ふみちゃこ部屋



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花火とフェリー埠頭と「あやまちの夜」

熱帯夜が続くと、私のたましいは、訪ねたことのない、アフリカ西北のマグレブ地方(あくまでも、幻想の)に飛び、だんだん白や生成りの綿や麻しか纏わなくなり、お盆に会った級友から、「◯◯ちゃん、遂に何処ぞの宗教法人の手先となったのきゃ?」と、揶揄されたりする始末なのですが・・・。

や、小川国夫さんの「アフリカの死」とか「マグレブ 誘惑として」とか、ターハル ベン ジェルーンの「聖なる夜」「あやまちの夜」などなど・・・。ああ。いいなあ。
たましいだけになって、飛んで行きたいなあ。
(て、シリア上空で、撃ち落とされるか、化学兵器に殺られるか、かもですが・・・。)

夏になると、私のたましいは、アフリカの砂漠(あくまでも、空想上の)に誘われ、ベドウィン族(妄想の)からはみ出した、何故かフレディ マーキュリー似の男と、「月の砂漠」を、遥々と、駱駝に乗って、旅のさなか、となるのです。

・・・今年の夏の、街の花火の夜のことです。
私と二男が、港の花火会場に到着した時は、既に遅し、と言っていい状況でした。
何処も此処も、年に一度の花火を、愛する人と見ようと、場所をおさえていた人びとで、いっぱいです。
それでも、ずんずんずんずん、港の端のフェリー埠頭まで進んで行くと、焼き鳥やアメリカンドッグやおでんやビールやラムネの屋台の前に、白い、ポリプロピレンか何かで出来た、テーブル1と椅子4のセットが、4組、それぞれ、2脚づつ、空席のまま、存在していることに、気がついたのでした。

「あ、あのう、こちら、誰かいらっしゃいますか?」
「いえ、どうぞ」

その四人掛けのテーブルと椅子エリアに、その老人は、ひとりで、座っていらしたんです。
右隣の椅子には、小振りな黒いショルダーバッグが置かれていました。
グレーのナイキのスニーカーを履き、バーバリーらしき帽子を被って、彼は、ひとりで、花火見物にいらしていたのです。華やぎは感じられませんが、無聊を託つことをライフワークにしている気配も、ないんです。淡々とした風情で、そこに、いらっしゃいました。父が生きていたなら、同じくらいの年齢でしょうか・・・。

「えっ、来る、来るのね」
夫も、途中参加でやってくるという連絡に、私は、他のポリプロピレンセットの席の方から、椅子を譲っていただきました。その老人に、更に、
「すみません、差し支えなければ、もう一個、ずれていただけますか?」
などと言うのは、憚られたのです。
「あと何人いらっしゃるの? 私、寄りますか?」
彼は、そう言ってくださいました。
「いえ、あとひとりですから、大丈夫です。ありがとうございます」

埠頭は、花火が上がる度に、歓声で湧きたちました。
「すっげえ」「でっけえ」
このひと時、一瞬を、夏の夜の儚い宴を、しっかり捕らえようとしているかのような、若い方々の声は、私の耳に、好ましく響きました。

そのうち、夫もやって来て、あっちの屋台だと、缶じゃない生ビールが、同じ値段だとか、焼そばもう一個買うべきか、などと言っているうちに、花火の宵は、大団円を迎えたのでした。

「ありがとうございました」
ポリプロピレンの白テーブルも椅子も、その老人の所持品ではなかったけれど、同席を快諾してくれたことに、私は、お礼を伝えました。
と、その無口な老人は、こう言ってくれたんです。多分、夫に、伝えてくれたのだと思います。
「素敵な方だね」

おおお。あああ。ううう。
驚きと嬉しさで、一瞬にして、私は、グルグル巻きになってしまいました。
「ありがとうございます」
ふっ、と、こう返せば良かったハナシだったのですが、ああ、ヘタレの国からやってきた、ちょっといかれ~た女の子のおばちゃんの私は、咄嗟に、
「ちっとも素敵じゃありませんっ。ぐだぐだしながら、やっと生きてますっ」
と、彼に、言い放ってしまったのです。

