ふみちゃこ部屋



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賽の河原の石積みのような日常と回転しない寿司屋

寺山修司の仕事は、最後は、彼の短歌が残るのだ、と言う方がいるのだが、
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
この短歌の、作者の名は知らなくとも、「身捨つるほどの祖国はありや」というフレーズは、なんだか様々な状況にいる、其々のひとのこころに、もう既に、しみこんでしまっている気がする。

短歌といえば、右肩腕の痛みを得て、日がな、家に引きこもる事態となった夕刻であれ、何故だろう、十谷あとりさんの歌集を読んだ日は、何処かへ出掛けて、空の下にこころを泳がせ(遊泳とは限らないのだけれど)てきたような、錯覚を覚えた。

「ありふれた空」というタイトルのこの本は、ちっとも、ありふれていない、才気溢れる、愛おしい歌集だと感じた。
この書物を、私の居間のテーブルの雑多な散らかりモノや、飼い猫とともに、床に落下させるわけにはいかない。
今や、テーブルの表は、桜の木の木目を露わにし、稀有な「ありふれた空」の傍で、天窓からの、私の棲む街の、ありふれた空を、映している。

片付ける、という日常を、当たり前に、繰り返していく作業について、
「例えば、賽の河原の石積みみたいに思う。だって、ひとつ積んではまた崩し、ではないけれど、どんなに一生懸命時間をかけて片付けたって、散らかるのって、気を緩めたら、一瞬の出来事だもの」
などという、石を概ね一個も積み寄せたことのない私の発言に、
「ああ、それは、本当にそう思う」
と、お部屋を綺麗に保っている、フラワーアレンジメントの師匠が、表情を変えずに、するりと即答なさったことがある。
散らかる、片付ける、散らかる、片付ける、の繰り返しを繰り返し、何事もないような顔で、私以外の人びとは、ちゃんと生きているんだ。
やっぱり、片付けられる人は、偉い、と思う。

サントリーのサプリメントの新聞の広告欄に、
「そうじ、洗濯、お買物 。80になっても。90になっても。」
という大きな縦書き文字の横に、高齢とおぼしき女性が、白い前掛け(形としては、シンプルなエプロン)姿で、膝を曲げ、緩い前屈みの体勢で、拭き掃除をしているイラストが描かれていた。
その老女の、長く引かれたほうれい線の内側の唇は、口角が微笑みのかたちに、かなり上向いていたのだが、
「ああ、はいはい、死ぬまで、そうじ、洗濯、お買い物、こときれるまで」
という諦観からとも、
「うふふ、この歳になっても、膝を屈めて働ける私であることよ。ありがたや。さて、午後からやって来る孫たちのために、何を炊こうか」
という、喜びを滲ませてのそれとも受け取れる、微妙な表現に見えた。

片付けられないニンゲンである私は、サプリの広告ひとつにも、心の中で、こうして著しい反応を示し、勝手に葛藤し、限られた人生の時間を、むなしくしてしまうのである。とほほ。

「だって、回転しない寿司屋さんより、割に合わないもんっ」
たからかに、私が声を上げたのは、一昨日のことであった。
「ほれ、寿司ってさ、暖簾くぐってさ、握ってもらって十分、食べて五分、でさ、後は、おんもに出るだけで」(昔々、夫の原稿料で、うきうきと、一度きり、回転しない寿司屋さんに行ったのだ)
「へ?」
「でも、片付けはさ、時間かけてもさ、散らかるの、一瞬だよ。せめて、お寿司屋さんがお寿司一貫握るくらいの時間で片付くんだったら、一瞬で散らかっても、割に合わない、なんて言わないよ、私」
「へ?」
夫は未だ、私の、深淵で高邁なる、片付けられない人の、屁理屈哲学を、理解出来ていないようであった。
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by chaiyachaiya | 2013-04-28 11:38 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

