ふみちゃこ部屋



カテゴリ:妖魚の家( 7 )


妖魚の家 7

人間の下半身なら、あり得ない方向に、その鰭は向いていました。脚の膝が、逆にくの字を描くかたちに、私の手前の方に、魚の部分を曲げていたのです。
彼女の魚の領分の充実した太さと長さを目の前にすると、もっと幼い頃に読んだ、アンデルセンや小川未明の儚い人魚たちの幻影が、入り込む余地はありませんでした。
鬱金色、とでも言うのでしょうか。ちょっと汚れた感じの山吹色の鱗でした。ところどころ、螺鈿のように、光っています。尾鰭は立派で、青に寄った緑の筋が、鰭の外側の一番長い部分に、入ってました。鋭いかたちの背鰭もあります。同じように、青緑のラインがありました。
ふと、この人の背中側から生えているものが、背鰭ではなくて、ふわふわの白い翼だったなら、と思われ、急に悲しくなってしまいました。
空を翔ぶ羽ならば、水を必要とぜず、ただ美しい貴種として、人間らを見降ろしていられるのに、って、子供心に思ったんです。

「あなたは、あんなに鯉のぼりが恐いのに、私のことは、恐くはないのね」
知らぬ間に、私は、みこちゃんのお姉さんの傍まで近づいていたようです。
彼女は、私の手を取り、人間でいうなら、腰の下の辺りの、もう完全に、魚のところを触らせました。
ゾッとする程、柔らかです。その表面を護っているのは、薄い薄い、鱗でした。
むしろ、臍のあたりの、人間としての皮膚の方が、傷つきにくいように思えます。
掌の体温は、特に低いというわけではなく、なんというか、今でいうなら、コラーゲンたっぷり状態の、艶艶と水気に溢れた感触でした。
手指の爪は、極薄く、かろうじて、爪と呼べるような質感しかなく、皮膚の下の血の赤みを、そのまま映しています。

私は膝を折り、只、みこちゃんの、異形のお姉さんの前にいました。
みこちゃんも私の隣に膝を折り、桶にいるお姉さんと、私に、かわるがわる視線をくれ、すこし満足気な笑顔になったりしています。
[PR]
by chaiyachaiya | 2013-07-08 18:08 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 6

皮膚病なのかな、と思いました。いつでも身体を、皮膚を、半身を、水に浸しておかなければ治らない、難しい病気。桶に張られているのは、薬湯なのかもしれない。

いえ。
もう、私には、わかっていました。

水に浸かっているわけではないのに、乾いている状態の想像が出来ない、べっちりとした質感の長い髪。それは、黒い滝になって桶の水のなかに向かい、ゆらゆらとたくさんの根を張っています。
ショックで、遠近法か、スケールの感覚が狂ったのか、その人は、全体に、普通の大人より、大きく出来ているように見えました。
尾鰭の先までなら、凄い長さだったと思います。
顔だったら、もっと大きな顔の人を、何人も知っています。でも、頬の肌は、その底に、緑色が潜んでいて、周りの変化や、感情の起伏など、一寸した拍子で、隠れた寒色が、くわっと現れる予感のする白だと思いました。肌理は細かそうでしたが、柔らかいのか硬いのか、見当がつきません。
眉のところには、黄色い魚の骨みたいな、猫の髭を短く硬くしたようなものが、疎らに生えています。
私をじっと見る目は、みこちゃんと同じ、黒い瞳に虹色の輝きの膜。恐くはありませんでした。
鼻の形は、まるで、整形手術したみたいに整い、唇は、朱赤に寄った、珊瑚の色で、綺麗だけれど、あり得ない色味だったので、骨の針のような眉毛よりも、むしろ、その人が人間ではないことを、物語っています。
哺乳類の証しの胸は、豊かで、そこだけ温かい血が通い、体温が高そうでした。首は少し細長く、桶の縁の上に組まれた腕は、大人の男の人より長いのですが、肉付きが良く、力強くさえ感じられます。両の腕でがっしりと捉えられた後は、捕食されるしかないみたいですが、やっぱり恐いとは思いませんでした。

「夏の海、で、夏海ちゃんだよ」
みこちゃんが、私を紹介しました。

「夏の海、で、夏海」
みこちゃんのお姉さんが、繰り返しました。正確には、ちゃんが、外されましたけど。
朱赤の唇が、どんなふうに動いて、人の言葉を発したのか、思い出せませんが、尾鰭の辺りで、水が揺れたのは、はっきり覚えています。微かに羽音が振動するように響いた声も。

失礼かもしれないけれど、桶の水に半ば沈んだ、彼女のその下半身を、私は、きちんと見ることにしました。
[PR]
by chaiyachaiya | 2013-07-08 11:54 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 5