花火が終わるやいなや、一斉に港から駅の方へ動き出した人の群れのなか、その老人は、せっかく勇気を持って語り褒めた相手からの、思わぬ切り返しに、呆然としたまま、取り残されて、固まっていました。

本当にごめんなさい。
来年の花火の夜も、私は、フェリー埠頭に行こうと思います。
ポリプロピレンの白いテーブルと椅子に、バーバリーらしき帽子を被った、あなたを探そうと思います。
私の、「あやまちの夜」を、正そうと思うのです。
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by chaiyachaiya | 2013-08-29 21:38 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

柘榴の実は弾け、蓮の花は咲く、の記。

その年の秋のお終い頃の宵、左足指の先に、チクリ、違和感を感じ、靴下を脱ぐと、取り替えたばかりの居間の灯りによって、薄くて細長く、大地を踏みしめる命の力強さの宿っていない、縦に割って放置したはんぺんみたいな私の足が、ぬるっと、照らし出された。
「あっ。」
そこに、不思議なものを見た私は、小さく声を上げた。

左足指の先に、それは、唐突に、出来ていたのだった。
桃肌色の蝋細工のような色味を帯び、直径6ミリ程に、実のように、花のように、皮膚と肉が、隆起していた。
文様のような規則性を持って弾けた、稀有な柘榴の形を取りながら、透明感すら感じられる花弁の縁は、うっすらとピンク色で、蓮の花を思わせる。
手の指の腹で、そっと触れるくらいだと、触感がやや過敏に感じられる程度だったが、やや強く押せば、かなり痛む。

スクールシューズのサイズをひとつ大きくし、厚めの靴下を履くことで、やり過ごしているうちに、その、実のような花のような出来物は、ゆっくりではあるが、地熱で溶ける雪のように、私の足指先に、同化して、いつしか姿を消した。

ややあって、或る日の夕刻、突然、激しい腹痛に立っていられなくなり、共なっている高熱も下がらず、白血球の数値の異常な高さから疑われる病の検査をしても、原因まではたどり着けず、取り敢えず、小児病棟に預かられる身の上となった。
様々検査を繰り返しても、原因は、判らないまま、激痛と高熱は収まらない。
そぐわない言い方かもしれないが、私は、順調に弱っていった。

「後は、大学病院へ転院するしかありません。」
小児科の医師は、母に言った。
私には、でも、わかっていた。
大学病院への、私の転院の手続きは、取られることは、ない。

ゴミを燃やす焼却炉でも、近くにあったのか、時折、風に乗って、薄くて真黒い煤の切れ端が、丁度カラスが気紛れに舞ってでもいるかのように、空に上がっていくのを、硝子張りの小児病棟から、見ていた。
「死ぬんだな。」
と、静かに、受けいれていた。

痛み止めと解熱剤と養分の点滴の日々の果てに、或る日、強烈な痒みとともに、四肢の末端に、紅い立体的な発疹が浮き出てきた。

柘榴の実の粒を散らしたようなその出来物がひく頃、症状は和らぎ、私は、助かってしまった。
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by chaiyachaiya | 2013-08-28 13:35 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

水底カメレオン娘になった或る朝の思い出

「◯◯子、もし◯◯子が、こういう顔だったとしても、可愛いと思う気持ちに変わりはないからな。」

資生堂化粧品を扱う近所のお店から貰った「花椿」の、ある見開きの頁に魅入られている私に、父は、言った。

その見開き一面は、陸なのか、水底なのか、青や緑を基調とした彩りに染められていたように思う。
アンドリュー ワイエスの「クリスティーナの世界」のモデル、クリスティーナを、同じようなポーズのまま、うんと幼くして、欧風でややデコラティブな衣装に変え、インカのお面に魚介類の趣き加工を施した顔にして、こちらを向かせたような少女のいる、アートな写真(?)が載っていた。
グロテスク、というには、少女の風情は、いたいけで、愛おしさが優っていた。子供心にも、そう思った。
上からその頁を覗き込んだ父の顔が、どこか嬉しそうだったのは、自分の娘に、愛情を表現する機会を、思わぬ処から得た喜びもあったからだろうか。

