ふみちゃこ部屋



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ボリウッド三大カーンの襲来と削り節吹雪の夜

日活様、有難うございます。
地方都市で、ボリウッドムービーが、四本も観られるなんて、ああ、私の目が黒いうちに、こんな僥倖に会うとは、思っていませんでした。
でっかい画面、日本語字幕付き、おおお。

数年前の夏、私は、こんな、いと小さきぼやきを漏らしていた。
「インド映画好きな人って、韓流ファンの何十分の一もいないんだろうね。お、おらあ、いつも、マイノリティだったかんね〜」
間髪無く、本当はいと心優しき幼稚園からの同級生N氏が、
「◯◯子、君は、マイノリティですらない、ひとりなんだって」
と、返してきたのだが、ふっ、形勢は変わるやもしれぬ。

・・・走る電車やバスの上に鈴生り状態で、白い歯列を見せた笑顔で、ヒロインダンサー以外は、命綱無しで、踊ったりするインド映画。目の眩むような高さの鉄橋を、そのままの余裕の表情で、踊って渡る。あの電車の上に立つシルエットは、ボリウッドキング、シャールク カーンそのものだけれど、本当に本物なのだろか。
スイスの、雪の山々を背景に、時には、真白き山の懐に入り、サリーやチュニアチュリ(インドっぽいブラウス&スカート)で、仰け反り舞うインド女優。
美しく生まれてきてしまい、モデルとして生きるならば、必要なことは、巡り逢わせと、ポージングなど。女優になるなら、巡り逢わせと、演技の力など。
でも、インドで女優として張っていくには、ダンスも、ちっとはこなせなくては。
ボリウッドアクトレスは、おすましポーズで固まってなどいられない。ダンスアクトの中には、伝統の様式を織り込んだものもあるから、ちょっと滑稽な表情や動きもして見せなくてはならない。

シャールク カーン、サルマン カーン、アーミル カーン、の、今季襲来中のボリウッド三大カーンは、今、既に四十台半ば過ぎで、加齢による渋みにより、顔の濃ゆさが軽減され、何とか日本人にも受け入れられやすい状態になっていると思うのだが、若い頃の彼らの顔は、濃ゆ可愛いお人形たんみたいだった。
シャールクだけ、可愛いに野獣要素が混じり、それを神秘的と解釈した私は、シャールク カーン大好きばあさんとなった。

しかし、タミル語圏のスーパースター ラジニカーントの後、この国で、インド映画、ボリウッド製の一本がヒットするとしても、シャールク カーン主演のものではないのだろうな、と思っていた。
東南アジア各国や、近年アスペルガー症候群の男性を演じた「マイ ネーム イズ カーン」公開以降、ドイツでも人気の高いシャールクなのだが、インドで一番セクシーな男に選ばれたりする結果、例えばダンスシーンにおいて、フェロモン出さなきゃ、ここで、ファンは、ググッと来るとこだし的に、無駄に頑張っている感を、私などは感じてしまう。

今回襲来中(ひ、ひつこい)の、日活ボリウッド4の作品のうち、スピルバーグ監督が3度観て、世界の幾つもの国で、リメイクが決まっている「3idiots」邦題「きっと、うまくいく」は、インドの歴史を絡めた作品の「LAGAAN」で、主演やプロデュースを務めた、3カーン中最もインテリげんちゃん数値の高そうなアーミル カーンの主演作品だ。
よくよく練られた脚本のなかに、死、友情、恋、誕生etcが、こってりしっかり、伏線ばっちり、笑いとともに、迫ってきて、飽きさせなかった。
一緒に観に行った友人の鼻をすする音が、映画の中盤前から、頻回に聞こえてきていた。
「あれ、花粉症、まだ引きずっていたんだっけ?」
と、映画終了後、野暮な質問をしてしまった。
友人は、節目節目に、律儀に、涙していたのだった。ちなみに、彼女は、シャールク カーンが、ヒロイン女優ジュヒー チャウラと来日した際、生シャールクに会った勇者である。