偽メーテルの館と落下する夕方のジュヒー

故 立川談志さんが、生前のインタビューで、
「うちの女房は、片付け、なんてのは、世の中のゴミを、あっちからこっちへ、移動させることだから、って、掃除なんかしないよ」
ということを、言っていらした。
片付けが苦手な私とっては、暗黒世界において、天空からの一条の光りを見るような気持ちにさせてくれる言葉だった。

私が、どのくらい片付けられないかというと、例えば亡き父は、こう表現していた。
「この世には、片付けられない種族がいるということを、母、娘、孫、直系三代を通して、解らせてもらった」
この場合、孫、にあたる部分の担当が、私なのだった。

どんなに、心映えの芳しくない人であろうと、住まいが綺麗に片付けられているとしたら、きっと神サマは、整理整頓できない私よか、場を清めている、という理由で、目をかけられるのではあるまいか、と感じて、しょんぼりしながら生きている。

可愛い猫ちゃが、三匹もいるのに、YouTubeに映像をあげられないのは、滅多に写真をUP出来ないのは、お家がぐちゃぐちゃだから・・・ううう・・・。
「早稲田隊を呼べ」「いや、発掘作業の前に、固定電話からかけてみよう」
これは、私の携帯電話が、自宅リビングルームにて遭難した時の、家族の会話のパターンである。
あな恥ずかし。

ところで、片付けられない、散らかしっぱなしの人のことを、座敷童子、ならぬ、“座敷荒らし”と呼んだりする方がいるのだが、この頃、私は、何故だろう、関西の友人から、座敷荒らし、ではなく、“偽メーテル”という呼称で語りかけられるようになった。
ここ一年半で、17kg近い体重減少(ダイエットの成功譚にあらず)をみた、細っそりした私への称賛を織り込んだ呼び名なのかと思いきや(細身になったところで、メーテルさんに似るわけもないのですが)、理由は、予測だにせぬところにあった。

「あの、◯◯子さんの関西弁、めちゃくちゃ上手いんやけど、『でんがな』とか『でっしゃろ』とか『まんねん』とか、そんなに言わん。あの、メーテル役の声優さんが、ヴァラエティ番組で関西弁使うんやけど、◯◯子さんのも、同じ感じで」

というわけで、私は、頭身の足りない、“偽メーテル”となったのであった。

そして、この偽メーテルの館のリビングのテーブルは、いつも、単行本や雑誌、カタログなどで、ごったがえしている。
もはや、テーブルの稜線も見えぬ。

或る日の夕刻、テーブルの椅子に腰掛けたところ、ソファの背凭れで香箱座りをしていたペルシャ猫ジュヒーが、唐突に私を見詰め始めた。そして、眼力の限り、
「にゃおん、おか〜たん、今から甘えに、傍まで行くからね〜っ」
というメッセージを寄こすやいなや、テーブルの端の方の、書籍重なり合う、微妙な地点に飛び乗ってきた。

・・・ジュヒーは、ずりっズリッと、彼女がテーブルの領分だと信じてジャンプした、あまたの本らと共に、ゆっくりと、落下していった。
その表情は、お正月に放映された、「フローズンプラネット」で、シャチ達に翻弄され、あげくに、氷の小岡から、シャチの口腔へと、ずりずり引き摺り降ろされるアザラシの絶望感には敵わなかった。だが、
「お、おか〜たん、これって、如何してえええええ〜っ」
という、ジュヒーの魂の叫び声を、私は確かに聞いたと思った。

ジュヒー、すまん。本当に、ごめんなさい。
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by chaiyachaiya | 2013-04-23 22:39 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

ヒルデガルド、ジャンヌ、二人の神秘家と天国と地獄

数年前、「ザ シークレット」という本と、同タイトルのDVDを、たて続けに、別々の知人からいただいたことがあった。(おお、しんくろにしてい〜っ)
流石に、そこに何らかの意味を見出さずにはいられない、今より、幾分若い私がいた。

