ふみちゃこ部屋



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美し過ぎる観音、楊貴妃観音菩薩を観てしまったの記

「三十三間堂、ふふっ、はあ、修学旅行の生徒でいっぱいだし、すぐ見終わりますでしょ。」
ハンドルを握る老女は、言った。
「泉涌寺、楊貴妃観音、見たことありますか? あそこは、修学旅行生もおらんし、ゆっくり、見られますよ」
運転歴24年だという女性ドライバーの提案に従い、泉涌寺まで、乗せてもらった。

楊貴妃観音、ああ、ガイドブックで、見たことあるような、ないような。
畏敬の念の一欠片も抱くことなく、私は、泉涌寺の探索を開始し、楊貴妃観音はこちら➡の指示に従い、私は、つとつとと、歩みを進めたのだった。

そして、ああ。
暗がりのなか、そこに、稀有なる観音が、いらした。

これまで、如何に、美しい仏像、と云われたところで、所詮は、ホトケ様の国の、領内でのみ通用する美しさ、ぼた餅に切れ込み刻んだ目鼻じゃないっすか、と感じていた私なのだが。
ああ。楊貴妃観音よ。
性を凌駕した、穏やかで、唯々、美しい姿の、君よ。

観光案内で見た写真では、豊麗線が目立ち、ブルドックみたく、頬の肉が垂れ下がっているようにすら見えていた、貴女様の御顔。
今は、目の前にある、華のかんばせ。

唯々、貴方は、美しい。
私は、息を止めた。
私の傍で、小さな翼を瞬かせていた、薄紫のシジミチョウも、動きが緩やかになり、そっと息をひそめたように思えた。

もう、観音、とか、仏像、という言葉すら、邪魔だと感じてしまう。
そこに、やさしくて、美しい人が、いる、だけなのだ。

「五月ぐらいに、その手前の床に日が射すと、ほわ〜っと、もっと綺麗に見える日があるんです。」
魅入られた方が、私より先に、いらした。

楊貴妃観音。
彼女の像がプリントされた、美人祈願御守りを買い、泉涌寺の門を出た。

ああ。
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by chaiyachaiya | 2013-06-29 22:34 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

夢のリバーサイドレジデンス・パニックの夢

今住んでいる家と、たたんだ実家が、ああ、夢だから、稜線が溶けあって、ほら、鬼籍に入ったはずの、父さん母さん、生きてるもんね。そう、夢だから。
夢なんだけれど、夢なりのリアリズムは、夢の領分を、いつものように、つつ、と軽く超えてるから、夢とか現実とか、もうそんな境界は関係なく、落ち着いて穏やかに、どんな事態も受け入れる心づもりの私なのだ。

困ったことに、御手洗が、壊れている。というより、便器が消えて、つるんとした床には、洋便器の形跡も無い。住宅密集地にあって、電気を点けないと、ちょっと暗くてどんよりしている感じは、たたんだ実家だよね、父さん母さん。でも、構造は、今住んでるお家みたいなんだよなあ。
それに、猫らの気配もある。そうそう、階段の下に、ドライフードのストックもあるから、ここは、このお家。ああ、父さん母さん。父さん母さん死んだあと、猫飼ったんだ、私。

何で?
窓の外は、豪雪。猛吹雪。
除雪車が、家の前に来ると、車で外出出来なくなるから、その前に、皆で出掛けなきゃ。
何処へ何の為かは判らないのだが、何だか、用事があり、家を出なくてはならないのだ。
皆って、ああ、父さん母さん&私。
猫らが、そわそわしてきたよ。

指輪と首飾り、ちゃんと着けなくちゃ。お外へは、ちょっとお洒落して向かわなきゃ。
何処へ行くのか、わからないまま、臙脂のアクセサリーボックスの蓋を開け、日常使いに適した、地味なデザインのリングとネックレスを取り出そうとしたら、芋蔓式に、ずんずん、派手でデコラティブな宝飾品達が、絡んで、幾らでも、出て来る。
ハリー ウインストン、という言葉が浮かぶ。ファンシーインテンスピンクやイエローの、カラーダイヤモンドてんこ盛りの、ハイジュエリーが、絡み合っている。
嬉しい気持ちは起きなかった。ここに拘泥していては、父母と用事を足しに行けなくなるではないか。