それから暫く経た、小学校三年生の、夏の始まりの或る日のことだった。
教室の席に着き、図書室から借りた本を読んで、担任の先生がやって来るのを待つ、朝の自習時間。
タイトルも作者名も忘れてしまったけれど、英国の地方が舞台の、一角獣が少女を異世界へと誘う、少年少女向けファンタジー小説の頁から、ふと、目を逸らしたその時だった。
古びた教室の床に反射する光が、突然、針の痛みをともなって、目を刺してきた。
前の席の子のオレンジ色の下敷きや、アニメのヒーローのペンケースの表面と金具、赤と黒のランドセル、アルト笛入れや算盤ケースのファスナーの銀色、窓の表面。
凡ゆる反射光が、其々夥しい数の鋭い針になって、私の目を、刺してくる。
何が起きたのか、どうなっているのか、知る由もなかった。
唯々、世界は異常に眩しく、その光りは、無数の激しい痛みを齎すものと化してしまった。

「ぶえ〜ぶえ〜。」
と、声を上げて、私は泣いた。
クラスの子らは、振り向いて、固まってしまった。
いたわりようも、慰めようも、いたぶりようもない事態。
もうすぐ、もうちょっとで、先生が来る。
その瞬間まで、誰もどうしようもないだろう、という空気は、逆に有り難かった。

痛みはぎりぎりと酷くなり、泣き喚き続ける私は、自分の視界が、段々狭められていくのを感じている。
目の上下の肉が、泣き腫らした、というレヴェルではない、異常なかたちを取ってしまっているのが、手のひらの感触から伝わってきていた。

・・・人間離れしてしまった形相によって、その日、眼科院で、看護婦さんや待合室の患者さん達からも、変なもてはやされ方をされた私は、それを、受け入れていた。恥ずかしさも、悲しみもなく、父の隣にただ、座っていた。目はもう、針一本程しか開かなくなっていたので、じっと瞑っていた。
「今朝、何か、珍しいものを見たり、触ったり、または、環境の変化など、ありませんでしたか?」
眼科医が尋ねた。
その日の朝、通学路にある時計屋さんでディスプレイされている、ピカピカの銀色の腕時計は見たのだったが・・・。
その朝は、父が焼いたフレンチトーストを食べて、登校していた。母が、一泊旅行に出掛け、不在だったのだ。

「やっぱり、母さんいないと、だめなんだかな。」
眼科医からの帰り道、車のハンドルを握りながら、父が呟いた。

数日ではあったが、両方の目を、眼帯で塞がれたままの日が、続いた。
カメレオンが目を閉じているような、まん丸球体を二つ並べて嵌め込み、針一本分だけ、切れ込みを横に入れたような見てくれに、私はなっていたのだ。
目というものも、限界まで細くなると、殆ど見えなくなるのだな、と、その頃には、落ち着いて感じ入っていた。

「写真に撮っておけば良かったなあ。」
十日ほど経た頃に、父は戯けて言った。
私も、そう思った。かなり、残念に思った。
けれど、二年の後に、リーダー研修会という名の合宿の先で、同じプロセスを踏み、再びあの面相となった時、父も母も私も、カメレオンフェイスとなった顔を、写真に撮ろうなどとは、やはり、思いつかなかった。

「花椿」の写真の少女に、私は、なろうとしていたんだろうか。
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by chaiyachaiya | 2013-08-26 19:51 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

キャンキャン子犬神家の一族とルサンチマン煎餅の明日

あなたの望む場所 そこまで行くには 駅の売店で

ルサンチマン煎餅を買ってからにして下さい

と 制服の駅員が言った

幾年 年月経とうと

キャンキャン子犬神家の一族は

一桁勘違いしたまま

今宵も 攻めてきなさる

彼奴ら

天然仕込みルサンチマン酵母たっぷりの酒を酌み交わし

やって来るんだよなあ

一番怖いことは

私の 血中ルサンチマン濃度が 彼奴らのように

数値を上げてしまうこと

なのに

紺の制服の駅員は

ルサンチマン煎餅が 切符代わりなんだと言う

うんと湿気を吸い 歯列の裏表に こびりつくようになれば 食べ頃

などと ほざくのだった
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by chaiyachaiya | 2013-08-23 18:27 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

