ふみちゃこ部屋



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若山牧水のうたと、白鳥の嘴の感触

中学のクラス担任や教科担任が、何かの事情で急に休んだ時、そのフリーな立場の教諭は、唐突に教室の戸を開けて、やって来るのだった。ガラリ戸を開けた時点で、もう表情は、和かに弾んでいた。
郷土の歴史や、《うた》について造詣が深く、その一部を、生徒達の前で披露することが、今日もまた、嬉しくてたまらない、という表情が常だったので、未だに怒り顏がどうしても思い出せない。
五十がらみのその男の先生は、ある日、黒板に、

白鳥は哀しからずや 空の青うみのあをにも染まずただよふ

と、何故か横書きでざくざくと描いたのだが、その横長に広がる文字の連なりは、幾分パースペクティブな冬の情景を想わせ、漢字の「白鳥」よか、「哀しからずや」の「や」のひらがなが、私にとって、ただよう白鳥の部分に感じられた。

ヤンキー御用達以前の、黎明期のブンガクシャ然としたオールバックヘアの先生は、哀調たっぷりなこの若山牧水のうたを、瞳の輝きを強め、笑顔のまま歌い、生徒達にも、歌うように促した。
どんなに制服を着崩した生徒であれ、逆らうことなど、出来なかった。
『これ、大好きなんだ、声に出して歌えば、もっといい気分、楽しいんだよ』
という、笑顔のメッセージに、時代も今よりのどかだったのかもしれないが、毎回、揃ってやられていたのである。
今日、私のなかで、これに敵うものといえば、尾木ママの「どうしたのお?」で、荒れている子供も、不貞腐れたままでいられなくなる、不思議な力を感じてしまった。

ところで、ここでうたわれている「白鳥」は、しらとり、と読み、かもめの事だと云われてもいるのだが、私の中では、はくちょう、のイメージで、固まってしまっている。

この歌を想い、白鳥と哀しみ、という言葉が結びつくと、私のアタマには、この歌を詠んだ時、道ならぬ恋の渦中にいたという若山牧水にも、歌を教えてくれた和顔施先生にも失礼なのだが、こんな解説文が、勝手に浮かんでくるのだった。
・・・やあ、白鳥ってえのは、なんか哀しいねえ。あんだけ飛ぶ姿は優美なのに、鳴き声はさ、クエックエッて、その姿に全く似合っちゃいないしさ、水の上に余裕で浮かんでるみたいに見えるけどさあ、水面下では、ヒレ付きあんよをな、しじゅうバタつかせることで、ああしていられてるんだよ。

こんなアホなことを浮かべながら、哀しみのかけらの見当たらないような、あっけらかんと晴れわたった冬の海岸に、白鳥を見に出掛けたある日の事だ。(鳥インフルエンザ、という言葉が、ニュースで取り上げられるずっと前のお話です)
出がけに、街のベーカリーで、食パンの耳を大量に貰い、勢いづいて車から降りた、まだまだ子供の私は、海辺の白鳥達に、うりゃうりゃ、と大盤振る舞いをして、ずんずん、白鳥との距離を縮めていった。
羽の色が、ちょっと黒ずんだままの小柄な白鳥達は、私が海に放り投げるパンの耳を争っていたが、成鳥達のいく羽かは、二本の足を垂直に立て、海岸の上まで上がってきていた。
その中でも、大きな体と、それに似合う立派な翼を持った一羽が、私に、いや、正確には、私の右手の先のパンの耳に、グワリと迫ってきた。
「はいっ、はいっ、今、さしあげます」
と、ふざけてみせた瞬間、硬い嘴が、私の指にぶつかり、持っていたものを、パックリ奪い去った。
「白鳥は哀しからずや〜」に、おかしな解説を考えた罰が当たったのかとドキリとしたが、指先に、白鳥の嘴の内側の、硬質で湿り気のある感触が、微かに残ったものの、その白鳥が、出来れば、私の指を挟むことなく、スッと今日の糧だけ持っていこうとしていたように感じられ、終いには、嬉しくなってしまった。

その日から、「しいら〜とおりはあ〜 かんなしいい〜からあずやああ〜」
のうたを、思い出すだに、懐かしく切なく、ふうっと、笑いたくなるのである。
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by chaiyachaiya | 2013-01-29 18:51 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