風にロングヘアを靡かせ、駆けるヒロイン、胸を反らして両手を広げ、それを受けとめるヒーロー。
日本の映画館では、インド映画ダンスシーンに概ねもれなく付いてくる、この手の場面で笑いが起こるという。数日前、英語のリチャード チェンバレン先生(仮称)に、そんなインド映画特有のシーンを説明し、訊いてみたところ、「それは、自分も、自国民も、笑うだろう」とのことであった。

「きっと、うまくいく」が、新宿で満員御礼も出ているという理由には、脚本の良さ、前評判も大いに関係しているのだろうが、ダンスシーンに、フェロモンごとやらセクシー事象(?)を交えず、もう徹底してお笑いのパートとして撮った、という事もあるように思う。日本人の観客の気持ちを後退りさせずに済んだのではあるまいか。そもそも、ダンスシーンは、これまでのインド映画に比べると、少なめだった。
その分がいい意味でドラマにまわったことも、インドのみならず、これまでのインド映画圏以外の国での成功に繋がった理由の気がする。

・・・インド映画。濃い顔の人びとの濃い顔の人びとによる濃い顔の人びとのための映画。ああ。
濃くない顔の人びとにも、もっと浸透したらいいな。

「きっと、うまくいく」鑑賞の後、インドカレー屋さんで、友人とインド映画話しに極彩色の花(?)を咲かせたその夜、私は、とってもいい夢を見た。
「きっと、うまくいく」のヒロイン女優、カリーナ カプールのようなものになって、私は、インドのアカデミー賞、フィルムフェアー賞の、ベストアクトレスとして、大歓声を受け、ライトを浴び、ハラハラと花吹雪も降り注ぐなか、、今まさに、ステージに上がろうとゴージャスなピンクのドレスの裾を持ち上げようとしていた。
その時だ。
ふと見降ろした私の手のひらが、トップ女優である私の手のひらが、肉球付きの、猫のそれになっていた。
「ドレスの裾、爪で引っ掛けて持ち上げるっきゃないのか?」
と、それでも呑気な事を考えてる私に落ちて来る花びら達も、損じた押し花のように色褪せ、あれ、なんだか生臭い。あ、あれ〜っ、これ、削り節だあああああ〜っ。

目覚めると、既に朝ぼらけの空気のなか、うちの飼い猫のジュヒーが、私の顔の傍で、こちらを見ていた。ジュヒーのふたつの小さな鼻腔から、柔らかな風が、そっと、規則的に、吹いてくる。
私の鼻の息で、ジュヒーの極細のロングヘアーも、揺れている。

まだ夢から抜け切らない私は、ジュヒーと私の、ダブルヒロインが、猫ボリウッドで、風を受けながら、ロマンチックなダンスシーンを撮り始めてでもいるような、よくわからない心持ちのまま、暫しぼうっとし続けたのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-05-23 23:08 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

富岡多恵子さんの言葉と橋下市長と無言の猫

「ここで預かって、誰も引き取る人が現れなかったら、・・・そういう事になりますが、本当に、いいんですね」

TVの画面の向こうで、愛護センターという名の下、収容された犬や猫が、致し方なき場合、命を奪われるという、究極の『致し方無さ』が、実行されるのだがと、職員の男性は、今一度、老女に問うていた。

「仕方がないの、ゴメンね。飼っちゃダメだっていうの、バレちゃって、二匹もだと、もう大目に見てもらえないのよ」
老女は、キャリーを、動物愛護センターの、裏側の窓口に、差し出した。
ややあって、さっきまで猫が入っていた、空っぽの容器が、彼女の手に戻された。