「ザ シークレット」のDVDの出演者達の肩書きは、其々、私にとって、何だか揮っていて、ことに、“世界的講演家” や、“神秘家”という職業(?)には、「わたし、やられましたわ」と思ってしまった。
少なくても、この書籍や映像が、企画者やその他スタッフの生活を潤し、それ以外の購買する側の人びとの生きる上でのよすがになってたりするのだなあ、凄いなあ、世界経済も沈滞気味だしなあ、と感心していたのだった。
ことに、“神秘家”という言葉は、私のなかで、おさまらずに、ころころと、回転し続けた。
この世界には、好むと好まぬにかかわらず、神秘体験をしてしまう人が、結構いると思うのだが、肩書き、職業として、記すということは、“世界的に凄い神秘家”(?)ということなのか、んだば、世界的神秘家とは、どげな状態を指すのか、と、くつくつ考えてしまう私なのだった。

薬草学の母と言われている、中世ドイツの修道女ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(聖ヒルデガルド)も、幻視体験により、“神秘家”と記されていたりする。
十五世紀を生きた、フランスのジャンヌ・ダルクも、聖女や大天使ミカエルの声を聞いた、という点で、同じく“神秘家”と呼んで、差し支えなさそうに思う。(あくまで、私的には)

ただ、ヒルデガルドさんは、貴族の出であり、「教会は神と一体であり、我々はその愛情に包まれている」という基本的思想を持っていたらしい。
神の世界でも厳格な階層秩序があるように、人間界にも階層があることを積極的に認め、貴族社会の考え方を修道院内でも実践していた、とも記されている。

かたや、ジャンヌさんは、農民の子、そして時代も悪く働いたのだろうか。

ヒルデガルド・フォン・ビンゲンとジャンヌ・ダルク、国と時代は違えど、どちらも神秘を体験しているのだが、生涯の閉じ方には、雲泥の差があった。

でもきっと、二人とも、概ね、天国、と呼ばれる場所にいらっしゃるに違いない、と勝手に救われた気分になるのが常だから、私って、気楽なものだなあ。

天国、で、思い出したのだが、『引き寄せ系』のご本には、「天国言葉だけを使いましょう」『嫌い』とか『嫌だ』などの地獄言葉は、決して使ってはなりません。幸運が逃げて行きます。などと、書かれていたりする。

先日、もの凄い地獄言葉連発の若い女性から、指圧をしてもらう機会があった。
話しの流れのなかで、彼女は、
「あったしい(私)、 妹が、大っ嫌いでえ」と、思いっきり、ありったけの感情を込めて、明るく言った。
「あ、あのう、それって、妹さんの性格故になんですか? それとも、お母さんの愛情奪うから、てゆう意味で、妹だってだけで、ってことなんですか?」
恐る恐る尋いた私に、その女性は、
「妹だってだけでです」
と、即答し、更に、
「あったしい、英語苦手でえ、中高通して、英語の先生、もう大っ嫌いでえ」
と、続けたのだった。
「あ、あの、それって、英語の先生、何だかイヤな癖でもあったんですか、それとも、英語の先生だってだけで」
「英語の先生だってだけでです」またしても、彼女は、はきはきと楽しげに答えたのだった。

『嫌い』や、『嫌だ』を、こんなにも、弾むようにエモーショナルに口にする女性は、初めてだった。

「引き寄せの法則」も、スピリチュアルも、ぜ〜んぶ、ぶっ飛んでしまうような小気味良さだった。
指圧の癒し効果が、with地獄言葉によって倍増してしまう、という、ある意味、神秘体験の午後となった。
合掌。(?)
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by chaiyachaiya | 2013-04-18 22:46 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(3)

昇天後の昭和母猫ミミとあやしい供物

私が小学生になったばかりのその年のこと、夏の始まりあたりから、信号待ちをしていたり、自宅前に停めている間などに、家の車が、幾度か追突事故に遇っていた。

こうむった被害といえば、ごく軽いむち打ち症状だったり、家人も誰も乗りあわせていない無人状態での、車のちょっとした損傷だけで済んでいたのだったが、その時の状況や、ぶつけて来た側のドライバーの方々の、温厚な対応の仕方からして、何だかうちの車が、相手の車を吸い寄せてでもいるような気持ちになっていたのは、子どもの私ではなくて、両親の方だったと思う。