骨、或いは私の愛の物語 39 どらま劔の言い分

僕の名前は、どらま劔。
どちらにしろ、最初から、破綻。

僕の体中の毛穴のひとつひとつには、ぱんぱんに膨らんだ、刺々のミクロン河豚が棲んでいて、おかげで、僕には、どの瞬間をとっても、痛みと違和感の記憶しかないんだ。

でも、生きることが辛い、生まれてこなければ良かった、なんて言う気はないよ。

僕、どらま劔は、自らの無数の毛穴劔に、薄皮と粘膜の細胞を食い破られながら、収束不可能な、物語を物語る。
多分、そのために、発生して、いまだに存在している。
誰にも助けを求めないのは、レスキュー隊の制服のデザインが嫌いだから。

ああ。誰かが、僕を呼んでいる。
僕は、毛穴のハリセンボンをしゃらしゃら鳴らしながら、声のもとへ急ぐ。

骸骨紳士のマントからの星屑と、僕の毛穴から零れ落ちる、不可視のトゲトゲ球で、ほんとは、この世界はいっぱいなんだ。
それらは、呼吸の度に鼻腔から、欠伸の時は、あんぐりの開かれた唇の間から、しゃらしゃらサラサラ、人びとのたましいに、吸い込まれていく。
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by chaiyachaiya | 2013-01-29 16:56 | 骨、或いは私の愛の物語 | Trackback | Comments(0)

「アリーヤさんの大作戦」と追いかけてくるパティ・スミス

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最近出逢った本です。

「アリーヤさんの大作戦」の、帯には、“イラク戦争の時に本をまもるため、命をかけた図書館員の物語。”と、記されています。
アリーヤさんの本達への思い、決死の尊い行動には、本当に頭が下がります。
私だったら、すたこら、自らの保身にだけ、命をかけてしまいそうです。
マンガ形式なのですが、アリーヤさんの活躍を物語る、本のキャラクター自身の背表紙には顔があり、手脚が出ている(靴すら履いている)のですが、そのお顔が、なんともいえません。
どの登場人物の貌も、大英博物館のアッシリアの門の翼のあるレリーフや、遺物に彫られたものをルーツとしているかのように、濃い造形で、表情も瞬間瞬間切羽詰まっていて、淡くそこはかとない世界を、たましいの底でどこか良しとしているきらいがある私には、インパクト大、『や、やられた〜感』が、ありました。

パティ・スミスの「ジャスト キッズ」。
中央に写っているのが、カバーを剥がした状態です。綺麗な艶消しの桃紫色です。
バロウズから、ギンズバーグ、ダリ、ウオーホル、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスなど、そうそうたる人びととの出逢いのエピソードを交えて描かれたこの作品で、パティ・スミスは、2010年度の、全米図書館賞をノンフィクション部門で、受賞しました。
もっとも、そうそうたる人びととの場面がなくても、パティの内面を綴る表現力だけで、私にとっては、充分に読み応えがある本です。
彼女が、写真家ロバート・メープルソープの恋人だったことも、初めて知りました。
本のタイトルの「ジャストキッズ」というのは、おもいおもいのビートニク風装束に身を包んで歩く、若くまだ無名だったパティとロバートを見た、通りすがりの老夫婦のうち、夫人の方が、
「ねえ、彼らの写真を撮りましょうよ。あの人たち、アーティストよ」
などと言った際の、夫の側の、
「おいおい、彼らはただの子供だよ」
という、やや困惑顔で発したセリフからとったようです。

数日前のこと、彼女のこの本を暫く読んだ後、本を閉じ、テレビをつけたら、いきなり、パティ・スミスが、「グロリア」を歌っている映像が現れ、ビックリ!!
『ジュールズ倶楽部』という英国の音楽番組でした。白髪もちらほらの長髪のパティは、ネイティブアメリカンの、スピリチュアルな力を持った酋長みたいに見えました。

その後、新聞を捲ったところ、来日中の彼女のインタビューが載っていて、その日は、部屋のなか、なにかちびっとアクションを起こす毎に、パティ・スミスに遭遇してしまう日なのでした。
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by chaiyachaiya | 2013-01-28 23:18 | 本棚 | Trackback | Comments(0)