みこちゃんは、少しがっかりしたような、見下したような表情を見せた後、ガラスのコップにサイダーを注いでくれました。
それから、「乾杯」は、せずに、お互いに、ひとくちづつ、サイダーを飲みました。甘く発泡する透明な液体は、多分、みこちゃんと私の両の喉や食道を、同時に伝っていったんだと思います。

「お姉ちゃんに、会ってくれる?」
唐突に、みこちゃんが言いました。
「え、みこちゃん、お姉さんいたの。知らなかった」
羨ましいな、と呟いた私に、みこちゃんは、ちょっと泣き出しそうな、嬉しいんだか、悲しいんだか判らない顔になりました。
それでも、すっくと膝小僧を立ちあげ、みこちゃんは、海を模した襖絵の迷路の奥へ、私を誘うつもりみたいです。

「こっちだよ」
振り返ってわこちらを向いたみこちゃんの黒い瞳の緑のぬめりは、今は、虹色を帯びた艶めきに変じ、輝いて見えます。
ちょっと呼吸が苦しくなって来ました。

「お姉ちゃん、みこの友だちだよ。友だち、出来たんだ、この町で」
バシャリっ。
水音が、応えのように、右奥の和室から、聞こえました。
なまぐさい水のにおいのありかが、いよいよ近づいているのがわかりました。
部屋の壁に、水の揺蕩いの光と影が、うっすらと揺れているように見えた記憶も、残っています。

大きな瓢箪型(だったような気がします。)の木の桶に、みこちゃんのお姉さんは、裸で、半身を水に沈め、私を見上げています。
[PR]
by chaiyachaiya | 2013-07-06 18:17 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 4

みこちゃんの目は、学校にいる時より、いたずらっぽくて、黒い瞳の表面が、緑色に光って見えました。
「こんにちは」と足を踏みこんだ場所は、今でもよくわからないのですが、正面玄関なのに、大っきな勝手口のような、裏口といえばそんなような、捉えどころのない空間でした。見慣れない古い道具が積まれ、沼のような海のような、においがしています。
私の「こんにちは」に、応える気配は、家の何処からも、してきません。
「お母さん、お仕事なんだっけ?」
サンダルを脱ぎながら、みこちゃんに聞きました。
「うん。時々」
みこちゃんは、子供らしく、私の手にぶら下がる袋の中の、シャンペンサイダーもちとフエラムネに、チラと視線をくれながら、淡々と言ったのですが、私が聞きたかったのは、そんな答えではなかったような気がします。
何かの事情、急設えの高い塀や、季節外れの鯉のぼり、可愛いみこちゃんの真黒過ぎる瞳、木造で、窓を開け放っているというのに、溜まっている潮のにおいは、古いお家だから? 私の家よか、ここが海に近いから?

「夏海ちゃん、鯉のぼり怖いんだもんね。いつから?」
廊下を進みながら、みこちゃんが私に訊いてきました。
「たぶん、生まれた時から」
「ふうん・・・」
どの部屋の襖も、開けてありました。開放的、といえば、そうなのですが、私が住んでいる町の空気と、みこちゃんのお家の空気は、混じり合っていないんだ、と感じました。
「困ったな」と、みこちゃん。
「何が?」
襖絵に描かれているのは、浜辺というより、海中の生き物たちでした。かなり古い襖のようで、建物と尺寸が合っていないように見えます。このヒトデやタツノオトシゴや蛸などが、海藻や珊瑚を背景に描かれた、愛らしく可笑し味もある画風の襖と一緒に、みこちゃんの一家は、古くて大きな家から家を探し、引っ越しているんだろうか・・・。
「夏美ちゃん、自分が魚だった時の記憶、ある? 忘れてても、他の人よりはあるんだよ。だから、怖いんだよ」
「へっ」
海の襖絵迷路の一角に、みこちゃんの机と、ランドセル掛けがあり、畳の床の上に、螺鈿細工で、尾の長い亀を表したお盆が置かれ、既に、サイダーが二瓶、ガラスのコップとともに、並んでいます。サイダーの瓶の外側を、最初の汗が、滑っていくのが見えました。
ちょっと前に、みこちゃんのお母さんか誰かが、置いていってくれたんだと思います。

「私が、魚だった?」
私は、みこちゃんの顔を覗きました。
螺鈿の虹色のお盆を隔て、座った二人でしたが、私は、みこちゃんの物語りをどう聞けばいいのか、もう途方に暮れていました。
「うん、皆、魚だったのに、忘れてる」
「んと、んと、遺伝子レベルっぽいみたいな、話し?」
転校して来て以来、いつも百点満点ばかりな、できる子なみこちゃんに、私は、恐る恐る、でも、いっぱしの論客として招かれたつもりになって、挑んでみました。
[PR]
by chaiyachaiya | 2013-07-06 12:02 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 3

みこちゃんの家の門柱の上には、以前はきっと、何か意味のある彫刻が設置されていたんだろうと思います。もぎ取られ、痕跡を削られたような、不自然な隆起と凹みが、左右の門柱の上にありました。