にゃおん。
ジュヒーが、小さく鳴き声をあげ、白くてふわふわの胴体を揺らしながら、私の足元を通り過ぎた。
ああ。出掛けるんだったら、猫ちゃ達に、ご飯とお水、足したり換えたり、してあげなくちゃ。
にゃおん。
窓辺に辿り着き、香箱座りをしたジュヒーが、此方を見て、もう一度、鳴いた。
あれっ。
ジュヒーの背後の窓の向こう側は、幼い頃住んでいた街の、空。空の色で、私は判断した。
いつの間にか、《リバーサイドレジデンス》という川縁のマンションの広い角部屋に、ジュヒーと私は、居た。
父母の気配は、まだあった。
それにしても、大きな窓だ。角部屋だから、くの字に、開かれて、光がいっぱいじゃないですか。こんな部屋に住めるなんて、羨ましいな。え? 誰が?私が?私を?

にゃおん。
ジュヒーの声に、今度は、怯えが滲んでいる。

窓を見遣ると、円谷プロによる【ウー】とは比較にならぬ程に邪悪極まりない顔をした、白っぽい長毛の怪物が、斜め向かいのビルに、キングコングのようによじ登り、その建物の外壁コンクリート片を、こちらに投げつけようとしていた。
ああ。知ってる知ってる。
これは、毎年恒例の、窓の外が、別世界映像になる、アトラクション。いつのまにやら、行政サービスもここまで来たんだ。町内会の力だろか。田舎も、いい加減退屈だし、って、こんなイリュージョンをくれるなんて。
今年は、こんな、恐怖ヴァージョン映像なのね。

怪物が、凄い形相で、如何にも憎々しげに、コンクリートの塊を放ってよこした。

ところが、なんと、したことか、そのコンクリート弾丸は、私の《リバーサイドレジデンス》の、広い窓の下あたりを、音を立てることなく本当に直撃、ベランダの辺りが、実際に破損してしまった。

ええっ、と私が狼狽えているうちにも、その白い魔物は、新たなコンクリートの玉を、近くのビルからもぎ取って、攻撃して来る。今度は、階下の部屋に命中したようだ。

どうしよう。
それでも私は、今や、あるかないかの気配だけになった父母と共に、出掛けなくてはならないと思っている。
その際、ジュヒーが怯えずに済むように、窓のカーテンを閉めるべきなのか、いざという時の為に、状況を把握できるように、カーテンは開けておいたらいいのか、とても、迷っている。

眼が覚めると、布団が吹っ飛んでいた。
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by chaiyachaiya | 2013-06-28 22:54 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

なのに猫は優しい・・・やっぱり愛なんだろうか

人科目の皆が逃げ出してしまうような、凄まじい鼾をかいている同居人の額に、自らのおでこをくっつけて、アビが寝ている

愛なんだろうか


左眼から、赤い眼やにを垂らしているジュヒーの眼に、その透明な水晶体の縁に、目薬を投下しようとして、彼女を捕らえる
ジュヒーは、自らの衣である毛皮から、本体の赤身だけ逃れ出ようとしているように、物凄い勢いで、私の手から逃れようとする
でも、決して、私に爪を立てない

愛なんだろうか


ルーは、日に数度、カリカリご飯や削り節を降らせる人科目に、甘える一方だけれど、今日は、グッタリしている私の鼻孔に、両の前脚の肉球を押し当て、塞ぎ、私が立ち上がざるを得ない状況にしてくれた

愛なんだろうか


愛なんだろうか



猫科目の愛の前に、人科目の愛が霞んで見えそうな夜です
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by chaiyachaiya | 2013-06-26 23:22 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

