚はありやした。
あてくしは、未だAC(見た目は満遍なくシニアなのに、タマシイ5歳児)のよーそが、ちょい高めなおばさむだって事は・・・。

けれど、この冬、血中AC濃度が、自らの予想を遥かに超えて、滅茶苦茶高い数値を示している事実に、日々慄然とする事が、増えていたんです。

「え、おめえは、公共広告機構か、ACミランなのか?」
と、呑気な家人が、問うてくる。
てな、わけもなく、あてくしは、季節の巡りに、今年も、取り残されておりやした。

・・・取り残されて、くったりしてると、うちのアフガンの白戦士(別称 チンチラペルシャ)のジュヒーが、私のココロだかタマシイのあり方に寄り添ってくれる分、気がつくと、頬も背中も、ところどころ赤身を剥き出して、蹲るようになる。

だから私は、そんな愛しいジュヒーを、ことのほか、めんこがる。
「ジュヒー、ジュヒー、お母さんのたったひとりの女の子、優しい優しい、可愛い可愛い、お母さんのたったひとりの女の子」

先住長老猫アビシニアンは、如何にかーさんが、他の猫らを可愛がろうと、きゃつらは、2番手3番手、かーちゃんと俺の信頼関係を揺るがすものではない、と余裕の表情なのだが・・・。

ロシアンブルーのルーのココロは、そうはいかなかった。

「や、ほんと、ルーって、プーチン面だよね」
「うんうん、毛並みなんかは、みっちりと、銀灰色のシルクみたいだけれど、ロシアンブルーにしては、貧相じゃないけれど、悪魔大王みたいに、怖い顔に見えたりするよね」

などと、一家で言いつのり、ルーの心身のメンテを、ああ、軽んじていたのだ。

「ミャオん」
と、ルーが、真っ直ぐな瞳を期待に輝かせたまま、前脚を揃え、膝に乗ろうとしても、私は無視した。
ルーが大好きな、“世界旅行”(ルコちゃんの世界旅行〜っ、と言いながら、肩乗り状態のルーと共に、居間を渡り歩く、ルーはいつも、喉をゴロゴロさせていた。)も、してあげなくなっていた。
足もとのカーペットで、「おかーたん、見て、ルーだよ」と、ころり、お腹を見せて甘えるルーを、一瞥だけして、すぐに立ち去った。
「だって、ルーは、いつだって無傷。身も心も、損傷受けてないっしょう」
私は、ことごとく、ルーを、適当にあしらって過ごしていた。

と、冬のお終いの頃、ルーに、著しい変化が顕れた。
擦れ違いざま、兄貴のアビに、シャーっ。通りすがりの、妹猫ジュヒーに、シャーっ。「ルー」て、声掛けしたニンゲン家族の、あまつさえ、私にも、シャーっ、と威嚇するようになっていたのである。

あああ。ううう。
ちいちゃな、猫畜生(表現が良くないけれども)ですら、めんこがられてる実感無くば、グレちゃうんだな・・・。

・・・今はもう、ルーは、シャーシャールーではなくなった。
私は “ルーをこれでもかとめんこがろうキャンペーン”を、張ったのだ。
幾分、時間を要した。
上っ面だけ、猫撫で声を出したところで、初めのうちは、ルーに見破られ、逆に一層シャーシャーされてしまった。

・・・ルーを、幼い頃の自分に置き換えて、心から、声掛けし続け、幾週間経て、やっと、ルーは、シャーシャールーから、もとの、ごろごろルーに戻ったのだった。

・・・ああ。
ニンゲンも、ニンゲンの子供も、シャーシャー出来たらいいなぁ。
子供だけに生える、鋭い爪や、牙が、あったらいいのにな。

最初に引き裂かれるのは、無自覚で身勝手な、親なのだがなあ・・・。
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by chaiyachaiya | 2014-05-28 19:39 | | Trackback | Comments(2)

水丸さんとウオーターブルーのネックレス、「青の時代」の思い出。

コの字型のカウンターの

角のとこに 水丸さんは いらした

隣には ウェービィロングヘアの女性

名前を はっきり記憶している

喪主の方の名前じゃなかった

「青林堂」の 「 ガロ」の

と カウンターの奥の女性が説明してくれても

「つげ義春」「ねじ式」しか 浮かばなかった 私は

「烏賊 雲丹 鮑 帆立 蟹っ いつでも 極北の私のクニに 食べにいらしてくださいっ」

と 酔っぱらって ただ 叫んでいた

水丸さんは 終始 笑っていらしたのだけれど

彼の隣で 一緒に微笑んでいた ウエービィロングヘアの女性を

忘れる事が出来ない

その女性と私は 酩酊状態で 互いのアクセサリーの交換をした

私が 露店で手に入れた

500円の偽オパールの指輪を 手にした彼女は

おずおずと

「いいんですか?」

なんて 訊いてきた

ああ 柔らかな その表情

彼女は

笑いながら 泣いてる 泣きながら 微笑んでる

誰のせい? 誰のため?