ちょっとしたコンクリートの盛り上がりが気になり、背伸びをして、左右の門柱の表面を確認した私は、いっぱしのちびっ子探偵さん(いっぱしのちびっ子探偵、とはどういう状態を指すのか、わかりませんけども)気分でした。
コンクリートの門柱に、板張りの塀のぐるりは、如何にも奇妙に感じられましたし、お家の屋根の向こうの低いポールに、揺蕩う魚の影を見た瞬間、恐怖を覚え、みこちゃんのお家の玄関のベルを鳴らすのは、諦めようか思いました。

ゆらり。ゆらり。
あまり風がなかったので、その真鯉と緋鯉は、尾鰭を地面すれすれに、揺れていました。
珍しい色遣いでした。真鯉は、水色で、鰭の筋は、山吹色。緋鯉は、桃色、鰭の筋は、おなじ山吹の黄色。
既に季節は移ろい、この町で、未だ鯉のぼりをたてているお家は、ありません。
ゆらり。ゆらり。
木造の古いお家が呼吸をしていて、その度に、鯉のぼりが揺れているようでした。
怖くて、もう帰ろうかと思いました。
みこちゃんの分の、シャンペンサイダーもちと笛ラムネを、門柱に乗せて、自分の家に戻ろうと、思いました。
その時です。

「夏海ちゃん、待ってたよ」

いつの間にか開いていた玄関の引き戸の側に、みこちゃんの顔が覗いていました。
[PR]
by chaiyachaiya | 2013-07-04 22:39 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 2

転校して来たみこちゃんのお家は、町外れの竹林に続く、行き止まりにありました。
高い塀に囲われ、その艶消しの赤茶色に塗られた木製の塀の隙間は、みこちゃんが越して来る数週間前に、ぴっしりとベニヤ板で埋められ、外界を拒む様相を呈していましたので、
「遊びに来て」
と、言われた時は、「ひいっ」と心のなかで、叫んだくらいです。

スーパーマーケットのレジでシールを貼ってもらった、シャンペンサイダーもちと、フエラムネを握り締め、ひとりで、町の果てのみこちゃんのお家を目指しました。
みこちゃんは、何も言わなかったのですが、他の子を誘って行く気にはなれなかったのを覚えています。

竹林が近づくにつれ、様々な種類の蝶々と蜻蛉が、ほわほわと飛んでいました。
紋黄蝶、紋白蝶、シジミチョウ、黒揚羽、ギンヤンマに羽黒、秋茜などが、節操もなく、ゆきかっているのです。
季節感のない、或いは、今から思えば、四季を描いた屏風絵のなかにいるような感覚でした。
子供である自分の、細くて短い脚の運びが、如何にも頼りなく感じられました。
多分、足下の草花も、季節の理のくびきの外で、咲いていたのだろうと思います。
その日の午後の、お日さまの記憶も、物の影の記憶も、途切れたままです。
[PR]
by chaiyachaiya | 2012-11-06 22:18 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)

妖魚の家 1

転校生に、早々と、近づくのが、好きでしたし、得意でした。
馴れた同級生達とのつきあいの中で、意識していたり無意識だったり、関係はお互い無傷であるはずがないのですが、ニューカマーとは、真っ白いところから始められるので、其処に逃げようと、いつもしていました。
ゲームのリセット、というより、無責任な遊牧民が、人間関係という牧草地を心無く扱い、穢した後、すべてをうっちゃって、新しい土地へ、へらへらと逃げ込むような感覚でした。
や、幼稚園から、小学校の低学年までの、ハナシでしたけれど。
自分は、なんだか卑怯で、嫌な人間だ、と感じていました。
田舎に住んでいましたので、「秘境に住んでる卑怯者」と、こころの中で名乗っていました。
幼いながら、自らを、このような可笑しみのある表現を持って断罪出来るとは、ませて、レベルの高い子供だぜ、と、結局は、悦に入っていたのですけれど。
[PR]
by chaiyachaiya | 2012-09-06 15:21 | 妖魚の家 | Trackback | Comments(0)


猫と日常と非日常
カテゴリ
Twitter
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
Mitsuki様 コメ..
by chaiyachaiya at 10:09
メールなどでかかりつけの..
by sweetmitsuki at 18:46
こんにちは。 スペース..
by つねさん at 07:18
サンチ氏にはかなわぬかも..
by chaiyachaiya at 12:45
きゃわゆいの~。
by saheizi-inokori at 10:52
あまり高速回転を極めると..
by chaiyachaiya at 11:05
俺は今頃初めて踊ってる。..
by saheizi-inokori at 21:19
俺は今頃初めて踊ってる。..
by saheizi-inokori at 21:18
猫トイレも猫の数より多く..
by chaiyachaiya at 08:13
以前に訳あって、ハウスホ..
by sweetmitsuki at 06:03
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