ふみちゃこ部屋



カテゴリ:鯉のぼり( 6 )


太郎、寛斎、鮪、そして、幻のメタリック鯉のぼり

寒い冬を生き延びた後にやって来る、春の晴天の翌日に、雹に頬を打たれたりもする、不安定な時期の空に泳ぐからこそ、私にとって、鯉のぼりは、一層怖いのかもしれません。

・・・この頃は、居間のレースのカーテン越しに見える、近所の家々の方がたてる鯉のぼり本体やその影に、怯えることも、殆ど無くなってしまいました。
街々の子らは成長して、いろんな意味で、もう、子どもと言える存在が、少なくなってきたのでしょうか。鯉のぼりが空に揺れる姿を、以前ほど、見かけなくなりました。
近所のスーパーの食品売り場の天井近くに、真鯉緋鯉子ども鯉揃ってはられていたのは、いつの頃までだったでしょう。新しい店舗に分け与えたりしたのか、いつしか、真鯉だけになり、昨年あたりから、青果売り場のうえにも、鯉のぼりは、もう、飾られていません。

「うわ〜っ、怖いよお〜っ」「ぎゃあ〜っ、また鯉のぼり、いたよお〜っ」
などと、道すがら、或いはショッピングモールで、大声を出しながら、仰け反ったりしているうちに、自らの春の自律神経の不調を、調律していたようにも、だんだん思えてきています。

むしろ、今年などは、TVニュース番組で、ダム湖や公園や川の両岸に、寄付された、大量の、多種多様な鯉のぼりが泳ぐ、壮観な映像を見るだけで、この時期をやり過ごさなければならないのが、なんとなく、寂しくすら感じてもいます。

・・・ところで、これまでに見た鯉のぼりで、私にとって、あまり怖くない、といえば、山本寛斎デザイン鯉、岡本太郎鯉、鮪で知られる大間の「鮪のぼり」(あ、鮪だという時点で、既に鯉のぼりではありませんが)があります。
寛斎鯉も太郎鯉も、独自の装飾性やクセにより、本来の、私の恐怖のツボである、オーソドックスな鯉のぼりの王道から、やや外れている分、恐怖の度合いは弱められます。
鮪のぼりは、そもそも、鯉のぼりの本来の瞳、鱗、鰭、の文様から解放されています。色合いの地味な大漁旗のように解釈してしまう私がいるのです。

それでも、寛斎鯉であれ、太郎鯉であれ、鮪のぼりであっても、五月の薫風を受けて、傍で泳ぐのを見るのは、かなりの勇気が要ります。

こんな私にも、たった一つ、殆ど恐怖を感じることのない、鯉のぼり、がありました。

・・・その鯉のぼりを見たのは、以前住んでいた街で、‘京洗い’と、看板の掲げられた、高台にある洗い物屋さんの敷地においてでした。
巨きな真鯉緋鯉子ども鯉たち総勢五折が、サイズに相応しいかなりの高さで、掲げられています。
造形としては、瞳も鱗も鰭も鯉のぼりの典型である彼らの体表は、揃って、超メタリックに、彩られていました。鱗の稜線は、光りのなかに、やや同化しているかに感じられます。
お父さんは、濃紺メタリック。お母さんは、臙脂メタリック。長男くんはパープル、長女はピンク、二男はグリーン色に、其々が、超合金みたいに、強い輝きを放ちながら、一家で空に舞っています。いつもなら、恐怖をさらに際だたせる役割りの、白い腹の側すら、眩しく爽やかなものとして、私の目に飛びこんできました。
メタリック鯉のぼりは、ああ、ちっとも怖くなかったのです。

けれど、ここ数年、四月五月に、近くを通ることがあっても、もう、そこに、その鯉のぼりを見ることはなくなってしまいました。
背の高いポールが、すっ、とあるだけで、風にそよぐものは、何も見あたりませんし、他のどの場所でも、同じメタリック鯉のぼりを、目にすることは出来ないままです。

そういえば、幼い頃プレゼントされた、晴れ着の髪飾りの小箱を包んでいた紙も、つるんとメタリックなブルー、ピンク、グリーンの太い縞模様をしていたんです。薄桃色の髪飾り以上に、色付きで光り輝く、不思議なアルミホイルのような包み紙を、私は、いつまでも大事にしまい、時折出して眺めては、ほう〜っと笑顔になっていたのでした。