あんなに 哀しくて あんなに 優しい顔には

あれから 30年経てもまだ

出逢った事がない

その夜 彼女は みずはなだ色のTシャツを着ていて

胸の上には ウオーターブルーの玉を連ねた 3連のネックレス

彼女がくれた 透き通った輝きのそれを 私は なくしてしまった

なくしてしまったのだ
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by chaiyachaiya | 2014-05-25 22:02 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

鳩のような私について。

「本音を言わない人といるのは 鳩といるのと同じ」

フジンコウロン という雑誌に

こんなタイトルの 対談が 載っていた

タイトルにヤラレて

手には取れなかった

私は ずっと 鳩だったから

鳩にならなければ 生きて来られなかった

その習いを捨てようと

もがく程に

瞳の部分だけ 猛禽類になる

脚先は カナリヤの頼りなさで

幼い頃 私の隣で

鳥籠のブランコから

かさり 落下して逝ってしまった

あの 淡いオレンジ色の カナリヤのように

ケージの底で

自らの 汚物に塗れて 横たわる
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by chaiyachaiya | 2014-05-24 11:23 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

偽 グラン・シャレ、偽 佐村河内守 だと思ったの記

「すべての文学は、スキャンダルである」
と、トルーマン・カポーティが語っていた、というのを、読んだ記憶があるのですが、例えば、喰い下がってしつこく訊いてくるインタビュアーに、地味にプチ切れて、お望みどうりの答えを言い放ってやった、という要素もあったのでしょうか。

それはそれとして、なんだか、この“すべての文学”の部分を、“すべての芸術”に置き換えても、さしあたって、命に関わるような弊害はなさそうです。

以前、オノヨーコさんが、セントラルパークのベンチに腰掛けている家族の像、など、写真(本人が撮ったものなのか、報道写真か何か、なのでしょうか・・・)から立体化した“アート”を、筑紫哲也さんの番組内で、披露していた事を、思い出すのですが・・・。
「あー、この母親は、自分が乳ガンではないかと心配している、隣のこの男の子は、サッカーの次の試合に、自分が選手として選ばれるのか、考えている、そして、あー、父親は・・・」
オノヨーコさんの文言を、私は、きっちりと正確に思い出せないし、父親の心模様についての説明は、すっかり忘れてしまいましたが、印象に残ったのは、オノヨーコさんが、スタジオを後にしてから、筑紫哲也さんが語られた言葉でした。
「自分の作品に関して、これ程饒舌に話す人は、初めてです」

ちょっと意味合いの異なるケースですが、かなり前に、日曜美術館でポール・デルヴォーの、「レースの行列」について、司会の方が、2人の人物に尋ねた時の事です。
「レースの行列」は、暗い青空の下、緑の地面の中央に敷かれた灰色の路面を、凱旋門のような物を目指して、白いレースのドレスを着た女たちが、歩んでいる様を描いたもので、髪を綺麗に結い整えた後ろ姿の総勢9人。1人だけ、全裸の女性が、やや此方向きに走っているのが、遠くに見えます。画面中央の奥には、更に先にある、凱旋門のような物が小さく描かれています。
最初にコメントしたのは、高階秀爾さんだった気がするのですが・・・。
「この時代は、ヨーロッパの方では、ナチスの軍靴の音が日に日に強まっていたんですね。この絵にも、影響が見られます」
の、よ〜な内容で、その評論家の方が話していました。
さて、次は、或る映画監督の番です。
「では、鈴木清順さんは、如何お考えでしょうか?」
清順監督は、こう返したんです。
「ああ、つまり、これ、こういうの、描きたかったんだね」
カラリと揚がった花林糖のように、湿り気を伴わない、小気味好い響きでした。

「清順はん、よう言うてくれはりましたな」
私は、俄か偽浪速人になって、胸の内側にて、喜び叫びました。
多分、論理や知識に裏打ちされていない、なんだかただ調子に乗った子どもみたいな、嬉しさでした。

