ふみちゃこ部屋



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供述によるとペレイラは に、たどり着くまで 1

 わたしの眉は、人相学の本を見ると、良いことが記されていない、てんてん眉毛だ。
 右目の眉の下の皮膚には凹みがある。かたちは、取ってつけたような、山のかたち。でも、点点だから、普段は、目立たない。
 そのまま、眉ペンシルでなぞると、時代錯誤の、妙にドラマチックで滑稽な顔になるので、外に出る時は、がんばって眉のかたちを平らに引く。はみ出た山型の山頂は、無慈悲にカミソリでしゃりしゃりしたりする。
 しかし、うっかり、いきおいに乗って、本来の、左右対称ぷち富士の山の上を、素直になぞってしまう朝がある。いきおいづいているので、水墨画の富士ではなく、例えば、べったりポスターカラーによる太字ゴシック体の、冨士山。
 その結果、山というより、身構える大きな蜘蛛の前脚が張りついているように見える。
 前髪やメガネを、眉の上に重ね、額からタランチュラが飛び出さないように手なずけて、やっと外へ出る。

 テレビをつけたら、キアラ・マストロヤンニが父親のマルチェロについて、フランス後で語っている場面が映っていた。
 言語による、顔の筋肉の使い方の違いから生ずることなのか、話すたびに、額に幾重にも横皺が現れ、美しいなだらかな山型眉が、かなり上下する。
 父マルチェロも、私生活のスタイルを問われて、やっぱり、同じように顔全体の筋肉を使い、語っていた。横皺はより陰影深く、「女性にもてる、と言われてるけど、つくられたイメージに過ぎないよ」と言っている。
 キアラさん、ああ、マストロヤンニに似ているな、親子だものなあと、彼女の顔を見ていると、その顔の底から、誰か浮かんできた。・・・おうっ、カトリーヌ・ドヌーブ。ああ、ドヌーブ。ドヌーブに似てる似てるブロンドヘアの質感も、と見入っていると、いつのまにかマルチェロの表情が、動くレリーフみたいに現れる。わかりやすく、且つ不思議な顔だなあ、と感じる。
 ちなみに、異母姉のバルバラさんは、楚々としたミック・ジャガーみたいな顔つきで、キアラのような華はないけれど、いい顔だなあ、と思う。幾多の葛藤のあとに辿りついた、甘やかさはないけれど、揺るぎないものを得たひとの穏やかさを感じて、勝手に愛おしさを感じてしまう。
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by chaiyachaiya | 2011-09-19 20:49 | 本棚 | Trackback | Comments(0)

あの列車に乗るためには 1

 あの列車に乗って、できれば、飛び乗って、・・・ということは、わたしは、男で、若者で、ベルボトムジーンズを履いていて、ベルトのおっきなバックルが、痩せたへなへなの腹にそれなりに食い込んでいて、肩にずた袋で、背中にギターケース(前の彼女の名前を記してた部分は、どうでもいいシールをはって隠してて)で、長髪ウルフカットで、・・・と、妄想が開始されます。
 70年代初頭に、わたしは、痩せて、手脚の長い、さすらいの若い男、でありたかった。理由は、わからないのですが。 
 
 そういえば、当時、実家の改装(リフォーム、とは言いませんでした)を頼んだ大工の息子さんが、長い手脚に、長髪、ベルボトムジーンズ、時には淡いピンクのサテン風のブラウスで、鉋がけを手伝ったりしていました。ひとりっこのわたしは、改装の間じゅう、帰りのホームルーム終了と同時に、ぴゅ~っと、短い脚を渦巻きにして、家へ急ぎました。
 ピンクのサテンの君は、朗らかで、子供でも大人でもない、若者特有の仕草所作振る舞いで、小学3年のわたしは、美しいの範疇に入る新しいモノ発見、のような喜びを感じて、うきうき過ごしていました。
 改装工事も終わり、半年ほど過ぎた頃、
「息子が、東京へ出て行って、行方がわからない」
 と、うちへ来た大工のお父さんが、今から想えば、ルオーの描いたキリストのような顔で、話していました。
 ピンクのサテンの君は、ピンクのサテンがもっと似合うと想われる場所で、生きたかったんだなあ、と子供心に想いました。
 穏やかに朗らかに、子供のわたしをあしらいながら、彼は、旅立ちの日のカウントダウンをしていたのです。裏切られたような気はしませんでした。どこかで、納得していました。
 多分、彼の旅は、彼の思うようなものにはならないだろうと、子供ながらに確信し、悲しくなったのを覚えています。
 