老女は、二匹の猫が連れていかれた建物の奥の暗がりを振り返り、
「いっぱい楽しませてもらったから、未練があるのよ」
と、言ったのだった。
もしかしたら善良で、極めて自分本位で、強烈に正直な言葉に、私は、眩暈を覚えた。
かといって、例えば、
「これまで、私という老人の孤独と無聊を慰めてくれた猫達には、魂の底から、申し訳なく思い、許しを乞いたい気持ちです」
などと言ったとしても、結局は、人間の都合の手で生かし、挙句、人間の都合の手で殺める、という同じお話しなのだ。ああ。
遣る瀬無いと感じつつ、私も、傍にいる猫らを、さしあたって生かしてはいるが、にんげんである以上、きっと、何処かで間接的に、遠くにいる猫らの命殺めの側で、ぬくぬく生きているような気がしてならない。

正直だったり、正確だったり、事実だったりすると、時には人は、魂の身の置き場に困ってしまいそうだ。歪められていても苦しいし、真実だけど事実とは違う、とか、その逆バージョンもありそうで、私のアタマには難しい問題へと、いつしかそれは繋がっていく。

人間の魂の数だけ、真実が揃っているらしく、本当によく解らないけれど、その問題では、当時の当事者も、傍観せざるを得なかった人々も、酷く傷ついたままなのだろう。
癒えたかに見えても、命ある限り、飽くことなく、魂は苛まれ続けるのではないか。

只々、「慰安婦」という存在なくして闘えないんだったら、最初から、戦争なんか、殺し合いなんか、するなよ、人間、と言いたい。のだが。
「きみは全ての意味で現実を知らない。人間を知らない。男を知らない。戦争についても何も知らないから、綺麗事をほざけるのだ」
と、したり顔のヒトに上から目線で言われると、何と返したら良いか、あまりわからなくなるので情けない。

・・・話しは逸れるが、煙草は健康に滅茶苦茶悪いものだ、人類にとって間違いだった、となれば、栄光のマクラーレンホンダの、ミニカーの車体からも、あれ程象徴的で、もう殆ど歴史の一部のような、Marlboro の文字を抹殺(?)した欧米の徹底振りを思うと、「過去の大戦では、欧米だって同じ事をしていたし云々」というのは、やはり受け入れられないようにも感じる。

また、「文章の読解力がない」ということにおいてだが、Twitterなどでは、文章全体をあえて読解せず、或いは、読み解いた上で、とぼけて、突つくに適した一行にスポットを当てる、という手法の遣い手が、今はちょっと逆の立場になっているのかな、とも思ってしまう。

もう三十年以上前のこと、故 池田満寿夫の恋人だったこともある、作家の富岡多恵子さんが、エッセイの中で、このような意味の事を言っていらした。
「性の問題は、隠蔽し過ぎても、白昼の日の光りに曝し過ぎても、様子がよろしくない」

過剰な隠蔽も曝しも無しで済むように、人びとが罪を犯さず、そこそこ、緩く緩く、暮らしていけますように、と、ちっとは主張しているつもりだが、いつの間にか、『無言の猫』の側に配置されていても気づかないであろう私が、勝手に願っているだけかもしれない真夜中なのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-05-20 23:07 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

門外漢が読んでしまった「フルトベングラー夫妻、愛の往復書簡」

ヴィルヘルム・フルトベングラーは、『振ると面食らう』と、敬意をもって(?)揶揄されるように、かなりのベテランで、様々なマエストロの許、其々の巨匠達のクセに対応出来る力量を身につけた楽師でなければ、その指揮棒の下で、上手く奏でるのは、容易でなかったと云う。

私は、フルトベングラーの音楽に対する情熱の、微塵も理解してはいない。
只、フルトベングラーの髑髏が、その形が、妙に愛しく、懐かしく感じるだけの門外漢だ。
自分でも、不思議で堪らないのだけれど・・・。
カラヤンとは違う、第三帝国との距離の取り方、身の処し方、戦後の微妙に不当な扱われ方も含めて、興味があるからなのか、よくわからないのだけれど・・・。

書店にて、「エリザベート・フルトベングラー 101歳の少女 フルトベングラー夫妻、愛の往復書簡」という本を見てしまったから、手に入れて、取り敢えず読み進むしか、私には、術がなかった。