シルク ド ソレイユ のような蛍光管交換の午後

夏が来れば思い出すことがある。
父の死。母の死。どちらも、夏だった。重い夏。それらの年の盛夏には、太陽が重たくて、肩凝りや偏頭痛になった。陽射しが強い分、事柄の陰翳が際立った夏。

大概、お盆には、観光ホテルなのかビジネスホテルなのか、釈然としない宿に一泊し、墓参りした後、夜、友人と会う。大抵、酒を飲む。明くる日、もう一度、墓前に花を添え、手を合わせ、帰路につく。

その年も、初日の墓参りをした後、友人との夜の時間に備え、そのホテルの数少ない和室で、一家でころころしていたのだったけれど。

「あれ、この部屋の電気つかない」
子等が気づいた。
命にかかわることではなかったけれど、友人と飲み、酩酊状態の私が、どういった体で、部屋に戻り、蒲団まで辿り着くのか考えた場合、部屋の蛍光灯は、新しいものに取り換えて貰うに限る、という考えは、一家の暗黙の思いだったようだ。
フロントに、電話にて、その旨を伝えると、ほどなくして、チェックインの時にフロントにいらした、私をおばさんと言うならば、おじいさん、と言わせていただいて差し支えなさそうな、やや小柄な男性の方が、蛍光管と、脚立を携えて、部屋にやって来た。

部屋には、子等の他に、夫もいた。
フロントのおじいさんは、新聞紙を蛍光灯の真下に敷き、携えてきた銀色の脚立を、Aの字に広げた。
そして、脚立に登り、蛍光管の交換を執り行なおうとしたのだったが。
その脚立は、Aの字に安定させる為の留め金が、万全の状態で、付いてはいなかった。

それから後は、力学上の、何か、重要な実験に立ち会う義務を授けられた気持ちだった。
脚立は、クラクラ揺れ、フロントのおじいさんは、その不安定極まりない脚立の動きに同化一体化することが、蛍光菅取り換えを可能にする唯一の道、と信じて、胴体を、波のように揺らし、道を探っているように見えた。その不完全な脚立とのつきあいも、昨日今日のことではなさそうな様子だった。

「支えてあげないの?」
夫に問うた。
「下手に関わってはいけない、こういう場合は」
こういった状況下にて、我が夫を、夫足らしめる返答であった。
なし崩し的に、人類皆兄弟モードに墜ちていく私とは違い、彼の、こういった場合での身の処し方には、距離を感じるが、リスク管理という観点からすれば、間違っていないのだろう。

真白きワイシャツに、濃い灰色の制服のおじいさんの、安全フック無しの脚立パフォームは、私にとって、もう、極めて地味バージョン シルク ド ソレイユ の 一場面と同じような、目を離そうにも離せない、緊張感をともなった、二度とない、芸術として高められたものとなった。

それでも、夕暮れまで、こうしていたらどうしよう、と、だんだん不安になってくる。
家族の誰もが、口をきくことなく、視界の隅に、シルク ド ソレイユ 擬きを認めつつ、pcでゲームをしたり、文庫本のページに、視線を這わせていた。

おじいさんの真面目さに比例する、滑稽な動きに、声をあげて笑い出しそうな、不謹慎な自分がいた。
理由はともあれ、脚立を支えてあげない夫に、ちょっと憤慨もしていた。

やがて、いつしか、なんとか、蛍光菅の交換は終了し、サーカスの時間は、終ったのだった。

心の身の置きどころに困る午後となった。

その夜は、友人と、いっぱい飲んだ。
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by chaiyachaiya | 2013-06-23 22:29 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

紫の踊りと、てんてんジャンキーさんの法悦

ものごころついた頃、目を瞑ってややすると、いつでも、目蓋に、クレヨンの質感の、幾分桃色がかった紫色が現れ、目蓋ドーム中を、ひどく奥行きのある渦を巻いたり、四方八方から、紫の焔みたいに踊り込んできたりで、本当の黒い真っ暗闇のただなかにあった事はなかった気がする。