 ・・・ベルボトムに長髪、でも、ピンクのサテンではなく、インド綿かリネンのシャツで、70年代初めの空気のなかを、若者になったわたしは、あてのない旅に出たいのです。

 あの列車に乗って、できれば、グリーン車で、・・・既にベルボトムの若者状態ではありません。 でも、あまりの美人だと、いくら妄想でも、この場合、入っていけません。善意の誰かが、持てる技術を総動員させて描いてくれた、わたし、という画像を貼りつけてみます。
 ・・・気がつけば、秋の夕刻の薄闇、パリのとあるホテルの自室の窓から、小雨の通りを見ているわたし。外を散策がてら、観光客向けでないレストランで夕食をとろうか、このまましばらく、ホテルの窓のガラス越しに、路面が雨で濡れて、光る闇色に変わっていくさまを眺めていようか、迷っている。
 妄想のなかのわたしは、ホテルのフロントや、レストランのギャルソン連中に、馬鹿にされない程度のフランス語もこなせる。
 五回目のパリ、か、・・・。とつぶやく。

 そこに、ストラスブールにいる友人から、連絡が入る。
「あ、おかあさん、味噌かつおにんにくだけど、特設百円均一ワゴンにもあるし、298円で、添加物ちょっと少なくて、量が多いのもあるけど、どっちにすればいい? にんにくは、どっちも中国産だよ」
 近くのスーパーから、現実の声がする。

 ああ、旅に出たい。
 旅行、じゃなくて、旅、といわれるものへの憬れで、逆に胸が潰れてしまいそうだ。
 けれど、旅に出るためには、乗り越えなくてはならないことが、わたしには、あり過ぎて・・・
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-18 16:44 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりの夢を見る時

 いつも意識の水底に、鯉のぼりがたゆたっているからなのか、時には夢になかに、わかり易い暗示となって、鯉のぼりは出現しました。
 ある夜、こんな夢を見ました。
 まずは、手洗いから出たわたしの前に、学生服を着たリカちゃん人形が、古い木造借家の薄暗い廊下に立っていました。わたしの視界には、つるりとした白い和式便器の照り返しが残っていて、その後ろに、リカちゃんが、ちいちゃな足で、自力で立っているのです。
 力学的に不可能なことは、夢のなかのわたしにも、痛いほど伝わってきましたし、それはなにか、可愛いより、怖いが勝る光景でした。
 彼女は、自力で立っているとはいえ、人形の定めにより、表情は動かず、命の輝きを感じさせるものは一切見せてくれません。まるで、そうすることが、彼女のわたしへのメッセージであるかのようでした。
 そう感じた瞬間、わたしは、城の天守閣らしき場所にいました。気分は、なんだか高揚しています。そこにいるのは、わたしひとりではないのですが、人数も性別も、確認できない状態でした。なにしろ、尋常ではないこの状況を、どう把握すればいいのか、わからなかったのです。
 天守閣は、かなりの上空を、飛んでいるようでした。部屋の四方は、襖で閉じられています。そして、部屋・・・天守閣のまわりを、何かが取り巻いて飛んでいる気配が、どうしてもあります。ごうーごうー、という音が、巻いている気がしてなりません。
 襖と襖の僅かな間を、わたしは、勇気を持って覗き見ました。
 そして、見てしまいました。
 この世界の、多分あらゆる種類の鯉のぼりが、最新の輝くラメ仕様から、古い倉から甦った古式ゆかしいタイプまで、岡本太郎デザイン以外の総てが、天守閣のまわりを取り巻いて、ごうごう凄い速さで泳いでいます。無数の鯉のぼりに、包囲された事態なのです。
 なのに、ちっとも、恐怖を感じません。
 幼い頃から、五月の運動会や遠足では、通りの角を曲がれば、不意に出現するその影にすら怯えて、ひとり、けんけんぱー歩きにならざるを得なかったわたしが、大量の恐怖の対象を前に、平気で息をしています。
「ああ、わたしは、男の子を産むのだな。リカちゃんは、自らを命のない人形だと訴えていたし、・・・リカちゃんは、流産だった最初の子の象徴だろうか・・・」
 目覚めた私は、次の日の午後、長男を産んだのでした。