世界が、キラキラと、メタリックシャイニーな物だけで構成されていたならば、モノの輪郭や本質とは無関係に、色彩と光りに溺れ、悲しみや痛みを感じる器官を麻痺させたまま、微笑んでいられるのかもしれない自らの心の具合いを思い、なんだか少し怖くなってきた夕刻です。
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by chaiyachaiya | 2013-05-04 18:38 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりの夢を見る時 2

私のからだは、穏やかに波打つ岸辺の上空に、行き先もわからず、ほわりと浮かんでいた。どちらかと言えば、低空飛行だった。
漁を生業にしてる家々が、身を寄せあうようように、立っている。
浜辺では、次の漁に備えているのか、船や網、大漁旗を並べて、メンテナンスをしているようだった。
「あっ」
船の影に、あるものを見た私は、空中でバランスを崩し、傾きながら、地上すれすれの空を、滑るように泳いだ。大漁旗に混じって、鯉のぼりの一部が、私の視界に、真っ直ぐにはいってくる。
浜の砂の上にも、気取った食事の後のナプキンのように、ふわりくしゃり、鯉のぼりが点在している。
夥しい数の鯉のぼりが、全体像を示さぬ姿で、大きな目や鱗や鰭が、海岸線に沿って、どこまでも散らばっている。
「怖いっ。」
恐怖が頂点に達した瞬間、私のからだは、雲のまにまを飛んでいた。見降ろす地上の建物は、今度は、ダイスカットの冷凍ミックスベジタブルのよう。
ふと、周囲を見遣ると、ああ。

私は、無数の鯉のぼり達と、ひとつの方向に向かい、飛んでいた。
またしても、岡本太郎デザインの鯉のぼり以外の、仕上げには、川の清流で洗い清めたであろう伝統的なものや、箔を貼ったように鱗が輝くものなど、大小色とりどりの、鯉のぼり大戦隊、といった様子。
そのなかで、鯉というより、もはや鯨に属すほかなさそうな巨きさの、黒いボディが、私に悠然と身を寄せてきた。
その鯉のぼりは、真っ黒い総レースで出来ていた。背鰭や胸鰭、尾鰭は、同じ模様をした緑(水彩絵の具の、ビリジャン)のレース。
巨大ブラックレース鯉のぼりは、明らかに、意思を持って、私の傍を飛んでいる。
いつのまにか、怖さは、消えていた。
レースの隙間から、風が通り抜けているはずなのに、力学的にこういう状況はあり得ないはずなのに、その胴体は、何故かぷっくりと膨らみ、充実している。
ひょーひょー、きゅるきゅる、という風の音を、耳のすぐ側で聞きながら、絹や綿やポリエステルで出来た数多の鯉たち、それからレースで編まれた唯一の鯉とともに、高い空を、風に乗り、私はぐいぐい進んだ。

第二子がお腹にいた頃、こんな夢を見ていた。
どういったセクシャリティを持って、生まれてきてくれるのか、少し、訝しく思っていた。

やがて、男の子が、生まれた。とても、優しい子である。
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by chaiyachaiya | 2012-11-21 09:30 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりと龍の鱗について

 九月の末のある日、日本画家で祭り絵師としても活躍している先生と、屋外で豚汁をいただく機会があった。
 ちなみに、まあ、正確には、皆で豚汁は食したのだが、昼間からビールをきこしめしいたく酩酊したのは、わたしだけだった。
 素面では、どう振る舞えばいいのか検討がつかない。検討がつかないのなら、ただ大人しくしていればよいだけの話なのだが。
 泡立つビールの河を渡り、そこにいらした方々との一体感を得られなければ、わたしはうつろに項垂れてしまう。
 淋しがり屋、という可愛いのもではなく、もうちょっとグロテスクな感情ではないかとも感じる。