・・・取材当時、インタビュアーが、60代半ば、エリザベート・フルトベングラー未亡人、90代半ば、ということであった。
因みに、101歳の少女、という邦題は、日本において出版された時点での、未亡人の年齢である。

・・・一世紀近く生きた結果、ということは、こういう事なのか、
「ええ、私の母、カテインカは、次々にお金持ちの男を求めて、結婚離婚を繰り返していたのよ」
「別れた父からの手紙は、私達、読まないことにしてたの。だって、彼は、自殺しそうだったんですもの」
「母には、嫌いな面もあったけれど、いいところもあったの」
彼女の半生に、良くも悪くも影響を及ぼした、一時国会議員でもあった母親についてのコメントである。自らについても、同じトーンである。一世紀近く生きた結果、もう、自分をも他者をも、厳しい言葉で表す必要がないのだろう。

インタビュアーの、
「あなたはフルトベングラーとの間に幾人か子供をもうけていますが、誰も、父親のような大人物は出ていません。偉大な親の元に生まれた子どもは、葛藤するといいますが、それはありませんでしたか?」
おおお。恐るべし、ドイツのインタビュアー、そこを母親に聞くのか、と、私は、ちょっと動悸がしたのだが、エリザベートは、こう返している。
「ありません。我が家では、専門性と人間性は、全く別のものだとしてきましたので」
当たり前のことだが、改めて聞かされると、何だか新鮮に響いた。

ところで、日にちを要するインタビューに際して、エリザベート夫人は、インタビュアーのクラウス・ラング氏に、敷地内にある山小屋のような建物を貸してくれたのだが、クラウスは、渡された鍵を、鍵穴に入れても、なかなか開けることが出来ずじまいだった。未亡人は、一瞬で、こともなげに解錠していたのに・・・。
何かコツがあるのかと尋ね、今一度鍵の開け閉めを目の前でしてもらった末に、彼は、驚愕の事実に気づかされた。
解錠は、要領の如何とは一切関係がなく、ひたすら、握力の問題だったのだ。

ああ。エリザベート夫人の一世紀生きてもなお衰えぬ筋力、生命力に脱帽!!

また、この本には、ベッドで永遠の眠りを得た、フルトベングラーの上半身の横顔の写真が載せられている。愛おしく、切ない、頚長のデスマスク。
「彼は、驚くほど頚の長い人でしたね」
と、インタビュアー。
「ええ、本当に、そうでした」
と、未亡人。
「おお、そうだったのか」
と、本の頁の外の私。

そういえば、父方の祖父もまた、『驚くほど頚の長い人物』だったと、母から聞いたことがある。
事情があり、名乗り合うこともなく逝ったその祖父は、生前、私が通うカソリック幼稚園に現れ、園庭から、距離を持って、私を見ていたことがあるらしい。

ずっと以前、フレディ・マーキュリーが好きだと言う私に、
「そのタイツ男と同じような顔が、うちの先祖にざらにいる。凄いもんだなあ。先祖の血が呼んでるんだなあ」
父は、しみじみ言っていた。

顔も知らない父方の祖父は、きっと、フレディ・マーキュリー似で、後頭部の形状とか頚の長さは、ヴィルヘルム・フルトベングラータイプだったのでは、なかろうか。

だから何なのだ、というハナシで、悦に入る私なのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-05-14 20:59 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

廃仏毀釈と魂の鳥インフルエンザ

わ、私は、本を読んだり、文章を書くのが、嫌いじゃない、どちらかといいますと、好きなのですが、その割に、基本的な漢字の読み方が、あまり出来ておらず、自らの無知振りにガックリくることの多い人生を送っています。

二十代の終わり頃まで、「赤裸々」を、あかはだか、と信じて読んでいましたし、「断末魔」を「断殺魔」と書き、だんさつま、と自信を持って発音、小説の公募の際にも、『利夜子の魂の断殺魔の苦しみは、云々くんぬん〜』と記しちゃったりの過去があります。