 つづく   
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by chaiyachaiya | 2011-09-15 22:19 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりが怖い 2

 薔薇という漢字は、その芳しく幾重にも巻いた花びらをそのまま写しているようだと言いますが、鯉幟、という文字にも、同じことが言えるようです。

 鯉、の一文字も、世界の魚のボデイラインの平均を採ったような、充実した厚みのあるからだと、二本の髭が思い浮かんでしまいますし。
 幟、では、わたしのなかの、はためくもの総てへの恐怖だけではなく、鰭の筋や鱗の刷られた布の質感が迫ってくるようですし。
 鯉と幟が、隣り合ってしまえば、もう逃げ場なく、わたしは身をかたくするだけです。

 鯉のぼり、だと、ひらがなの部分が五月の薫風にそよいで、背筋を駆け抜ける恐怖も、するどい分だけ、早めに立ち去ってくれる樹がするのですが。
 
 こいのぼり、では、幼稚園児の手による、クレヨンのにおいの、くろとあか、或いは、ぴんくとみずいろの、まごいとめごい、が、思い浮かび、わたしの恐怖も、お絵かき帳サイズにとどまってくれるのですが。

 幼稚園の頃、伝統を大切にした鯉のぼり製作の仕上げに、鯉のぼりを川の清流にさらしているのをテレビで見た時は、震えがきて、でも、指と指の間から、がんばって見続けました。何故だか、友禅流しの中継にも、風情を感じつつ、心がざわざわしました。

 鯉のぼりに対して、最初に身震いした瞬間は覚えていません。
 気がついた時に、すでにそれは、この上なくおっかないものでした。
 それがただの鱗プリントされた筒状の布だと知る前に、小さかったわたしは、空を泳ぐ大きな魔物として、覚えてしまっていたのでしょうか。

 わたしの知るかぎり、鯉のぼりが怖い、なんて言う人はいません。
 誰の共感を呼ぶこともなく、すっとひとり、鯉のぼりを恐れ、わたしは生きているのです。なんだか急に、ひどく孤独な気持ちになってきました。
「言ってはなるまいぞ。鯉のぼりが怖いなどと。それを口にしたとたん、変人扱いされる。」
 父には幾度か注意を受けたものです。

 あ、思い出しました。
 わたしの母です。同心円、とまではいきませんが、恐怖の対象が、少し重なっていました。母も、鯉のぼりの幾重にも円を描いた目、鱗の連なり、鰭や尾の縞など、気持ちが良くないと話していたことがあります。大漁旗も耐え難いと、まるでわたしのようなことを言ってもいました。結局は、恐怖の概念の遺伝、でしょうか。
 
 余談ですが、さらに母は、電池の切れかけた電卓・・・昭和四十年代の、でっかい・・・が、ぴくぴくと数字の8の点滅しか表示しなくなると、気持ち悪い気持ち悪い、とつぶやいていたものでした。途切れとぎれの8の字は、死にきれない昆虫の脚のように見えたのです。
 珍しく、母と共有できるものが、電卓上の瀕死の8の字、なのでした。

 つづく
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-14 23:19 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