その春は、貰い事故だけではなくて、何か降って湧いたようなトラブルが、ぽつん、ぽつん、起こっていたようだ。
あの時の怨讐がこんな恐ろしい大輪の花として咲いてしまったのか系ではない、嵌めてやろうぜ系でもない、魂の咎人不在の、僅かな思い違い手違いによる困りごとも、幾つか降ってきているのが、子どもの視座からも見てとれた。

話しは少し逸れるのだが、うちでは、父母も私も、予知夢じみたものを、望む望まぬにかかわらず、つい見てしまう体質で、父は、その後に飼った黒トラ猫が、一度も家に戻らなかった明くる日の朝に、
「大きな虎が、水の中で、仰向けで冷たく固まっている夢を見た。」
と悲しげに話していた。実際、父はその次の日の夜、家の脇の側溝の浅い流れに、うちの黒トラ猫が、四本の脚先を真っ直ぐに立てたまま、腹を見せるかたちで、こと切れているのを発見している。(因みに、「夢の記」の明恵上人と、父の誕生日が同じだということに、無理にも意味を見出したい愚かな私がいるのだった。くくくっ。)
以前、「猫の利用法」という、かなりブラックユーモアが効いた外国の本のあるページに、『死んだ猫の固まった四つ脚を糸巻きとして使用』するイラストが載っていたが、父から聞いた黒トラの状態は、まさに、そんな状態だったらしい。私は、怖くて亡骸を見ることが出来なかった。

いえ、世の中には、予知夢の類いなど、見られる方は、多勢いらっしゃると思うのだけれど、賢い人びとは、普段人にそれを標榜しないで生きているのだろう。
私の一家は、家族間では、予知夢であろうとなかろうと、わりと頻回に、瞳キラリン状態で、朝方見た夢の報告会をしていた気がする。

我々フツーの人びとでも、時折夢が当たったりするのだから、何らかの本格的な能力を持った人もいるのだろう、という認識は、昭和の中規模地方都市では、当たり前のように、あったようにも感じる。

そして、母は私を連れて、一連の貰い事故や困りごとについて尋ねるべく、そういった透視能力があると言われている人のもとへと、向かったのだった。
場の記憶としては、床の間の床柱が、立派だったなあ、そして、その前には、着物の上に白い襷の様な上っ張りをつけてるお婆さんが座ってたんだなあ、という映像が、ボンヤリと残っているだけなのだが・・・。
「猫、長く飼っていた猫、雌猫、最近亡くなったんでしょ? 交通事故かな? 寂しがってる。好物を川に流して、手を合わせてあげてください。」
春先に飼猫のミミが死んだことなど、その老女に伝えていなかったので、母と私は、帰りの車のなか、
「やっぱり、見れる人なんだねえ。」
と、高揚し続けた。

今から思うに、一番不思議なのは、
「ミミがね、あの世で、寂しがっているんだって。だから好物を〜」
とは話しても、父も混じえた会話のなかで、
「やっぱり猫なんか、下手に飼うもんじゃないね、あの世から、こんな悪さしてよこすのだから、恐ろしい。」
というふうには、決してならなかったことだ。

早速、母と私は、大きめな、ワタを取った煮干しと、生の烏賊一杯を、薄い竹の皮に包んで、夜、近くの川に流し、
「ミミ、寂しい思いさせてごめんね。子育てもさせてあげられなかった、ごねんね、どうかそれも許してね。どうぞ安らかに。」
と、手をあわせた。

「あっ。」
一瞬の後、母が声をあげた。
「な、何?」
「烏賊、ミミは好きだったけど、一杯もだと、腰抜かす。ミミ、あの世で腰抜けてしまう。」
「どうしよう。」と私。
「いや、そこはそれ、あの世、だから。」と、母。

ミミはそれでも、この不届き千万な地上の飼い主たちを、許してくれたらしい。
それからは、穏やかな日々が続いたのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-04-15 13:15 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