お菓子と「怨歌」のおかしな関係について

録画しておいた、ライザ ミネリの母、ジュディ ガーランドの、胸に迫るラストコンサートの映像を見終わったところに、藤圭子さんの死を告げる夕刊が届いた。

「私が歌ったらね、おばさんがね、上手いねえって、褒めてくれるのね。お菓子くれるのね。ああ、有り難いな。人って、やさしいんだな、って感じてね。」

自死、だと推測されている、藤圭子さんが、2007年のテレビ局のインタビューの際、暗く沈んだ調子ではないが、穏やかさや落ち着きとは無縁のうわずった発声で、このように語っているのを、聞いたとたん、ウッ、っと、胸に硬くて重いものが、擡げてきた。

無論私は、少女の藤圭子さんが、お菓子を貰っている場面に同席していたわけではないし、その時代から、数十年経て残っている藤さんの記憶の言葉だけから、ひとりよがりに印象を拾ってしまっただけかもしれないのだが・・・。

何か頑張る。何か披露する。
誰かが、褒め、褒美をくれる。

この場合の、「やさしい」という言葉に、なんだか違和感を感じて、少し悲しい気分になった。

それまで、もし、藤さんが、無条件の受け入れや、無償の愛情を、心身で実感していなかった場合、このような「やさしい」の、感じ方は、やがて、別のカタチを取って、たましいの内側を、蝕んでいくように感じた。

口角を上げて、愛おしそうに褒めてくれ、言葉や物品をくれる大人。

本当は、少女が、むっつりしたまま、歌を口ずさむことがなくても、まわりの人びとが、皆して、愛という名の食物をあげられたなら、物語りのお終いは、ひょっとしたら、違う方を目指したように、思ってしまう。

などというのは、私の、見当外れの勝手な戯れ言なんだろう。
そもそも、そんな“やさしい”展開は、芸術の宿命の女神さまが、許さないのではあるまいか。

しっかりした顔立ちの人だった。
『ずう〜っと暗いイメージでしたが、皆さん、本当の藤圭子さんて、こんなにおちゃらけたひとだったんです』
て、感じに、ヴァラエティ番組で、ギャハハハ、というふうにも、ならなかった。

なんだか、尊く、思えてきた。

けれど、したり顔で、自死に、納得したり肯いたりするわけには、いかないぞ。

遺された者の辛さを、知っているから。
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by chaiyachaiya | 2013-08-23 13:00 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

フィリップ K ディックとアート ブレーキーと父さんの宵

フィリップ K ディック(小文字の表現は最初にXを押す、ということを、今宵初めて知った私です。ああ、幾たびもの、あな恥ずかし)の「父さんもどき」のストーリーを長男から聞いている時、ぶふふっと、思い出してしまったことがあります。
そのぶふふは、ちょっと切ない想い出をともなっています。

幼い頃、父さんの蒲団に潜り込み、父さんから、いっぱい、色んな話しを聞きました。
父さんは、まるで、命の懸かっていない、自発的親父ヴァージョンのシェーラザードみたいでした。
毎月の文藝春秋をダイジェスト版にして、語ってくれました。
文藝春秋といえば、芥川賞。
ハンセン氏病を扱った、宮原昭夫さんの「誰かが触った」を、小学生の私に、解説したり。
アダムソン夫人の「野生のエルザ」の物語りも。

「苦境にあっても、頑張れる、乗り越えられる人になってほしい。」
そう言っていた父さんですが、次の瞬間には、自らを、実は父さんもどきなんだよ、と真顔になって語ってみせるヒトでもありました。
「勝手口の外側にある、プロパンガスのミリタリーグリーンの調整器、何か思い出さないかい? UFOみたいだろう。ああ、実はな、あれは、我々の宇宙船でな。あのガスの調整器に見える宇宙船で、我々は、この地球にやって来たのだよ。そしてな、◯◯子の父さんの身体を乗っ取り、父さんもどきとなって、この地球にいて、地球征服の時を見計らっているんだよ。」
と、父さんは、父さんもどきぶって、楽しげに、話すのでした。