・・・私が初めてバルテュスの絵を目にしたのは、30年程前です。
「部屋」という邦題がつけられた、カーテンを引く怪人物的少女、窓からの光に照らしだされた、期限付きか永遠か判別し難い状態で眠っている仰け反った裸の少女の柔らかそうな白い腹が目立つ、窓の脇の薄闇からは、邪悪な面相の猫が此方を見ている・・・といった1枚です。糜爛しながら、ねっとりと甘やかに淀んでいるような、胸苦しさを呼ぶ空気感に惹かれ、忘れられない絵、そして画家となりました。

今私は、バルテュスの画集2冊、バルテュス夫人の節子さんの、グラン・シャレでの美しい生活を写した写真の多い本を3冊、「バルテュス、自身を語る」というインタビュー本、を所持していますが、よくページを開いたり、手に取って読むのは、バルテュスの画集以外の書籍ばかりです。
東日本大震災の後、現実からなんとかいっときでも逃れようと思えば、その度、画集以外の美しいバルテュス関連本を、ことに節子夫人のグラン・シャレでの四季の設えの写真のページを捲っていたのでした。

・・・結局、バルテュスの絵で、一番好きなのは、バルテュス曰く、モデルの少女との、『下心のない共犯関係』下で描かれたそれではなく、《グラン・シャレのお茶会》という、娘の晴美さんの誕生日の為に描いた、犬や猫、鼠や鳥たちが、正装してお茶会をしている場面を描いた絵ですし、私は、バルテュスという画家の、その周辺の気配、空気感に憧れているだけなのかもしれません。

・・・絵画や文学において、性的な描写の際立つそれらの作品を言い表す時、書籍であれ、チケットであれ、売る側の方が、“エロス”という文字に“聖なる” をピタリ隣接させる傾向があるように感じています。
そんな、“神聖なるエロス”という言葉に遭遇する度、
「だから、こういうの、描きたかったんだね」
という、鈴木清順監督の言葉が、愛おしく、尊く、私の心に、響いてくるんです。

・・・よ、余談なのかもしれませんが、
「あれ〜、グラン・シャレだ、グラン・シャレだあ、バルテュスと節子さんのお家だはあ〜っ」
この春、子らの住む場所を訪ねた際、こう叫んでる私がいました。
子らの住まいのごく近くに、件のグラン・シャレの館(懐かしい、昭和の〈メゾン〉という、左右対称のお家を、胴切りにしたチョコケーキみたいな、カタチ。概ね真ん中にバナナ)を、思い切り矮化させたような個人の家を、発見してしまったのです。ほんとうに、ちいちゃくて、例えば、バルテュスのグランシャレの館を、昔のグリコのおまけとして作ったら、かくや、という感じです。
・・・し、しかし、窓辺には、グリーンのゴム手袋。敷地内には、幾種類もの農機具。横たわる青いバケツ。ああ。
バルテュスの幽体(?)や、節子さんも晴美さんも、いらっしゃる筈もないのですが、それでも、私は、しれっとした子らの視線の中、暫くの間、興奮状態でした。
訪れる機会を得ることがないであろう、想像上のグラン・シャレの風が、私の頬を、そよ、となぶって行ったんです。

・・・数日前、NHKで、豊川悦司さんが、美術探偵のような役割りを演じる、「バルテュスと彼女たちの関係」というタイトルの番組が、放映されていました。
豊川悦司さんが誘う、モデルになった女性たちとの、幾つもの、エピソードが織りなす世界。
なのに私は、本当に失礼なのですが、黒い装束にサングラスで、髪もやや長めの、スラリとした豊川悦司さんを画面で見たとたん、佐村河内守という人が、激ヤセして、そこにいるように感じてしまったのでした。
何故私は、一瞬にして、ちょっと意地悪な感じ方をしてしまったんでしょう。

絵に纏いつく物語は、絵からの要請を受けて、語り始め、自ら絵を犯していくんでしょうか。
・・・本当は、古今東西数多の絵画たちは、纏わりつく物語に、辟易としているのかもしれません。
きっと、バルテュスの、あれらのあられもない少女の絵も・・・。

「え、アンタってば、俗人だねえ、興味本位でしか、卑猥な視線でしか、絵を見られない、芸術の本質が理解出来ない、理解出来ないんだね」
と、問われたなら、
「へえ、あっしには、ちいともわからねえですぜ、ダンナ」
と応じてしまいそうです。