アビに捧ぐ

 本来アビシニアンは、日本猫と比べ、小顔で手脚が長く、人類に例えれば、エチオピア出身のモデルの如くの容姿なのだが、・・・諸般の事情とわたしの無知により、うちのアビシニアンは、つちのこか、凶悪化した際のカオナシのような体型になってしまった。
 しかも、多頭飼いのストレスのためか、過度の毛繕いの結果、・・・ああ、多頭飼いは難しい、他品種とは無理、とアビシニアン本に記されていたのに、ロシアンブルーとペルシャを連れてきたわたしだ・・・アビの腹一帯の毛は失われ、贅肉は脚首まで垂れている。
 
 それでも、アビはわたしの顔に、小顔を寄せて寛ぐ。あるいは、わたしの鼻先に、自身の尻の穴を寄せて開き、親愛の情を示してくれる。
 猫に愛されるのも大変なことだと思うけれど、小動物に信頼される喜びは、わたしには、大切な生きる寄る辺だ。
 小顔なアビの顔も、至近距離になると結構大きく、何か対等な感じがする。実際には、削り節のことしか思ってなくても、深い表情、顔つきなので、かなり哲学的、且つ、仏の知恵に満ちた考え、答えを、持っていそうに見える。
 もはや、夫という感じがする。
 少なくとも、来世でアビが人間になってか、わたしが猫になってか、・・・いや、アビはアビのまま、わたしもまたヒトのまま、アビのサイズが、にんげんレヴェルに大きくなるというのはどうだろう。なんだか、初源的なメルヘンを感じてしまう。
 ピューマのように大きくなったアビシニアンにとって、人間のわたしは、飼い主でも仲間でも妻でもなく、捕食すべき獲物でしかないかも知れないけれど。
 
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-10 22:53 | | Trackback | Comments(0)

猫たちの肉球的プロフイール

 アビ
 ある知人は、アビニシヤンと、関西人みたく言う
 肉球は、見た目は乾燥黒豆だが、思春期の部活の靴下が乾いた強いにおい
 横腹に顔をつけて息を吸いこむと、アフリカの乾いたオレンジ色の砂を感じる
 鼻の色は、大きな蠅の眼の色
 彼は、魂の友人、あるいは、夫

 ルー 
 ごく幼い頃は、転がる埃の玉と見分けがつきにくく、幾度か掃除機の吸い込み口を向けてしまった
 これは、家の埃の玉がいかに大玉かを語ってしまうことでもあり、恥ずべきだ
 肉球は、塩漬けの桜の色、薄い皮膜のような皮膚のうえで、においのない唾液がかわいたにおい
 鼻の色、遊んだ後に、すうっと湿気を帯びたネズミ花火の燃え滓の色
 瞳の色は、大陸で人気の明るい翡翠。彼はロシアの宝石

 ジュヒ
 近所の方に、じゅひ、って、樹の皮かね、変わった名前だね、と驚かれた
 肉球は、チャコールグレーに薄墨桜色の太いシャトヤンシー効果が現れたような、神秘の相 を呈 している。その時々の猫トイレの砂の材質のにおいがする。ヒノキだったり、緑茶だったり、炭だ ったり
 鼻の色は、貝から取り出されたばかりでまだ濡れている、淡いコンクパール色
 彼女は、アフガンの白天使
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by chaiyachaiya | 2011-09-10 10:37 | | Trackback | Comments(0)

ルー 自立を目指す

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 これからの世界経済状況を鑑みたばあい、僕、一芸を磨いて、いつでも自立できるようにしておかなくちゃ。
って、決意したんだよ。キリリ。


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 でもつい、寝ちゃうんだよね。


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 おっ、ジュヒが、おかーちゃんの嫌いな、鯉のぼりパフォーマンスしてる。
 季節はずれだけど、気にしないや。僕、これに決めたっ。


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 家猫は、寝てましょ。
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by chaiyachaiya | 2011-09-08 21:40 | | Trackback | Comments(0)

夢のキングダムの土

 夢のことを、夢について、話したいと思います。
 将来あるべき状態や自己実現、ではなく、眠っているあいだに見る夢のことです。

 とても厳しい、自分にも自分以外のすべてにも厳しい見方をする父が生きていたら、「くだらんっ」と、一蹴されそうですが、その父も、時々は自分の見た夢を語っていました。
 今では、わたしの夢のなかに、ごくたまに、ふいに、きまりのない姿で現れるだけになった父。
 いや、むしろ父は、頻回に、克明に、それを語るひとでした。ちなみに、父の誕生日は、「夢の記」の明恵聖人と同じ、1月8日でした。
 