また、「十五少年漂流記」や「シートン動物記」を、旅のお土産に買ってくれる父さんでした。
厳しい物語りを、ぼうっとした幼い娘の将来に良かれと、くれたのでしょう。
でも、「シートン動物記」の、熊の話の挿絵が怖かった記憶以外、私のなかに、何も残っていません。

父さんはまた、アート ブレーキーのファンでもありました。
初夏に訪ねた、京都 四条河原町のジャズバー「HELLO DOLLY」の空気感を思い出し、目下の懸念事項から逃れたい私ですが・・・。
「亡き父が、アート ブレーキーのファンでした。」
と伝えたところ、次の日の夜も、私が腰掛けるやいなや、カウンターの向こう側の男性が、アート ブレーキーのドイツでのライブ版レコードをかけてくれたんです。
出来ることなら、私のタマシイを、そのカウンターに置いてきぼりにしたかったです。

アート ブレーキーや、サラサーテの盤「ツィゴイネルワイゼン」、洋楽全般(ボビー ブラウンのアルバムを所持していたことには、ちょい驚きました)が好きだった父さんですが、夏祭りの季節には、浮世の義理により、町内会主催の盆踊り大会で、太鼓叩きの役目を引き受けていたものです。

「子供や孫が幸せなら、私は、もういいのだ。」
末期癌の壮絶な痛みにさなかに、病室のベッドで、父さんは、私に言ったんです。

ああ。父さんもどきでもいいから、もう一度、父さんに会いたいなあ。
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by chaiyachaiya | 2013-08-18 00:45 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

抜けられない盆踊りとゼリー状の故郷

お盆の墓参りの時期、嘗て実家のあった街のスーパーマーケットに、墓に供える菓子や飲み物を買いに行くと、必ず、天井に埋めこまれたスピーカーから、大音量で流れている曲達がある。
地獄の釜の蓋が開くといわれる、16日を過ぎた頃に始まる祭りの囃子や、本当に地域限定のコアな盆踊りの唄などだ。

昔、京の都と船で行き来していたという証しであろう、祇園祭りのそれを矮化させたような山車の一階(?)から、男衆が鳴り響かせる祭りの囃子は、日の高いうちは、あくまでも怠く、“雅”に辿り着くこともなく、祭りの準備やらの前日の疲れのままに、笛の音や合いの手が流れてくる。
しかし、ひとたび日が隠れると、もう、デスロック以外なら対抗可能ですぜダンナ感溢るる、烈しい音曲と成り代わる。たいそう楽しそうに、響く。
盆踊りの曲の方は、ぷちぷちと、一定の地域の名物(或いは名物にしたい事物)を、網羅しながら、季節の移ろいを表現してある。

私が結婚した最初の夏だった。
母は、抜けられぬつき合いや義理で(母に限ったことではなかろう)、流し踊りメンバーの一員として、街のメインストリートを、進んでいた。
小さな街とはいえ、自分の車のなかった私は、その時間に、大通りまで、行けなかった。
次の年、夫の転勤となれば、ますます、見ることが、出来なくなる、そう思うと、もどかしく、切ないのだった。
盆踊りの曲だけが、遠くに遠くに、それでも、微かなドップラー効果のように、音調を狂わせながら、近づいたり遠退いたりしながら、やがて、なにも聞こえなくなった。

盆踊りなど、見るのも、聞くのも、好きではなかったが、毎年飽くことなく繰り返される、目新しいことの何一つ無い、田舎の小母さん達の行進なのだが、その時は、損なわれていく、予め幻だったものに縋るような、奇妙な気持ちになった。
不覚にも、過去にも未来にも、自分のタマシイが在り、それが故に、胸が痛くなっているような。
・・・そして、私が、盆踊り装束の母の姿を見ることは、それからも、もう、なかった。

お盆の墓参りで訪ねる故郷の、菩提寺の脇を流れる暗い川の所々には、数年前から、ごく小振りに水を吹く噴水が造られ、夜になると、電球色の僅かな灯りが、傍で、うっすらとそれを照らしている。
かと思えば、大きなガラス窓を嵌めた建物の、内にも外にも、発光ダイオードを多量に使う飲食店が増えた。ぽつり、ぽつり、闇のなかに、浮かんでいる。
殆ど熱を持たない明かりである発光ダイオードの、ことに、あのブルーは、私が、毎夜、望むと望まぬにかかわらず見ている、必ずしも此の世のものではない光りの色だ。

