ふみちゃこ部屋



カテゴリ:難儀なこと( 6 )


肉じゃが

肉じゃがの玉葱の匂いが、好きではありません。

醤油のしみた玉葱の匂いが、苦手な気がします。

作りおいた肉じゃがの、一旦冷めたじゃがいもが、好きではありません。

白く固まった肉の脂に包囲され、見た目からして、まるで、別物じゃありませんか。

私は、人非人です。多分、人非人です。
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by chaiyachaiya | 2012-10-07 23:59 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

世の中に絶えて片付けのなかりせば

 父に言われたことがある。
 「この世には、部屋を片付けられない家系というものがあることを、おかげ様で、知るにいたった。わが家では義母、妻、娘、と直系で脈々と受け継がれている。」
ああ、片付けられない血脈。なにゆえ、淘汰されずに今日にいたったのか。

父は、車のボンネットに、鳥の糞どころか、虫の糞?のような、粒、いや、粉が付着しているのを発見するやいなや、ただちに除去し磨きなおすことを厭わないきれい好きだった。
自分の留守中に、十五分ほど滞在した客人があれば、「ん、誰か来客あり、だったな」と、換気扇の最強スイッチを押した。
区分けし排除し、他者と自分の領分の稜線は、太字ゴシック体で、くっきりさせておく性分。
というと、冷たい人間みたいだが、太字ゴシック体の成分は、それほど強いものではなく、「いろんなとこまわってるけど、おたくのお父さんくらいお人好しはいないね」と、取引先の若い男性に言われたくらいだから、筋金入りの人好さんでもあった。
父の太字ゴシック体の成分表は、どうなっていたんだろう。
 
話しは戻って、片付けられない、という私の特技?についてですが、ものごころついた時分から、まわりの人々の毎日の暮らしを見あげては、不思議に思っていました。
にんげんは、毎日、身繕いをし、食事の準備片付け、その他にも懸念事項が降ってきて、でも、毎日食べたり片付けたり、そしてだんだん死んでいく。
そこに喜びを感じていても、見出せない人も、いなくなる。
どうしたことか?
母は、暮らしや季節のうつろい、時節の行事には興味がなさそうで、ついでに、私の存在にも、さほど喜びをを見出していないと見うけられた。
どうしたことか?
が、子どもの私の心に降り積もっていった。

それと、私が片付けられないことに、何の関係があるのか?

どんよりもやもやの重たい心を、なんとか動かして、片付けなくては。

一週間きれいな部屋を保った後、私は、必ず風邪をひく。
部屋をきれいに保つことは、汚ない部屋に自責の気持ちでいる以上に、わたしの免疫機能を低下させるらしい。難儀な事だ。
でも、片付けなくては。

河合隼雄氏が生前記されていたと思う。
「苦手をなんとかしようと頑張るよりも、得意なこと好きなことを追求したほうがええとちゃいますか」
得意なこと好きなこと、が、結局は、ただ蹲って体温を下げ、免疫機能を下げること、に落ちつくのは、忍びないなあ。

・・・古文で最初に覚えた歌を、一瞬の後、こんなものに変えていた私だった。

世の中に絶えて片付けのなかりせば 春の心は のどけからまし

業平さん、ごめんなさい。
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by chaiyachaiya | 2012-01-08 14:10 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

見えない世界について

 自らを霊能者だと標榜する人々に、わたしが何故こんなに鯉のぼりに恐怖を抱くのかを聞いてみたりした。
 答えは色々で、
「綺麗な布が水を流れていくのが見えますよ。あなたは壇ノ浦で滅んだ平家の姫でした」
「まあ、答えは、これからおいおい、来るうちに」
 なかには、「さあ、わかりません」と、きっぱり言う人もいて、これはこれで、こちらもすっきり、なんだかしゃっきりした気持ちになって帰ってくるのだった。

 先日見た三谷幸喜さんの「ステキな金縛り」のなかでで、淺野忠信さん演じる歴史学者が、ヒロインの弁護士の話の内容を、心霊的なものに関わることだと知ったとたん「興味ありませんから」と一蹴した後、自分の気持ちの何処か深くて浅い個人的に大切な場所にふれる情報(弱み、と言って差し支えなさそうだ)を発信されたとたん、すべてを受け入れてしまう、というのは、わたしたちが、心霊的なものにふれる場合に陥りやすいパターンのように思った。 