「先生、わたし、鯉のぼりが怖くて怖くて、ものごころついた時からなんですけれど、でも、龍の鱗は平気なんです、鯉のぼりのは怖いんです、で、ネットとかで違いを確かめようとしても、鯉のぼりの画像を見ちゃうことになるから、怖くって、出来ないんですが、龍と鯉のぼりの鱗って、どう違うんですか?」
 他の方と談笑されていた先生に、斜めかなり前から、わたしは問うた。
 先生の顔は、秋もじわりと深まっているのに、ヘアスタイルの影響もあり、大きなひまわりのよう。
 慈悲深き秋のひまわりは、慈悲深き笑顔で、話してくださった。
「鯉のぼりと龍の鱗の描き方は、同じ」
「えええ~っ」
 ビールの力で、関節が柔らかくなっているわたしは、ここぞとばかりにのけぞった。
「だけども~」 それから、先生は、秋のお天気と豚汁を共有している皆に、鯉や龍の描き方の習わしや由来など、いろいろ話してくれた。
 のに。
 せっかくのお話の中身が、泡立つ大量のビールの河をすべり、記憶の島から、忘却の大河へと流れ去ってしまった。
 はずかしや。

 やさしい方々が揃っていた。お互いが見えなくなるめで、見送りあった。
 ほんわり虹色に光る龍の胴体にぶら下がったり巻きついたりして、空を飛んでいる気分だった。
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by chaiyachaiya | 2011-11-13 16:55 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりの夢を見る時

 いつも意識の水底に、鯉のぼりがたゆたっているからなのか、時には夢になかに、わかり易い暗示となって、鯉のぼりは出現しました。
 ある夜、こんな夢を見ました。
 まずは、手洗いから出たわたしの前に、学生服を着たリカちゃん人形が、古い木造借家の薄暗い廊下に立っていました。わたしの視界には、つるりとした白い和式便器の照り返しが残っていて、その後ろに、リカちゃんが、ちいちゃな足で、自力で立っているのです。
 力学的に不可能なことは、夢のなかのわたしにも、痛いほど伝わってきましたし、それはなにか、可愛いより、怖いが勝る光景でした。
 彼女は、自力で立っているとはいえ、人形の定めにより、表情は動かず、命の輝きを感じさせるものは一切見せてくれません。まるで、そうすることが、彼女のわたしへのメッセージであるかのようでした。
 そう感じた瞬間、わたしは、城の天守閣らしき場所にいました。気分は、なんだか高揚しています。そこにいるのは、わたしひとりではないのですが、人数も性別も、確認できない状態でした。なにしろ、尋常ではないこの状況を、どう把握すればいいのか、わからなかったのです。
 天守閣は、かなりの上空を、飛んでいるようでした。部屋の四方は、襖で閉じられています。そして、部屋・・・天守閣のまわりを、何かが取り巻いて飛んでいる気配が、どうしてもあります。ごうーごうー、という音が、巻いている気がしてなりません。
 襖と襖の僅かな間を、わたしは、勇気を持って覗き見ました。
 そして、見てしまいました。
 この世界の、多分あらゆる種類の鯉のぼりが、最新の輝くラメ仕様から、古い倉から甦った古式ゆかしいタイプまで、岡本太郎デザイン以外の総てが、天守閣のまわりを取り巻いて、ごうごう凄い速さで泳いでいます。無数の鯉のぼりに、包囲された事態なのです。
 なのに、ちっとも、恐怖を感じません。
 幼い頃から、五月の運動会や遠足では、通りの角を曲がれば、不意に出現するその影にすら怯えて、ひとり、けんけんぱー歩きにならざるを得なかったわたしが、大量の恐怖の対象を前に、平気で息をしています。
「ああ、わたしは、男の子を産むのだな。リカちゃんは、自らを命のない人形だと訴えていたし、・・・リカちゃんは、流産だった最初の子の象徴だろうか・・・」
 目覚めた私は、次の日の午後、長男を産んだのでした。

 つづく   
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by chaiyachaiya | 2011-09-15 22:19 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりが怖い 2

 薔薇という漢字は、その芳しく幾重にも巻いた花びらをそのまま写しているようだと言いますが、鯉幟、という文字にも、同じことが言えるようです。

 鯉、の一文字も、世界の魚のボデイラインの平均を採ったような、充実した厚みのあるからだと、二本の髭が思い浮かんでしまいますし。
 幟、では、わたしのなかの、はためくもの総てへの恐怖だけではなく、鰭の筋や鱗の刷られた布の質感が迫ってくるようですし。
 鯉と幟が、隣り合ってしまえば、もう逃げ場なく、わたしは身をかたくするだけです。