ウテナお子様クリームと、容器詰め替えジャンキーな日々

幼い頃、ねだったからといって、おいそれと欲しいものを与えられなかったから、一点集中いつ迄も飽きずに焦がれ続けていられる、悪く云えば粘着気質なヒトに、私はなったんではなかろうか、と感じたりするのだが・・・。

「ウテナお子様クリーム」が発売され、テレビのコマーシャルでそれを目にした時、家のブラウン管は、まだ白黒だったかもしれないけれど、記憶のなかでは、鮮やかな原色と光りに満ちている。
その子どもクリームさえ手に入れれば、まさにもう、無条件でパラダイスまで飛び、現実の幼稚園での、園友とのムズカシイ人間関係ともおさらばして、天使達と戯れていられるような気にさえなっていた。

子ども時間では永遠に感じられるほど長期に渡った、「買ってたもれキャンペーン」が、やっとこさ実を結び、或る日、私は、とうとう、「ウテナお子様クリーム」を、手にした。
蓋いっぱいに嵌め込まれた絵は、海の上か、海中か、判明しかねたが、少し影絵の藤城清治さんの画風を想わせ、海の碧が綺麗で、ヨットやエンゼルフィッシュも描かれていたように思う。
絵は、左右見る方向で、違う絵柄が見える方式だった気がする。私は、いつ迄も、クリームの蓋を傾けて、見惚れていたようだ。

そして、いよいよ、蓋を開けると、かなり鋭い香りが、鼻孔に飛び込んできた。
無着色無添加無香料が、謳われる以前の時代だった。良いことなのか、そうじゃないのか、取り敢えず、
「こ、これが、子ども用のクリームのニオイなんだ」
と、感動して、顔中に、まんべんなく、ベタベタに塗り、布団に入った。

朝方、猛烈な顔いっぱいの痒みで目が覚めた私は、思いきり顔面を掻き毟った。
鏡を見ると、顔のいたるところ、赤いブツブツが、しっかり散らばっている。

ああ。その時の、掻き毟りによって、幼くてフレキシブルな私の顔相、顔の構図は、いたく歪められてしまったらしい。
両の眉も瞳も、然るべき場所に、ちょうど佳い形で在ったというのに、眉は山型点々、瞳は『小さなバイキング ビッケ』(古いアニメでございます)のビッケのように、概ね二つの点と化した。
美しく形造られかけていた鼻梁も、何故かやる気を失い、丸い鼻穴だけが主張する形状と成り果てた。
そして、顎だけが、何を思ったか、ぐんぐん、勢いづいて成長した。
今日、本来であれば、私の立ち位置であるべき場所に、黒田知栄子さんや、黒木瞳さんが、おられるのである。(すみません。あまり寒くて、脳機能が誤作動中です)

「だから、買わなきゃ良かったでしょっ」
結果、母から、叱られた。
私は、せっかく買って貰ったクリームの成分に、対応出来ない自分の顔の皮膚に失望したり、悪いことをしたわけではないのに怒られたことが、何処か理不尽だったりで、わんわん泣きながら、まだまだ瓶いっぱいに詰まっているクリームを、袋に詰めてゴミ箱に捨てた。
しゃくりあげながら、空き瓶は、宝物入れとして使おうと、決心した。すると、徐々に、希望が湧いてくるのだった。

お祭りの夜店で買った、空気に触れて溶けた綿あめのような透明ピンクの指輪や、グリコの女の子用おまけの、ドレッサーか何かを、空っぽになった「ウテナお子様クリーム」の容器に入れ、大切に抱いたまま、オトナになった。

私は、瓶や容器のコレクターではないが、容器から容器へ詰め替えることに、喜びを覚えてしまう。
洗剤などを、二回目からはエコパックを買い求め、最初の容器に移し替える、という地球環境に配慮した行為ではなく、ガラスやプラスチックに詰められた、メーカーも用途も違う化粧品を、パウダーからリキッドまで、あっちのをこっち、こっちのはあちらに、もちっと可愛い容器に、より使い勝手良く、更に使い切りやすく、と、スポイトやスパチュラを使い、移動させることが楽しく、ワクワクしてしまう。