人びとが目を閉じても、退屈しないで済むようにしてくれてるんだな、神さまって、凄いなあ、と感じていた。
当たり前だとして、わざわざ口にしなかったのか、心の何処かで、鯉のぼりが怖くて堪らない、という、老若男女の共感を得られない特質の他に、万が一にも、さらなる変人申請になるやもしれぬ事項については、語らぬが良い、と幼いなりの判断があったのか、この事については、黙っていた。

小学校一年の図工の時間、私は、紫の夕空を描いた。隣の席の優等生くんは、緑色で夕闇を表現していた。
「緑色の空はあっても、紫の空はないよ」
女の先生がおっしゃっり、私の紫は、却下、とされた。
その眼鏡のベテラン先生は、私が前屈みで机に向かっていると、椅子を、ガシンッと突つく、というスパルタ方式採用タイプの方で、お陰で、私の近眼は、奇跡的に回復していた。
責任感と愛に溢れた、大好きな先生だった。
その先生に、紫の空はない、と言われると、もう、どうしようもなかった。
緑の空が在ると実感させられるような空の色に、未だ出逢ってはいないのだけれど。
クレヨンのにおいとともに甦る、記憶のなかの、やけに彩りのくっきりしたミステリー。

遡って幼稚園の時代、或る夕刻、画用紙を線で3分割し、其々を色味の異なる3色編成の点々で、主にキレイめパステルカラーだけ使用のポロックかカンデインスキーか、のよーな絵を、描いていた時だった。や、ただ夢中になって、ピンク、水色、黄色、黄緑、オレンジ色、紫色、を組み合わせ、ひたすら点々行為に耽っていたのであったが。
「そういうの書くのは、狂った人だ」
地に足のつかない幼児の私(地に足のついている幼児、というのもまた、なんですが)の将来を慮り、父が、真上から、苦言を呈してくれた。
ぴたり。私のてんてんワールドは、その日の夕方をもって、永遠に閉園となった。

今年に入ってからだろうか、ダ ヴィンチの「モナリザ」も、ミクロの点々で出来ている、という特集をTVで見た時、ふふっ、と勝ったも同然な笑みで口許を歪めた自信はある。
我が魂に、てんてん王国の再興なのだ。

などと言っても、自由に自らのてんてんワールドに遊んだ時間を続行していたとして、草間弥生さんのような世界を創造出来るわけでもなく、父の危惧した如く、何らかのカタチで、悲しいだけのてんてんジャンキーさんになっていただけかもしれない。

図工の時間。再び。今度は、小学四年生の初夏。校外スケッチから戻ってきて、水彩絵の具で仕上げにかかっていた時だった。
その先に何があるのか、坂道の向こう側、丘、という地形や、曲がりくねった川の見えない向こう世界に、この世ならぬ不思議な何か、眺めが在る気がして、神秘を感じ、ドキドキしてしまう私は、樹々の影の暗がりを抱く、そのカーブしている川面を、ちょっと妖しさに寄って描いてしまったらしい。
「現実じゃない」
おっしゃるやいなや、女の中年の先生は、そこには現実には存在していなかった、かっぱえびせん と記された段ボール箱(大)を、書き足した。
きっと、その先生も、私の未来を案じ、現実を象徴するアイテムとして、かっぱえびせん段ボール を、くれたのだろう。
おおお。昭和の先生も、なかなかのものであったことよの。

ところで、てんてんワールドから出でて、オトナのよーな者として、愚図愚図生きていた時(あ、それは、今も、かもしれぬが)、目蓋に紫の揺蕩いを見ることも、絶えてなくなっていたのだけれど・・・。