唐突に、「裸の王様」のお話しが、浮かんできました。
・・・本来それには、王としての品格が備わっているらしいのですが、“神聖な王様のコスチューム”の辺りになると、私にゃあ見えねえし、と言いたくなります。(ていうと、ちょっとええ格好しいかなあ・・・)

「ただこうゆうの、描きたかったんだねえ」
という、鈴木清順監督の言葉を、やっぱり、只々、潔く、美しく感じるのでした。
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by chaiyachaiya | 2014-05-19 22:48 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(4)

「てる子とモナ」と、怖くなかった始まりの鯉のぼり

“人は、本当に怖くて恐ろしくて思い出したくないことには、自ら蓋をして、意識の上の記憶から消してしまう” とは、時々見聞きする、文言ですけれど・・・

怖い、恐ろしい、という言葉によって、例によって、私自身不可解で堪らない、《鯉のぼり》という私の恐怖の対象についての、初源の記憶が、チコっと、甦ってきました。
これまで、生まれ落ちた時から、ものごころつく以前から、出あった瞬間から、死ぬ程怖いものだったはずの、屋根より高い鯉のぼり。

でも、最初に見た時、母の背中から、身を捩って見上げた鯉のぼりは、怖くはなかったように思うんです。

...昭和30年代から40年代の初めの頃、中規模な地方の街々に存在した美容室の名前といえば、概ね、「ルナ」「モナ」「リリー」「エリザベス」という、今で言うところのキラキラネーム系も含めたカタカナ源氏名派と、「のり子」「よし子」「てる子」「まつみ」などの、おそらくは経営者自身の名前であろう後ろに繋がる自宅台所から、お味噌汁のにおいや子どもの声が流れてきそうな、生活実感派に、二分されていた気がするのですが...。

母が、幼い私を連れて、パーマをかけてもらっていたのは、キラキラネーム系カタカナ源氏名派の、確か、「モナ」という名前のパーマ屋さんでした。“サロン ド モナ” じゃなくて、縦の看板に、「モナ美容室」です。

それでも、昭和の「モナ美容室」は、地方に住む幼い私にとって、絵本やTVでしか見たことのない、遠い国のお姫さまライフ、日本の首都トーキョー、金髪の人びとが住んでいるというガイコク、の目眩くような魅惑を、強く感じさせる場所でした。
花柄の布張りのソファ、目隠しの為だったと今なら分かるレースや木彫の衝立。舶来、或いは舶来擬きの、大小様々な置き物。陶器の犬。お腹を見せたまま眠る3センチあるなしの子猫。白にブルーが履けられた、つるつるのペアの猫。お月様の縁に腰掛けて、此方を見ているのは、金色の星々を散らした衣装のピエロ。ヨーロッパのお城のタペストリーみたいな壁掛け。妖しい紫を放つ、ソファの前の小さなテーブルランプ。今思うに、占い師の女性が、水晶玉とともに座っていてもいい空間でもあったようです。
「◯◯子ちゃん、大人しくていい子だね、はい、これ」
そう言って、美容室の女性が、レースのコースターと一緒に出してくれた、オレンジジュースの鮮やかな色と甘味は、もしかしたら、それは、無果汁の甘いシロップを、水道水で割ったものであったとしても、とりわけ愛おしい記憶として残っています。

確か、私が、初めて鯉のぼりを見たのは、その「モナ美容室」を出で直ぐの路地だったように思うんです。
美容室の椅子に座って、ジュースをふるまって貰えるようには、まだなっていない、もっと小さくて、こころもとない、おんぶされて移動、の、私。

母の背で振り返って目にした、その、風に揺られて、頭上で浮かんだり、しなったりしている、魚型の巨大なものについて、私の方が最初に、母に何か言ったように思うのですが...。
背中の子ども、彼女にとっての宿命のコドモ(や、どの母子も、お互い、すべての意味で、どのみち宿命の母であり、子どもだと思うのですが...)に対して、彼女は、何か、言葉を返したのですが...。

ごく幼い私が、鯉のぼりを見て何を言ったのでしょう。それに対して、母が、どのように応じたのでしょう。
思い出せないことに、何か意味があるのでしょうか。

ただ、その日の鯉のぼりは、あの渦巻いて見える大きな目も、鱗の連なりも、白い腹も、鰭の縦縞も、ちっとも怖くはなかったんです。

けれども、その日以降はもう、鯉のぼりは、理屈では、布の筒のようなものだと分かっているのに、耐え難い恐怖の対象となったのでした。

なしてだ?・・・
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by chaiyachaiya | 2014-05-17 13:07 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)


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