今日も、外出先から戻った私は、着替えるのももどかしく、手を洗った後、直ちに、茶色のチューブから、淡いレモン色のプラスチック容器へと、ファンデーションを移したのだが、詰め替えミッション終了後、濃い色のお出掛け用チュニックのあちこちに、その肌色を付けてしまっていた。

ああ。
移し替える度、物質は酸化し、それを顔に塗る私も、酸化と劣化の度合いを進めている、というだけのハナシやもしれぬのう・・・。
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by chaiyachaiya | 2013-01-26 20:49 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

ホログラムの絵葉書と、世界の果て症候群

これまで目にした一番好きなXmasカードのデザインは、雪深い山の麓に建つ教会の絵でも、ツリーとその足許のプレゼントの山と、オレンジ色の炎を囲った暖炉のデザインでもなく、Xmasシーズンで賑わう七色イルミネーションの、向かいあった通りの様子を、きっちりとした遠近法で、微細に描いたものだ。
ホワイトオパールのような、ホログラムの細かな粒を塗して仕上げてあり、ほんわりと幻想的で、誰かの愛おしい記憶のなかの街、という佇まいだった。
結局友人に送ることはなく、手許に置いていた。

そのXmasカードを眺める度、私は、空想の世界へと、連れていかれる。

例えば、1970年代の真ん中らへん、アメリカの地方都市のどこか、伝統的な建物が多く残る場所に住んでいる、若い父と母、と子どもの私。
私は、粉雪舞うなか、両親に挟まれて、ぶら下がるように、甘えながら、Xmasムードのちょっと非日常の高揚を覚えつつ、石造りの夜の街を歩いている。
道行くひとびとの頬や眼鏡、瞳には、とりどりのイルミネーションが映っている。もちろん、父や母、私の頬にも、Xmasの色が踊っていて、子どもの私の気持ちは弾んでいる。
のだが、・・・。
だんだん、ふっと、どこからか、寂しい風が吹いてくるのが、わかる。
どんな賑やかな通りにも、終りがある。通りの端っこ、というものがある。この光溢れる、楽しい街並みは、どこまで続き、いつ途切れてしまうんだろう。
賑わいの切れ目は、世界の果ての暗がり、のようなものに直結している気がして、怖くなる。
見る度に、いつしか切なくなるその聖夜の絵葉書は、終いには引き出しの肥しになった。

夏祭りでも、ずらり張られた祭りの夜店の列の、最後の一店の情景は、思い浮かべても、実際に目にしても、ちょっと怖かったりする。
端っこの屋台で、電球に照らされながら、タコ焼きをくるくる回して焼いていたり、チョコバナナにクレヨンカラーのチョコスプレーを降っていたり、射撃ゲームでおまけをくれているのは、もしや異界の側の者では、と感じてしまうのだ。
そして、もういっそ、その方が、こうしてどっちつかずの落ち着かなさの縁にいるよりも、安心出来そうな気になる。

きちんと建てられた家の隅、という感じにも、私は弱い。それが、大家族で和やかに住む、大きな家の場合には、ひとしお寂しく感じる。
端っこの部屋や、廊下まわりには、多分もう使われることのない幼児の玩具とか、キッチン便利用品、意味なく嵩張るアイディアグッツ、古い衣類などが、発見された当時、カーナボン卿の問いに対して、ハワード・カーターに、『とても素晴らしいものが見えます』と言わせた、穿った小穴から覗いたツタンカーメン王墓みたいに、雑にしまわれていたりする。
なんだろう。充分に、かなり、怖いのだ。

以前、夢で、世界の果てまで、行ってしまったことがあった。
藪から路を、頑張ってずんずん進んだあげく、目の前に現れたのは、畳のサイズの数枚の撓んだベニヤ板達だった。ペランペランの板は、歯茎の痩せた老人の歯並びみたく、並び立っていたのだが、これが【世界の果て】だということを、夢のなかの私は、ガックリと項垂れ、受け入れたのだった。

この世の果て症候群、とでも、呼ぼうかな。
行き着く場所や、世界の向う側を、実は激しく希求しながら、見てしまうのが怖いのだろうか。
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by chaiyachaiya | 2013-01-23 23:34 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(2)