 つづく 
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by chaiyachaiya | 2011-11-13 16:16 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

お節介の節度

 米国におけるショッピングセンターとショッピングモールの違い、というのが、今頃わかった。
 ニューヨークに住んで米国の投資会社で仕事をしている女の人・・・って、さらり、ニューヨーク在住のキャリアウーマンと書けば済むのですが、なんだか、むずむずしてしまう。自分のことでもないし、いや、自分のことじゃないから、勝手にこじれた照れ方をしているのか。自分の心のありようにかなう表現を探して、時々わたしは、かえって伝わりづらい、難儀な道をいくのだった・・・が、教えてくれたのた。
 ショッピングセンターのほうは、同じ敷地に、ホームセンターやドラッグストアなどを有し、日常的庶民的な展開をしている。
 モールのほうは、もう少し高級で、ブランドショップも入ったり、大きな一つの建物であることが多い。
 米国の若い歌手が、「ショッピングモールで歌ったわ」とインタビューで話していたのを、思い出したりする。

 その日、百貨店でもない、米国型ショッピングセンターでも、モールでもない、日本型ショッピングセンターのお手洗いに向かっていたわたしの前を、車椅子の女の人が進んでいた。
 その女性も、お手洗いに向かっている。             
 すぐに、わたしは肝に命じた。というより、神に祈った。
 わたしが、ひとりよがりな過剰な親切にはしり、車椅子の女の人に、いやな思いをさせませんように。

 女の人は、様式トイレのドアを押し開こうとして、難儀しているように見えた。
 動きのない時間が、かなり長く続いた。・・・ように感じること自体、何か手伝いたい、という願望のなせる技だったもしれない。
 他者を助けたい、というより、関わりたい、という感覚。正確に言えば、きっとこれは、親切心ですらないのだろう。
「なにか手伝うことはありませんか?」
 わたしは、声を抑えて、言った。笑顔も控えた。
「ありません」
 即座に、女の人はかえしてきた。
 振り向いたその顔の片側は、骨が粘土質に変わったのに気づかずに、顔の筋肉にそって外側に強くマッサージされたような形をしていた。
 わたしが声をかけなければ、女の人は、振り向かずに済んだのだ。
 という、解釈もまた、勝手な思いなのだろう。
 
 相手の立場にたって考える、というが、わたしの頭は、ときどき混乱している。
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by chaiyachaiya | 2011-11-10 21:43 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

あの列車に乗るためには 1

 あの列車に乗って、できれば、飛び乗って、・・・ということは、わたしは、男で、若者で、ベルボトムジーンズを履いていて、ベルトのおっきなバックルが、痩せたへなへなの腹にそれなりに食い込んでいて、肩にずた袋で、背中にギターケース(前の彼女の名前を記してた部分は、どうでもいいシールをはって隠してて)で、長髪ウルフカットで、・・・と、妄想が開始されます。
 70年代初頭に、わたしは、痩せて、手脚の長い、さすらいの若い男、でありたかった。理由は、わからないのですが。 
 
 そういえば、当時、実家の改装(リフォーム、とは言いませんでした)を頼んだ大工の息子さんが、長い手脚に、長髪、ベルボトムジーンズ、時には淡いピンクのサテン風のブラウスで、鉋がけを手伝ったりしていました。ひとりっこのわたしは、改装の間じゅう、帰りのホームルーム終了と同時に、ぴゅ~っと、短い脚を渦巻きにして、家へ急ぎました。
 ピンクのサテンの君は、朗らかで、子供でも大人でもない、若者特有の仕草所作振る舞いで、小学3年のわたしは、美しいの範疇に入る新しいモノ発見、のような喜びを感じて、うきうき過ごしていました。
 改装工事も終わり、半年ほど過ぎた頃、
「息子が、東京へ出て行って、行方がわからない」
 と、うちへ来た大工のお父さんが、今から想えば、ルオーの描いたキリストのような顔で、話していました。
 ピンクのサテンの君は、ピンクのサテンがもっと似合うと想われる場所で、生きたかったんだなあ、と子供心に想いました。
 穏やかに朗らかに、子供のわたしをあしらいながら、彼は、旅立ちの日のカウントダウンをしていたのです。裏切られたような気はしませんでした。どこかで、納得していました。
 多分、彼の旅は、彼の思うようなものにはならないだろうと、子供ながらに確信し、悲しくなったのを覚えています。
 