只野真葛の言葉とグレゴリー・ヤツコの眼差し

「極めて制御しにくいものを制御するところに、人類の価値がある」
3・11以降のある日のこと、“その方法でお湯を沸かさなければ”の側の高齢の男性(多分、元大学教授)が、テレビのインタビューで、そう語っていた。
“その方法でお湯を沸かさなければ”の側の方々の発言は、時々とてもユニークに響いたり、新鮮に感じられる気がする。

高線量の建屋内で働くことになるロボットを開発する技術者の方に向かい、
「結構シビアなことを言わせてもらうようになると思います」
と、少なくとも、現在その“側”のカンパニーの人は、言っていた。強い物言いだなあ、と感じた。
この頃の汚染水漏れの際も、
「選択肢がかなりタイトな状況になって来た」
「無い袖は振れない」
あ、あのう、別にこちらが、人びとが、無い袖を振ってくれ、って唐突に理不尽な要求を叩きつけたのではないのですが・・・。
『選択肢がかなりタイトな状況になって来た』という言いまわしは、友人の間で、ちこっとブームになっている。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません」の後に、「〜と言わざるを得ない」という文言を、出来れば未だ威厳の一欠片を、苦渋の面持ちから滲ませようとしながら話しているのだろうか、と私が勘ぐりたくなる様子で続けるのも、頻回になってきているように思う。ううう。

誰が、誰の幸せを願い、それは、そのお湯沸かしは、始まったのだろう。
この先においても、人びとのみならず、動植物、野のぺんぺん草一本くんにも、失礼な影響を与えかねない湯沸器、のような気がするのだが。

ひとは、幾たびも革命を起こし、ごく一握りの王侯貴族だけが、富を享受するのではない、平和で平等な世界を造ろうとしてきたはずなのだが、気がつくと、「富」は、益々限られた人の頭上にだけ、降りそそごうとしている気がしてならない。
放っておいても、またその都度何らかの対抗措置を講じようと、生きものは、人類は、どのみちそうなってしまう定めなんだろうか。

「今の世の人気はやはり人を倒して我富まんと思う心。なんとかこの心を翻し人良かれ我も良かれと思わせたい」
江戸後期の、宝暦から文政を生きた女性思想家、只野真葛が遺したこの言葉は、私に、とても尊く、微かな痛みとともに、響いてくる。
それはきっと、私が、
『ええ〜、だってえ、 我富まんとすれば、間接的にでも、幾分かでも、人を倒さなくっちゃ、無理っしょ〜、それってば世の理っしょお〜』
と、諦観てんこ盛りの心で、感じているからだろう。

ミヒャエル・エンデは、本当に切実な思いで、「モモ」や、お金の神様が舞台で回転し続ける戯曲を記したんだな、と最近やっと気がついた。

テレビで見たグレゴリー・ヤツコ元NRC委員長の眼差しが、以前に比べ、柔らかく哀しげにすら変じたと思えるのは、そう見たい私が、そのように見ているからだけなんだろうか。

真葛さん、助けてください。
私は、未だ視界が曇ったまんまで、何が何だか、よく分からないのです。
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by chaiyachaiya | 2013-04-11 23:45 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

「聖マルクス教会炎上」の消滅と〈鞄持ち〉?の明日

かなりかなり以前、テレビで泉谷しげるさんの「黒いカバン」という歌が流れたことがあった。
もう一度聞きたいと強く思う私だったが、YouTube無き昭和の頃、それは難儀を極め、『眠れない夜、いっつまでえ〜、続くのかあ〜』と、夜な夜なひとり嘯き謳うのが、やっとだった。

山本リンダさんにも、「真赤な鞄」という歌がある。
サビは、『これ〜があ〜全てえ〜のお〜、真赤な真赤な鞄』だったように思う。
出だしは『好きならば逃げてよと押しまくられて ひきずられて ついて来た 仮の宿』
リンダさんが、テレビでこの詩を歌う度、ああ、ワケありさんカップルの道行きなんだねえ、と子供心にドキドキとして聞いていた。安ホテルで、男と女がいて、空調の調子もあやしくて、カーテンには染みがあって、のよ〜な情景を想い浮かべていることを、父親に見透かされていはしまいかと、勝手にバツの悪い心持ちになっていた。