そして、2013年の春の黄金週間明けのこの日、近年我ながら稀に見る大間違いを、再確認するに至りました。

「廃仏毀釈」ハイブツキシャク、という言葉であります。
いえ、意味は、幕末から戦後まで行われた仏教排斥運動、みたいなことだと、もやっとした理解のもと、何とか生きてきていました。
ただ、漢字を、きっちりとイメージすることが出来ていなかったようです。あ、予め、ちゃんと覚えていなかった・・・。
『廃仏』までは、良いんですが、『毀釈』を、『希釈』と、ぬるっと、記憶違えしたまま、人生の時間を、うっかり遣り過していたのです。うう。
・・・「廃仏希釈」。おおお。廃した仏像を、超微塵切りにした後、大容量の水槽に投下、何百、何千百倍、何億倍かに希釈し、そうすることによって、仏像から、魂を抜き、本当の廃仏と成る。そ、そっかあ〜。
ふっ、凄いぞ。廃仏希釈。そして、佳い語感だっ。日本語ってば、何だか侮れないなあ。

ああ。自分の阿呆さ加減に、爆笑しながらも、一方では、春の気塞ぎの症状が、暗い彩りを深めていたこの頃。

「いやあ、気塞ぎの病、ってえのは、心の風邪みたいなもんなんだってね」
と、同居する者が、からから、と言うので、私は、
「や、いや、あてくしのは、心よかもっと深くて捉えどころがない魂の、しかも、風邪なんかじゃあなくて、レベルとしては、鳥インフルエンザだからなあ。困った、くまった」
などと、嘯き返すのでした。
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by chaiyachaiya | 2013-05-12 22:32 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

チンチラペルシャの娘より、人間の母への、取り敢えず一通目の手紙

か〜たん

か〜たん

これ以上 か〜たんが 鬱々してたら

わたしの頬 ストレスで また赤身になってしまいます

やめてください

それから

トライCMのクララの真似して 繰り返す

「どうもこうもこのざまよ」

も ほぼ完璧に真似て 流石だとは思うんですが

いい加減飽きてきたので やめてください

お願いちまつ
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by chaiyachaiya | 2013-05-11 13:51 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

アビシニアンの父より人間の娘への、取り敢えず一通目の手紙

大変な年月じゃったのう

お前の身に起きたコトは

俄かには 信じてもらえぬ

信じてもらえたとて

人の共感を得ることはない

おれおれ

わしの尻尾に 伝来の墨汁をたっぷり染み込ませて

描くが良いぞ

お前だけの 愛しい世界地図を

砂漠の味のする この世界

思うがまま 生きてみるのじゃ
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by chaiyachaiya | 2013-05-10 23:27 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

太郎、寛斎、鮪、そして、幻のメタリック鯉のぼり

寒い冬を生き延びた後にやって来る、春の晴天の翌日に、雹に頬を打たれたりもする、不安定な時期の空に泳ぐからこそ、私にとって、鯉のぼりは、一層怖いのかもしれません。

・・・この頃は、居間のレースのカーテン越しに見える、近所の家々の方がたてる鯉のぼり本体やその影に、怯えることも、殆ど無くなってしまいました。
街々の子らは成長して、いろんな意味で、もう、子どもと言える存在が、少なくなってきたのでしょうか。鯉のぼりが空に揺れる姿を、以前ほど、見かけなくなりました。
近所のスーパーの食品売り場の天井近くに、真鯉緋鯉子ども鯉揃ってはられていたのは、いつの頃までだったでしょう。新しい店舗に分け与えたりしたのか、いつしか、真鯉だけになり、昨年あたりから、青果売り場のうえにも、鯉のぼりは、もう、飾られていません。

「うわ〜っ、怖いよお〜っ」「ぎゃあ〜っ、また鯉のぼり、いたよお〜っ」
などと、道すがら、或いはショッピングモールで、大声を出しながら、仰け反ったりしているうちに、自らの春の自律神経の不調を、調律していたようにも、だんだん思えてきています。