 ・・・ベルボトムに長髪、でも、ピンクのサテンではなく、インド綿かリネンのシャツで、70年代初めの空気のなかを、若者になったわたしは、あてのない旅に出たいのです。

 あの列車に乗って、できれば、グリーン車で、・・・既にベルボトムの若者状態ではありません。 でも、あまりの美人だと、いくら妄想でも、この場合、入っていけません。善意の誰かが、持てる技術を総動員させて描いてくれた、わたし、という画像を貼りつけてみます。
 ・・・気がつけば、秋の夕刻の薄闇、パリのとあるホテルの自室の窓から、小雨の通りを見ているわたし。外を散策がてら、観光客向けでないレストランで夕食をとろうか、このまましばらく、ホテルの窓のガラス越しに、路面が雨で濡れて、光る闇色に変わっていくさまを眺めていようか、迷っている。
 妄想のなかのわたしは、ホテルのフロントや、レストランのギャルソン連中に、馬鹿にされない程度のフランス語もこなせる。
 五回目のパリ、か、・・・。とつぶやく。

 そこに、ストラスブールにいる友人から、連絡が入る。
「あ、おかあさん、味噌かつおにんにくだけど、特設百円均一ワゴンにもあるし、298円で、添加物ちょっと少なくて、量が多いのもあるけど、どっちにすればいい? にんにくは、どっちも中国産だよ」
 近くのスーパーから、現実の声がする。

 ああ、旅に出たい。
 旅行、じゃなくて、旅、といわれるものへの憬れで、逆に胸が潰れてしまいそうだ。
 けれど、旅に出るためには、乗り越えなくてはならないことが、わたしには、あり過ぎて・・・
 
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by chaiyachaiya | 2011-09-18 16:44 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)

あのコーヒーショップに向かうためには

 唐突ですが、去年の冬の日のお話しです。 
 
 冬のある午後、そうだ、あのコーヒーショップで、コーヒーを飲もうと、わたしは決意する。
 わたし、ではなく、誰かの娘だったり、奥さんだったり、お母さんである女の人、あるいは誰かの思い人の男の人が煎れたコーヒーを飲んで、冬の午後のひとときを過ごしたいのだ。
 飲み終えた後、カフェラテの泡が、白いカップの内側にクリーム色の泡の地層を描いている様が浮かぶと、鼻先は、そこにはないミルクとコーヒーのにおいを感知する。ああ、あのコーヒーショップに行かねば。
 
 コーヒーで冴えた頭で、須賀敦子の「トリエステの坂道」を読み返し、訪ねたことのない異国の町の、坂道の石畳にうつる自分の影などを思いうかべれたならば、さぞや気持ちが良いだろう。
 しかし、午後の酷い眠気にとらえられて、あのコーヒーショップへ車を運転していく自信がない。
 だからまず、車のハンドルを握る前に、スーパーで買った、お買い得パックのドリップコーヒーを煎れ、カフェインによる覚醒を待つことにしようか。
 
 そうして目覚めを待つうちに、真冬の陽光でとけた路面を覆う雪が、今度は夕刻の冷気で、ジリジリ半透明に固まってくる。もうすぐ氷と化して、ツルツルの路面になるのだ。だから、とても、危ない。
 加え、お得パックのドリップコーヒーで目覚めたわたしが、氷の上を緊張のまま運転し、目的のあのコーヒーショップで、さらにコーヒーを取り込むと、2杯分のカフェイン効果で、夜不眠となったり、頭痛に苛まれる可能性も出てくる。
 
冬の晴れた日に、あのコーヒーショップでコーヒーを飲む、というのは、たやすいことじゃない。
 難儀なことだ。
 それなりの、覚悟と実行力が必要だ。
 などと、考えているうちに、わたしの部屋の窓から見える空では、冬の重力の子供たちが、無言で、いっせいに、墨色のボイルカーテンをひき降ろす作業を始めている。
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by chaiyachaiya | 2011-09-03 22:56 | 難儀なこと | Trackback | Comments(0)


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