ああ。私は、鞄が、大好きだ。
ちょっと〈鞄持ち〉?の部類に入るかもしれないが、未だ、理想の鞄を手にしたことはない。
これぞ、というバッグに出逢い、所有したあかつきには、人生の如何なる問題も、懸念事項も、楽々ひょいとクリア出来て、後はひたすら、明るく楽しく生きて行けるような気がして仕方ないのだ。
んなことは、あり得ないと、解ってはいるのだが、理想の鞄に巡り遭った時、人生の荷物の重さが、羽根の如くに軽くなる、という幻想のなかに、今日も生きている。

もうずうっと、二十世紀の始めくらいに、砂漠やオリエント諸国を旅しているようなイメージの鞄に憧れて続けているのだけれど。
鞄好きのヒトは、旅行ではなく、旅、に出たい人なのだ、と、聞いたことがあるのだけれど。
私の場合、そんな旅は、概ね不可能だから、旅イメージの鞄で、自らを慰めようとしているのだろう。
旅に焦がれ、鞄を買い、挙句に、旅に出る元手をなくしている。

草間弥生さんとルイヴィトンのコラボバッグを、所持したら、どんな気分だろう。
草間弥生さんの絵画を買うよりは、多分うんと安価なのだろうが、私には手が出せない値段だし、ちょっと重そうだ。
この頃は、右手指が痺れたり痛かったり(打たれ弱い私は、心配事に心身を囚われ、ヘタレの限りを尽くし、寝室に上がれず、居間にて二泊三日した翌朝から、右の中心三本の指先は、生の挽肉になってしまったかのように、異常に敏感になった)で、重量感のあるバッグは、持てなくなってしまった。

そういえば、草間弥生さんは、実は、絵画やルイヴィトンとのコラボだけじゃなく、小説作品も多い。
私が住んでいた街の本屋さんでは、河盛好蔵さんの「モンパルナスのキキ」の隣りに、草間弥生さんの、「聖マルクス教会炎上」が、並べてあった。月を跨いで、私は、二冊とも購入した。
「聖マルクス教会炎上」のカバーには、作者本人の、顔と胸のあたりまでのモノクロ写真が採用されていた。そのフォトグラフに気圧されて、本を購入したといっても過言ではない。
しかし、その迫力に触発されたらしい、私は、その作者顔付カバーを剥ぎ取ると、本体の白い艶消しの表紙じゅうを、裏表紙も含め、当時所持していたマニキュアの、銀色、ラベンダー、虹色ラメ、ピンクパール、白パール、を総動員し、滅茶苦茶に彩色していった。
草間弥生氏へのレスペクト、と言いわけをしてみても、『そしてそれは世界で只一冊の、私だけの本となった』と格好をつけても無駄で、蔵書の価値を下げた、の一言で終わるハナシ(草間弥生さん風に言えば、ハプニング?)なのだと思う。
おまけに、その本は、繰り返す引っ越しのなか、何処かへ姿を消してしまった。
私の手許から消滅したその物語りは、好き嫌いはともかく、《草間弥生 比類なき言の葉ワールドこれでもか》なものだった。

美術雑誌「みずえ」主催で、嘗て、横尾忠則さんと、草間弥生さんが、対談した時のこと・・・。
対談半ばあたりから、この2人の芸術家の間の空気は、徐々に険悪さを呈し、お互いを【コマーシャリズム】という言葉で誹り合う展開となった。

「いやあ、コマーシャリズム、っていう面では、あなた、私に負けてますよ。私の方が、完全に、上いってますからね」
などとは、どちらのアーティストも言うはずがなかったのだけれど、仮に、2人ともが、こんな風に切り返したとして、その地平線の向こうに、どんな風景や世界がひろがってたんだろう、と、無責任な門外漢の私は、考えたりもするのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-04-09 23:53 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
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