 鯉のぼり、だと、ひらがなの部分が五月の薫風にそよいで、背筋を駆け抜ける恐怖も、するどい分だけ、早めに立ち去ってくれる樹がするのですが。
 
 こいのぼり、では、幼稚園児の手による、クレヨンのにおいの、くろとあか、或いは、ぴんくとみずいろの、まごいとめごい、が、思い浮かび、わたしの恐怖も、お絵かき帳サイズにとどまってくれるのですが。

 幼稚園の頃、伝統を大切にした鯉のぼり製作の仕上げに、鯉のぼりを川の清流にさらしているのをテレビで見た時は、震えがきて、でも、指と指の間から、がんばって見続けました。何故だか、友禅流しの中継にも、風情を感じつつ、心がざわざわしました。

 鯉のぼりに対して、最初に身震いした瞬間は覚えていません。
 気がついた時に、すでにそれは、この上なくおっかないものでした。
 それがただの鱗プリントされた筒状の布だと知る前に、小さかったわたしは、空を泳ぐ大きな魔物として、覚えてしまっていたのでしょうか。

 わたしの知るかぎり、鯉のぼりが怖い、なんて言う人はいません。
 誰の共感を呼ぶこともなく、すっとひとり、鯉のぼりを恐れ、わたしは生きているのです。なんだか急に、ひどく孤独な気持ちになってきました。
「言ってはなるまいぞ。鯉のぼりが怖いなどと。それを口にしたとたん、変人扱いされる。」
 父には幾度か注意を受けたものです。

 あ、思い出しました。
 わたしの母です。同心円、とまではいきませんが、恐怖の対象が、少し重なっていました。母も、鯉のぼりの幾重にも円を描いた目、鱗の連なり、鰭や尾の縞など、気持ちが良くないと話していたことがあります。大漁旗も耐え難いと、まるでわたしのようなことを言ってもいました。結局は、恐怖の概念の遺伝、でしょうか。
 
 余談ですが、さらに母は、電池の切れかけた電卓・・・昭和四十年代の、でっかい・・・が、ぴくぴくと数字の8の点滅しか表示しなくなると、気持ち悪い気持ち悪い、とつぶやいていたものでした。途切れとぎれの8の字は、死にきれない昆虫の脚のように見えたのです。
 珍しく、母と共有できるものが、電卓上の瀕死の8の字、なのでした。

 つづく
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-14 23:19 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)

鯉のぼりが怖いのであります

 平面の日本画でも、青森ねぶたの立体でも、龍の鱗は平気なのだけれど、鯉のそれは、怖くて、長くは正視していられない。
 西洋のドラゴンと違い、東洋の龍は、胴体が蛇のように細長いから、なんだか大丈夫なのか、龍と鯉では、鱗の描き方が、違っているからなのか。
 どう違っているのか、ネットでいくらでも調べられるのだけれど、そうしたら、鯉のぼりの画像を見る、という未曾有の恐怖が待っているから、わたしには、出来っこない。
 
 KOOL JAPAN という番組を、なにげなく見ていた時だ。
 鴻上さんやリサ・ステッグマイヤーさんの後ろのパネルのひとつに、初めはごく微かな違和感を覚えただけだったけれど。
 瞬間、わたしの意識のしたでは、覚えのあるこれまでの恐怖の記憶が、立ち上がっては、答えを探っていたのだろう。やがて一気に、鮮明な恐怖のかたちをとった。両耳の後ろあたりがキリッと凍りついた。
 なんと黒い真鯉につかまる、真っ赤な顔と手脚の金太郎が、スタジオほぼ中央のパネルに使われていたのだ。わかり易い、日本的な風物として。
 あの金太郎の赤い顔。その顔のあり得ない向きも、わたしには余計いけない感じがする。
 怖い。

 鯉幟、という漢字を目にしただけで、もう、始まってしまう。
 ひらがなこいのぼりでも、わたしには充分。
 鯉のぼり、だと、髭のある鯉の固い頭部と、水に揺れてたゆたう胴体のような。
 鯉幟、では、日本的な色鮮やかさの、濃い山吹色のつよい大漁旗、壇ノ浦の源氏の白、平氏の赤、それぞれ海風にはためく幟旗、まで含めた。

                             ・・・続く・・・

 

 

 

 

 

 

 
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by chaiyachaiya | 2011-09-05 22:53 | 鯉のぼり | Trackback | Comments(0)


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