「キラークイーン」とXmas過ぎの「リトルドラマーボーイ」

一応、寝室にベッドはあったのですが、洋風押入れにムートンの敷物を引っぱり込み、その狭い穴ぐら暗がりで、ラジオをを聴くのが、中学の頃の私のならいでした。
初めて、その押入れラジオから、「キラークイーン」という曲が流れるのを聞いた時、今まで聞いたことのないメロディライン、なよやかで、時に力強くもある、妖しいヴォーカル、クイーン青年合唱団と呼びたくなる見事なコーラス、ギターの音色に、すっかりやられてしまい、キラークイーンというバンドの「クイーン」という曲なのか、やっぱりバンド名はクイーンなのか、よくわからないまま、街のレコード店に駆けていき、シングル盤を手にしました。

「キラークイーン」のジャケット写真は、同曲が収められているアルバム「シア ハート アタック」と同じで、フレディ・マーキュリーは、珍しい獅子頭を想わせ、異様な緊張感のある美しい貌で写っていました。《英ロック界の貴公子 クイーンの放つ衝撃波に あなたはどこまでたえられるか》という一文が添えられてあります。


私は一目で、フレディ・マーキュリーに恋をしました。彼は、自らの出自を、ペルシャの貴族の末裔だと語っていたようですが、そのペルシャ産の柘榴のように、才能が、真赤に弾けているようなイメージに、圧倒されたものです。

父に言わせれば、私がフレディ・マーキュリーに惹かれるのは、先祖の血が呼んでいる、からだそうで、父の出身地には、アイヌの人々が渡り住んだ、という言い伝えが存在し、父の親類の半分のひとびとは、まったり日本人顏、もう半分のひとたちは、エキゾチックで彫りが深く、剛毛だというのです。
「おんなじ顔した伯父さんもいたよ。その天才タイツ男と。」
実際、後日アイヌ展を見に行った際、若くて長髪だった頃のフレディ・マーキュリーと見まごう顔をした女性を、白黒の集合写真のなかに見つけ、本当に驚いたものでした。

ところで、「キラークイーン」の歌詞は、知る前の方が、純粋に、音楽として、不思議がって楽しんでいられました。
モエ エ シャンドン、マリーアントワネット、フルシチョフ、ケネディ、などの単語が出てくるこの歌は、高級娼婦をイメージしたものなのでした。
それだから、嫌だ、というのではなくて、意味不明の宙ぶらりんな世界で、ひとり遊んでいたというのに、きちんと明白な言葉の王国の枠内に、落っことされた不自由さを感じたのです。

ですから、今回も、怖かったのです。

記憶にあるXmasシーズンに、毎年漏れなく耳に入ってくる、あの、“パ〜ラパパンパン” という曲。
よく耳にするヴァージョンは、古き良き時代のXmasソング、という事で、ビング・クロスビー が歌っているのだろうと、ぼんやり思っていました。

人並みに、生きておりますと、山あり谷あり谷底ありで、毎年、必ずしも、しゃ〜わせMAX状態でXmasを迎えられてはいませんが、どんな状況でも、夕食の食材は、買い求めに行かなくてはなりません。そんな私の耳に、ショッピングモールやスーパーのスピーカーから、否応無しに届く、あの“パ〜ラパパンパン”・・・。
なんだか荘厳な感じもしないわけではないけれど、まが抜けている、西洋狸囃子のような(ああ、失礼ですね、すみません)パ〜ラパパンパン、のワールドに漂っていられるという利点も、無知の側にはあるのですが・・・。

私は決断致しました。この歌の意味を、今こそ、知る時が来た。このまま、もやっとラパパン無宿のままじゃいられない。

ああ。YouTubeで、ちょいちょい、でした。
既に薬物に手を染めた後であろうホイットニー・ヒューストン、デヴィッド・ボウイとビング・クロスビーの異色な組合わせ、幼く切ないジャクソン5、目まぐるしいアニメ使いのボブ・デイランに、え、ボニーMも、etc・・・。合唱団系の映像では、誇らしげに高らかに、ウラパパンパ〜ン、と歌っている様子が見られ、これは、やはり、伊達や酔狂でラパパンパンしてるのではない気配が、濃厚になってきました。
この曲のクレイアニメでは、馬小屋でのキリストの誕生場面が、必須になっています。
キングとは、世俗の王ではなく、ジーザスの事でした。
「僕は王の誕生の御祝いに何もあげられるものがありません だから 僕は このドラムを叩いてお祝いいたします」