夜になると、お盆の故郷の街は、此の世と彼の世の境い目を溶かし始めるらしい。
どこか緩いゼリーの感触がある。ゆらりゆらり、かたちがあるような、ないような。
その生暖かいゼリーの中から、同級生が、微笑みながら、現れた。
お互い、やがて、損なわれていく者同志だと、認識を深めながら、笑って、甘いカクテルを飲んだ。

翌朝、ホテルのガラス張りの食堂から、古い街並みの、建物の、それぞれの裏側が見えた。
錆びたトタン。古い生活道具。捨て置かれた看板。走れない自転車。猫は、もういない。
取り残された記憶の中の、街の裏側が、夏の朝の陽光に照らしだされている。

この街が、私を傷つけることは、もはや、ない。

もう一度花を買い、墓へ行き、手を合わせ、踵を返したのだが、自分が供えた花の色を、記憶に留めておきたくて、ひとたび出口に向かいながら、また父母の墓の前まで戻った。

夏の日差しを受け、檸檬のように、若々しい黄色に明るく透き通った、百合。
淡めのピンクのカーネーション。
紫と白の、小さな蘭。

それらの花々の色味を、しっかりと目の奥に染み込ませた後、再び、私は歩き出した。
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by chaiyachaiya | 2013-08-16 18:10 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

無関係な二つの魂について

一緒に 死んでくれ

と 言われたら

そうする

あなたが もはや

男であれ 女であれ

上記以外の その他 であれ

此の世の者であれ 此の世の埒外の者であれ

肉体を持っていようと なかろうと

意識の表面では

遭いたいと 願ってすらいないのに

幾たびも 遭ってしまう

単純に確率上にあり得ぬ この不可思議

神でなくば 愛と悪意に満ちたサタンの仕業

そして きっとまた

願っていようとなかろうと

不意に遭ってしまう事を お互いに

知っている

あなたが 嘗てあなただったものに成り変わろうと

私が 嘗て私だったものに成り果てようと

一度も一緒に花火を見たことなんてないというのに

夏の夜空の 華やかで儚い祭典を

肩を並べて 見ている

お互いの目の中にうつろう

一瞬の光の瞬きを

この夏の夜も ただ 静かに 感じている
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by chaiyachaiya | 2013-08-11 22:19 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

小さなジュヒーが家に来た時

子猫というには 大人びた風情の 白いふわふわの

段ボール箱に詰められた 雌の幼猫を 受け取りながら

私は 恐れていた

これから生きてゆく新しい場所で

先住猫たちに 受け容れてもらおうとして

威嚇されても 額に猫パンチをくらっても

「こんにちは。こんにちは。わたし、今日からここで、生きることになりました。よろしく。よろしくお願いします。お願いします。」

と 飽くことなく 取り入ろうとするであろう

雌の幼猫に対して その健気さに対して

憎しみに似たものが フッと

胸のなかに 湧きはしまいか と

昔々 健気を 無垢を グシャリ

踏みつけにされた記憶を 封じている者が

なにかを 呼び覚まされてしまうような チクリ

極細の針の葛藤を 覚えるのではないか と

けれど 段ボール箱から出で 直ちに

先住猫たちへ 挨拶を開始し

如何なるかたちで拒まれようと 挫けることのない

目の前の 白いふわふわの女の子は 唯々 私の中に

愛おしさ しか 呼び覚まさなかった

生きていこうとする意志を くっきり持った 小さな命に

敬意すら感じた

私の 猫の娘 猫の女の子 ジュヒー

ここでの暮らしに目処がついた頃に

夕方になると キッチンのカウンターの上

彼女が 夕飯の仕度をする私を 香箱座りのまま

いつまでも見ていた その姿を

今は 懐かしく思い出す
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by chaiyachaiya | 2013-08-06 09:03 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)


猫と日常と非日常
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