むしろ、今年などは、TVニュース番組で、ダム湖や公園や川の両岸に、寄付された、大量の、多種多様な鯉のぼりが泳ぐ、壮観な映像を見るだけで、この時期をやり過ごさなければならないのが、なんとなく、寂しくすら感じてもいます。

・・・ところで、これまでに見た鯉のぼりで、私にとって、あまり怖くない、といえば、山本寛斎デザイン鯉、岡本太郎鯉、鮪で知られる大間の「鮪のぼり」(あ、鮪だという時点で、既に鯉のぼりではありませんが)があります。
寛斎鯉も太郎鯉も、独自の装飾性やクセにより、本来の、私の恐怖のツボである、オーソドックスな鯉のぼりの王道から、やや外れている分、恐怖の度合いは弱められます。
鮪のぼりは、そもそも、鯉のぼりの本来の瞳、鱗、鰭、の文様から解放されています。色合いの地味な大漁旗のように解釈してしまう私がいるのです。

それでも、寛斎鯉であれ、太郎鯉であれ、鮪のぼりであっても、五月の薫風を受けて、傍で泳ぐのを見るのは、かなりの勇気が要ります。

こんな私にも、たった一つ、殆ど恐怖を感じることのない、鯉のぼり、がありました。

・・・その鯉のぼりを見たのは、以前住んでいた街で、‘京洗い’と、看板の掲げられた、高台にある洗い物屋さんの敷地においてでした。
巨きな真鯉緋鯉子ども鯉たち総勢五折が、サイズに相応しいかなりの高さで、掲げられています。
造形としては、瞳も鱗も鰭も鯉のぼりの典型である彼らの体表は、揃って、超メタリックに、彩られていました。鱗の稜線は、光りのなかに、やや同化しているかに感じられます。
お父さんは、濃紺メタリック。お母さんは、臙脂メタリック。長男くんはパープル、長女はピンク、二男はグリーン色に、其々が、超合金みたいに、強い輝きを放ちながら、一家で空に舞っています。いつもなら、恐怖をさらに際だたせる役割りの、白い腹の側すら、眩しく爽やかなものとして、私の目に飛びこんできました。
メタリック鯉のぼりは、ああ、ちっとも怖くなかったのです。

けれど、ここ数年、四月五月に、近くを通ることがあっても、もう、そこに、その鯉のぼりを見ることはなくなってしまいました。
背の高いポールが、すっ、とあるだけで、風にそよぐものは、何も見あたりませんし、他のどの場所でも、同じメタリック鯉のぼりを、目にすることは出来ないままです。

そういえば、幼い頃プレゼントされた、晴れ着の髪飾りの小箱を包んでいた紙も、つるんとメタリックなブルー、ピンク、グリーンの太い縞模様をしていたんです。薄桃色の髪飾り以上に、色付きで光り輝く、不思議なアルミホイルのような包み紙を、私は、いつまでも大事にしまい、時折出して眺めては、ほう〜っと笑顔になっていたのでした。

世界が、キラキラと、メタリックシャイニーな物だけで構成されていたならば、モノの輪郭や本質とは無関係に、色彩と光りに溺れ、悲しみや痛みを感じる器官を麻痺させたまま、微笑んでいられるのかもしれない自らの心の具合いを思い、なんだか少し怖くなってきた夕刻です。
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by chaiyachaiya | 2013-05-04 18:38 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

ウサ子からチュー太郎の話し

多分 本当のところ

神さまは この上もなく 私を 愛してくれていて

逃走する私の背中は 神さまの放つ熱で 炙られ

赤身が出てしまった

走れウサギ 走るなウサギ

昨今の神さまは 不器用だなあ

おんな一個の 弄り方も 知らないらしい

耳を失くしたウサギに それでは と

逆立ちを 命じなさる

亡くした耳だから もう 痛むことも 折れることもなくて

巨きなラットになった私は

今度は 慰霊の対象とされ も一回 神さまの膝の上で

ころころ することに 決めたのだった
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by chaiyachaiya | 2013-05-01 19:21 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
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