紫の踊りの復活は、あの、座敷童子さんで知られる宿に、幾泊かした事が、きっかけだった。
息を飲むほどの美しい紫色だけでなく、剰え、心ならずも打ち捨てた、てんてん達まで、しかも、光りの点々、無数の瞬きとして、私の世界に、現れるようになった。再び、目蓋プラネタリウムが、賑わうようになった。

私は、只々、不思議がるしか、出来ない。
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by chaiyachaiya | 2013-06-19 22:37 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(3)

消されたゴールドライセンスと、サヘルさん、佐村河内さんに泣いた夜

旅で知り合った方に礼状を送り、スーパーマーケットで、割引き品を求め、ささやかな幸福感に満たされて、自家用車にて家路を、ゆったりと進めていた私でした。
車内のスピーカーからは、日活ボリウッドフォーのうち、シャール・カーン主演の「JAB TAK HAI JAAN」(邦題 命ある限り)のCDの4曲名の、女性ヴォーカルによる静かなバラード『HEER』が流れていました。シャールク・カーン演じるサミールに、ヒロイン、ミラ の思いが、少しづつ流れ揺蕩うような、しっとりとした、どこか物悲しい一曲です。

とても素晴らしく見通し見晴らしの良い曲がり角を、ゆっくりと曲がったところ、紺色の制服を着た若者達に、手招きされました。
この先での、工事か何かの知らせなのか、ごく近くで事件が起き、情報提供を求められているのか、一体何なのかしら、と訝しがっていたのですが、その場で起きた事件とは、しいて言えば、私が、一時停止を怠った、というものなのでした。
「最徐行され、充分に安全確認をされたのも、わかっています。でも、一時停止、してませんでした」
若い制服の方が、言われました。

多分、色んな意味での、私の無知によるものだと思うのですが、事態を良く理解出来ず、只、眩暈がしました。
そして、ガザ地区、シリア南部アレッポ、チベット自治区、のイメージが、何故だかざくざくと、頭に刺さってきました。

「最徐行をし、充分に安全確認をした者であれ、はっきりとタイヤを止め、一時停止をしなかった者は、その場で射殺するように」
こういった文言の通達が、命令があれば、紺色の制服の人は、法を犯した者達に、躊躇することなく、プスン、ぷすん、引き金を引くのかなあ。
と、また極端なイメージにとらわれながら、
「暑いので、熱中症になりませんように」
なんでか、私は、制服の若い人に言っていたのでした。

帰宅後、録画していた「旅の力 」『失われた故郷の記憶を求めて〜サヘル・ローズ イラン〜』を見ました。
サヘルさんは、上野の国立博物館からの中継の際、
「この方が、国立博物館の〔生き地獄〕と言われている方です」(正しくは、〔 〕内は、生き地獄ではなく、生き字引。)
「これが、磁石のS極とM極です」(・・・S極とN極)
そして、博物館の展示ガラスケースの存在をうっかり失念され、近づき、ごおおおおお〜ん、と、その美しい鼻先をぶつけられ、スタッフから手渡されたテイッシュペーパーで、取り敢えず、自らの鼻を押さえ、「違うよ。じゃなくて、化粧着いちゃったガラスの方、拭くためなの」と、爆笑問題のひとに、突っ込まれたりしていらした。

以前、阿部なお さん作の人形、確か『額田王』だったと思いますが、嫋やかな女性の後ろ姿が見たく、ガラスの存在を忘れ、額を、ごおおおおお〜ん、と(サヘルさんと違い、ニホンジンな私は、鼻先ではなく、デコから)ぶつけたことのある私は、勝手に親しみを感じていたのです。(ちなみに、一緒に展示を見ていた家族は、さささ〜っと、と私の傍から散らばり、他人の振り、というパターンを決めこんだのでした。くくく。)

・・・「旅の力」で、同じイランの地での、『ペルセポリス』のマルジャン・サトラピさんとは、また違う、苛酷な状況でのサヘルさんの頑張りや、フローラさんという、サヘルさんの育てのお母さんの、思いを貫く稀有な生き方に、心打たれ、図らずも、ちょっと泣いてしまいました。