ああ。私は、ラパパンパン「リトルドラマーボーイ」の歌の意味を、知ってしまった。
素朴なクレイアニメの、聖夜の星や東方の三賢人(古い時代のものでは、賢人の一人は、いわゆる謎の中国人そのものです)を、これからは、このフレーズを聞くたびに、想わずにはいられなくなるらしい。
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by chaiyachaiya | 2013-01-21 23:38 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

したり顔の「へスペロウ」と「ワッカナイドウ?」の果て

糸井重里さんとの本『海馬』を読み、なんだか楽しい心持ちをいただいて以来、池谷裕二さんの著作は、気になっていました。
近著の、『脳には妙なクセがある』で、2008年初版の、『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則』というCD付きのブルーバックスの存在を知った私は、即刻、ネットにて、取り寄せたのでございます。

届いたその本の帯には、What do you think about it ? (どう思う?)
は、
「悪酔い天下暴れ!」で、通じる。と、記されていました。

ふぉっふぉっふぉっ。

早速、わたくしは、英会話教室の、リチャード・チェンバレン先生(仮称)に、池谷裕二さん直伝(?)の、カタカナ発音で、語りかけてみました。
池谷先生のメソッドによると、病院は、ホスピタル、ではなくて、へスペロウ。

私は唐突に、チェンバレン先生に近づき、何の脈絡もなく、
「へすぺろう」
と、語りかけてみました。
ちょっと、自分の表情筋が、『モンティパイソンフライングサーカス』シリーズの、エピソードのどれかの、意味も無く得意気なしたり顔になっている、マイケル・ペリンのようになってる気がしました。

・・・ああ、なのに、チェンバレン先生は、ただ、
「・・・・・・」
怪訝そうな顔を、私に向けるだけでした。

けれど、挫けない私が、いたんです。

ちょっとした日常の困り事を相談した後、思いっきり、
「What can I do?」(私はどうしたらいいの?)
を、池谷メソッドに忠実に従い、
「稚内どう」=「ワッカナイドウ」
と、発音してみました。

す、すると、今度は、若いチェンバレン先生が、しっかり、自らの更に若い時代の出来事を引きあいに出しながら、応えてくれたのです。

恐るべし。ワッカナイドウ。やったぞ。カタカナ英語。
もの凄い達成感でした。
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by chaiyachaiya | 2013-01-19 22:45 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

幸せを呼ぶインドなカップルの絵

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やっと入手しました。これが、あの、評判の「幸せを呼ぶインドなカップルの絵」です。
な〜んちゃって。

この絵は、インド映画を見はじめた頃、調子に乗って、私が描いたものです。
「うりゃうりゃ、これが、幸せを呼ぶインデイアカップルの絵じゃ。欲しかないかね?」
などと、子らに迫ったあげく、
「や、結構です。」
という、生あたたかい目で一瞥されたっぱなしの一枚でございます。

なんでインデイアカップルなのか、よくわかりませんが、これを描いてる時、子供の頃のお絵描きの時間がよみがえったみたく、心が弾んでいたのを覚えています。

聖バレンタインデーまで、一ヶ月を切りました。

大切な人(や、それが、自分自身であっても、素敵)と、大切な時間を過ごす方が、いっぱいいらっしゃいますように。
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by chaiyachaiya | 2013-01-19 21:11 | ねこの寝言 | Trackback | Comments(0)

座敷童子ちゃんの宿と、不思議な鍋ものの事

座敷童子ちゃんで知られるその宿の、大広間での冬場の夕食の膳には、よく小振りな鍋ものが添えられていた。
子供の年齢に合わせ、訪ねる毎に、微妙に膳の中身が変化していく。ありがたい事だった。これまで広間で撮った写真をよく覗き込むと、子供らの成長をもう一度辿れるようで、懐かしい気持ちが、ふっと溢れてくる。

座敷童子ちゃんのメインデッシュのような、ちいちゃな鍋ものは、小学生にも必須メニューだったようで、二男の膳の上でも、小鍋の下に、白い蝋に見える燃料が配されていた。
小鍋の下の固形燃料にライターで点火し、季節の魚や野菜、豆腐などが、ぐつぐつクツクツ、食べ頃サインの良いかおりがしてくるまで、おとなはビール、子供らはサイダーを飲みながら、他のとりどりの料理をいただいて、待つのだった。