 さておき、心楽しい夢であれ、辛いだけの時空旅行であれ、夢のキングダムから、今しがた凱旋した若い勇者のように、父は、夢のキングダムでの出来事を話してくれました。
 死んでしまう3週間ほど前までは。
 死んでしまう10日ほど前からは、いよいよ夢のキングダムの領土の土が、足裏に馴染んでしまったのか、なかなかこちら側の現実に凱旋を果たすことが、できなくなっていました。
 もしかしたら父は今、父の夢のキングダム領内にいるのでしょうか。
 わたしが父に会うには、父の夢のキングダムへ渡ればいいのでしょうか。
 残念なことに、今のわたしは、わたし自身の夢のキングダムにしか、上陸できないのです。
 それでも、わたしの夢の王国領土は、じわじわ拡大しています。そんな気がします。
 父の領土とわたしのそれが、いずれ交わり、境界線が意味をなさなくなる頃、わたしは、父に会うことになるのでしょうか。
 やっぱり、そんな気がします。

 けれど、まだ今のわたしは、夢のキングダムの土に同化できず、分解不可能なビニルシートのように、はたはたと夢の時間の風に踊らされたのち、現実に送還されつづけているだけ。
 足裏でしっかりと夢の王国の土壌を感じ、そこから浸食され、分解され、土くれと化してしまえば、わたしは、時空を跨いで、父の居場所はおろか、何処へでも行けそうなのですが。

 


 
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-07 23:01 | 骨、或いは私の愛の物語 | Trackback | Comments(0)

座敷童子さん

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 昨年の九月、座敷童子で知られる宿(一昨年焼失)の敷地内にある、亀麿神社を撮りました。
隣は、お稲荷さまです。

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 写真の亀麿神社鳥居の上ををアップにしてみました。 
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by chaiyachaiya | 2011-09-06 21:40 | 座敷童子さん | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりが怖いのであります

 平面の日本画でも、青森ねぶたの立体でも、龍の鱗は平気なのだけれど、鯉のそれは、怖くて、長くは正視していられない。
 西洋のドラゴンと違い、東洋の龍は、胴体が蛇のように細長いから、なんだか大丈夫なのか、龍と鯉では、鱗の描き方が、違っているからなのか。
 どう違っているのか、ネットでいくらでも調べられるのだけれど、そうしたら、鯉のぼりの画像を見る、という未曾有の恐怖が待っているから、わたしには、出来っこない。
 
 KOOL JAPAN という番組を、なにげなく見ていた時だ。
 鴻上さんやリサ・ステッグマイヤーさんの後ろのパネルのひとつに、初めはごく微かな違和感を覚えただけだったけれど。
 瞬間、わたしの意識のしたでは、覚えのあるこれまでの恐怖の記憶が、立ち上がっては、答えを探っていたのだろう。やがて一気に、鮮明な恐怖のかたちをとった。両耳の後ろあたりがキリッと凍りついた。
 なんと黒い真鯉につかまる、真っ赤な顔と手脚の金太郎が、スタジオほぼ中央のパネルに使われていたのだ。わかり易い、日本的な風物として。
 あの金太郎の赤い顔。その顔のあり得ない向きも、わたしには余計いけない感じがする。
 怖い。

 鯉幟、という漢字を目にしただけで、もう、始まってしまう。
 ひらがなこいのぼりでも、わたしには充分。
 鯉のぼり、だと、髭のある鯉の固い頭部と、水に揺れてたゆたう胴体のような。
 鯉幟、では、日本的な色鮮やかさの、濃い山吹色のつよい大漁旗、壇ノ浦の源氏の白、平氏の赤、それぞれ海風にはためく幟旗、まで含めた。

                             ・・・続く・・・

 

 

 

 

 

 

 
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by chaiyachaiya | 2011-09-05 22:53 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
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