続いて、作曲家の佐村河内守さんの特集を見ていた頬の上で、涙の量は劇的に増加、私はいつしか、ひくひく、小さな嗚咽の声を漏らしていました。
海岸で6夜の野営を張り、被災地の亡くなられた方々の無念さ、自然相手さ故のぶつけようのない気持ちを慮り、その果てに、音を得る、自らの耳は自由ではない、佐村河内守さん。
室内を、這って移動されている様子も、放映されていました。

その荒行苦行の先に、交響曲を書く、芸術を創る、という深みまでゆく方と、自分を、同じく考えることに、なんとなし違和感も覚えますが、私は、自分以外のひとの苦しみ悲しみを、一個でも、ナノグラム(?)でも、こんなふうには引き受けたことなど、全く無いのだと、改めて気づかされました。

好い人ぶるのが、実はライフワークみてえな、薄っぺらりんな人間が、この私のようです。

でも、そんな自分を、これまでのように、頭から否定する気力も、無いんでした。
なくした自らのゴールド免許ライセンスを嘆きつつ、眠りにつくだけが精一杯な夜なのでした。
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by chaiyachaiya | 2013-06-17 20:07 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

成田亨のウルトラ怪獣と馬場隆志さんの備前焼

京都市立美術館における「リヒテンシュタイン展」では、同東京展で、人気があった、人形を抱いたまま眠るおさなごを、暖かくやわらかな光りのなかに捉えた「マリー侯女2歳の肖像」(図録で見ても、画面の外側から見護る天界からの微風で、幼女の巻き毛が揺れはしまいかと感じてしまうほどなのです)など、幾つかの作品は、展示されていず、京都に先だっての、国立新美術館の展示は、天井も含め、リヒテンシュタインの城を彷彿させる華麗な演出もあったそうなので、ちょっとばかり、しょんぼりして会場を後にしました。

それでも、京都市美術館の建物自体の、やや古いものとなった美しい建物の持つ魅力に敬意を感じ、建物全景が納まるよう、後退りしながら写真を撮り、「ここ、真〜直ぐ、歩いたら、知恩院まで、いけますよ」と朝に乗ったタクシーの老運転手さんの言葉を思い出し、「いざ、ゆくぞっ」と歩みを進めた時でした。

「備前焼、ご覧になりませんか? ここからすぐ近くです」
炎天下、ひとりの青年が、パンフレットを手に、声を掛けてきたんです。
「これ、僕です」
“たなごころのこころ at 京都 ”と題された、備前焼の若手作家6人による展示会が、本当にすぐ近くの〔みやこめっせ〕で催されているとのこと。目の前の青年と同じ顔の写真が、差し出されたパンフレットのなかにありました。
ひょんなこと、偶然により、知らないことを思い知らされるのは、脳への心地よい刺激であり、私の精神のヘタレ予防の特効薬です。
「見にいきますっ」
応えた私でした。

「焼物、備前焼、好きですか?」
という備前焼作家からの、[みやこめっせ]に向かいながらの問いに、
「いえ、好きなのは、ガラスとか、透き通ってキラキラ、虹色に輝いたりするものだけです。子どもの時に綺麗だと思ったものを、そのままずっと、好きなまんまで、ほれ、これですもん」
私は、自分のバッグの取っ手にぶら下がった、虹色の縞縞スカートを穿いた、小さなボリビアの少女の人形や、ピンクの革で出来たおすわり猫ちゃの上に、いろんな色のガラス小粒がラインを描いているもの、淡い水色の飴を透明なアクリルか何かに閉じこめたもの、本物だったら、ドバイに大っきなプール付き別荘が買えるかもしれない、オーバル型巨大キュービックジルコニア、を指して言いました。