隣で食事していた男性による、座敷童子ちゃんについての、足利尊氏や、後醍醐天皇の時代まで遡った御話しが終わり、もうそろそろ、鍋は食べ頃だろうと、一家は、それぞれの膳の方を見遣った。
夫、長男、私の鍋の炎は、だんだん勢いを失い、鍋の底の中心を、チロチロと炙っていたのだが、二男のものだけ、鍋の二倍の高さに、炎が上がり続けている。
ありえない火の高さに、一家は、揃ってたじろいだ。二男の鍋ものは、もう、完全に炎にくるまれていて、焦げたにおいはしないものの、これでは水分は、既に失せていて、今すぐ火を止めなければ、中身はまる焦げ必至だろう。
「うひゃ〜、もう、こりゃ、やばい。」
「ああ、食べられないかも。」
慌てて火を消し、二男は、そうっと、布巾で、小鍋の蓋を持ち上げた。

二男の鍋の中の水分は、蒸発どころか、むしろ、他の家族のそれよりも、たっぷりとあり、アサリも鱈も白菜も茸も、ちょうどいい具合に火が通っていた。
「ふうん・・・。」
いたずらに、不思議がるのは野暮、という空気が、斜め向かいで淡々と食べている長男から放たれてはいたが、本当のところは、お互い『むふふ、不思議じゃのう。座敷童子ちゃんのお仕事かねえ。』と感じていたように思う。

それから一年の後、宿での夕食の時間、座敷童子ちゃんの宿が初めてだという御夫婦と隣り合い、親しく話しをしていた時の事だった。
「前にね、この鍋ものの炎がね、二男のだけ、ブア〜って上がってて、でも、水分もとんでなくて」
と、御夫婦に、請われずとも話しては、私は再び、二男の鍋の方を見たのだが。
「ありゃ〜っ。」

前回ほどの高さではなかったが、二男の小鍋は炎にくるまれ、その、ちょっと不思議な独自の調理法により、またしても、瑞々しいまま、食材の旨みを引き出されてしまったのだった。
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by chaiyachaiya | 2013-01-17 18:24 | 座敷童子さん | Trackback | Comments(0)

骨、或いは私の愛の物語 38 ラッレの事

これは全て、イラクサのお茶のせい?
『茶酔い』、という言葉が、うんと東の、瞳も髪の毛も黒い色しか持たない人びとの国にはあるという。
私は、イラクサのお茶に、惑わされているだけなのか。

「少し、眠ろう。今日はもう、実験室には行かないから。一緒に、眠ろう。」
「ラッレ、でも私、暗くなる前に市場に行って、そう、ビーツを買って来なくちゃ。ビーツのスープ、作りたいの。ラッレ、あなたのために。鮮やかなルビーピンクの、温かい飲み物。」
「同じ色の果実を、僕は、知っているよ。兄たちと逸れて迷い飛んでいるうちに、翼を痛めた僕は、風によって、暑い国まで流されてしまったんだ。その国では、それは、『龍の果実』と呼ばれていた。ドラゴンの眼の形に似ているから、と教えてくれるひともいた。そう、昼の間だけの、人間の姿形をしている僕にね。」
「ラッレ、私は、イラクサのお茶の飲み過ぎなのかしら。それとも、ただ単に、あなたという気狂いの若者に、愚かしく心乱されている、引き篭もりのかわいた女なのかしら。」
「そのどちらでもないよ。あなたは、思い出すことを止めただけ。目を瞑ったまま、時空の袋小路で蹲ったまま、それでも、応えを求めている。だから」
「だから?・・・」
「僕が、現れた。僕が、ここにいる。」

「だって、この窓の高さは、・・・」
再び、彼は言った。懐かしい譜のように、呟いた。
ラッレの瞳の奥に、手がかりを探すには、私はもう、充分に疲れていた。市場まで降りていくのは、どのみち、無理だったのかもしれない。
私は、ビーツのスープに落とされたサワークリームのように、ふわりふわり、眠りの中核へと、流れ溶けていった。
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by chaiyachaiya | 2013-01-17 16:18 | 骨、或いは私の愛の物語 | Trackback | Comments(0)


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