会場に案内される途中、更に、到着してからも、普段、余計なことは何ひとつ言わず、はみ出すような行いはせず、伏し目がちに、そそとして、日常をこなしている私(あ、来世では、きっと、って最初に記すのを忘れました)なのに、「田舎もんだ」「門外漢だ」「オバちゃんだ」の“三本の矢”政策(どこかで最近聞きました)を卑怯な拠り所にして、失礼であろう質問を、真っしぐら、その若手作家の方に繰り返していました。

「あのう、同じ焼物でも、普通のと、作家もの、って、その境い目って、どんな感じなんですか?」
「これ、値段、0の数、も一個増えたらいいですね。あ、俗っぽいですね。賞を取ると変わっていくんですか?」etc etc...
おお。あああ。

彼は、これらの不躾な質問に、微笑みながら、真摯に答えかけていたのですが、私は、目に付くもの、作品について、次々に、「おっ」「あっ」と声をあげては、次の質問にはいってしまい、非礼を重ねていたのです。

そして、彼の作品のなかに、「おあっ」と、感じるオブジェがあり、またしても、私は、直ぐに言葉にしてしまったのですが・・・。
「あのう、ウルトラQとか、ウルトラマン、セブンまでの、マンや怪獣のデザイン、成田亨というひとだったんですが、この作品に、その怪獣たちの、謂れなく滅ぼされた怪獣の哀しみの遺伝子が、入っているように感じます」
ああ、言っちまった、と思う瞬間には、もう言ってしまっていました。
それは多分、短い時間のやり取りのなかで、私なりに、この青年作家は、気分を荒立てることなく、こちらの言葉を受けとめてくれるだろう、という確信を得ていたので、口に出来たのだと思います。実際また、そうでした。

・・・TVで、円谷プロによるウルトラシリーズが放映され始めた時代といえば、じわじわと、環境破壊問題が表面化してきた頃で、成田亨の造形は、今から思えば、地球の、大地の痛み、哀しみに裏打ちされているようで、なにか子どもながら、見ていて、切なかったのですが・・・。
目の前の、備前焼の作品は、初めは私の心の内側で、同じ哀しみの韻を踏んでしまったものの、一歩ひいて、もう一度見た時、そこにあるものは、哀しみではかった気がします。
若い手によって、地球の、大地の、痛み哀しみは癒され、造り直され、本来のエネルギーを取り戻し、大地の、土の、喜びに転化されてしまったようでした。

焼物、備前焼、器から、大きめのオブジェまで、新しい世界を見せてもらったものの、私が手に出来る値段のものなどなかろうし、では、そろりそろり、退場しなくては、と踵を返しかけた時、
「あっ」
彼が、小さく声をあげ、日常使いの器のコーナーへと向かい、一枚の中皿を指しました。
「あっ」
今度は、私が、声を出しました。
ほんわりと、備前の地肌の表面に、虹色が弛立って見える一枚が、あったのです。
まさしく、私の、《こんなのあったらいいな》のど真ん中の作品でした。
伝統の渋さや、侘、寂、に、つうー、と、はけられた、虹の彩り。
そして、私が手に出来る値がつけられています。
「く、くださいっ」

初備前焼を受け取り、にこにこ顏絶好調続行状態な私が、そのまま階段を目指そうとすると、一瞬の不思議な沈黙の後・・・。
「すみません、まだ」
「ぶああっ」
お代を支払っていませんでした。最後まで、見事なオバさん振りを発揮してしまったとです。

帰宅後、備前焼の小品が、居間のテーブルの上にあることの、静かな幸せが、私のこころに、滋味となって染みています。

私が、出逢ったのは、馬場隆志 さんという、若手備前作家の方でした。
一人でも多くの人に、備前焼に触れてほしい、という熱意と、なんていいますか、育ちの良さ、を感じました。

[みやこめっせ]で、もっとゆっくり時間をかけて、6人の若手備前焼作家の方々の作品を観れば良かった、とは、旅から日常に帰った今となっては、後の祭りな、初夏の真昼です。
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by chaiyachaiya | 2013-06-12 13:08 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
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