みこちゃんの目は、学校にいる時より、いたずらっぽくて、黒い瞳の表面が、緑色に光って見えました。
「こんにちは」と足を踏みこんだ場所は、今でもよくわからないのですが、正面玄関なのに、大っきな勝手口のような、裏口といえばそんなような、捉えどころのない空間でした。見慣れない古い道具が積まれ、沼のような海のような、においがしています。
私の「こんにちは」に、応える気配は、家の何処からも、してきません。
「お母さん、お仕事なんだっけ?」
サンダルを脱ぎながら、みこちゃんに聞きました。
「うん。時々」
みこちゃんは、子供らしく、私の手にぶら下がる袋の中の、シャンペンサイダーもちとフエラムネに、チラと視線をくれながら、淡々と言ったのですが、私が聞きたかったのは、そんな答えではなかったような気がします。
何かの事情、急設えの高い塀や、季節外れの鯉のぼり、可愛いみこちゃんの真黒過ぎる瞳、木造で、窓を開け放っているというのに、溜まっている潮のにおいは、古いお家だから? 私の家よか、ここが海に近いから?
「夏海ちゃん、鯉のぼり怖いんだもんね。いつから?」
廊下を進みながら、みこちゃんが私に訊いてきました。
「たぶん、生まれた時から」
「ふうん・・・」
どの部屋の襖も、開けてありました。開放的、といえば、そうなのですが、私が住んでいる町の空気と、みこちゃんのお家の空気は、混じり合っていないんだ、と感じました。
「困ったな」と、みこちゃん。
「何が?」
襖絵に描かれているのは、浜辺というより、海中の生き物たちでした。かなり古い襖のようで、建物と尺寸が合っていないように見えます。このヒトデやタツノオトシゴや蛸などが、海藻や珊瑚を背景に描かれた、愛らしく可笑し味もある画風の襖と一緒に、みこちゃんの一家は、古くて大きな家から家を探し、引っ越しているんだろうか・・・。
「夏美ちゃん、自分が魚だった時の記憶、ある? 忘れてても、他の人よりはあるんだよ。だから、怖いんだよ」
「へっ」
海の襖絵迷路の一角に、みこちゃんの机と、ランドセル掛けがあり、畳の床の上に、螺鈿細工で、尾の長い亀を表したお盆が置かれ、既に、サイダーが二瓶、ガラスのコップとともに、並んでいます。サイダーの瓶の外側を、最初の汗が、滑っていくのが見えました。
ちょっと前に、みこちゃんのお母さんか誰かが、置いていってくれたんだと思います。
「私が、魚だった?」
私は、みこちゃんの顔を覗きました。
螺鈿の虹色のお盆を隔て、座った二人でしたが、私は、みこちゃんの物語りをどう聞けばいいのか、もう途方に暮れていました。
「うん、皆、魚だったのに、忘れてる」
「んと、んと、遺伝子レベルっぽいみたいな、話し?」
転校して来て以来、いつも百点満点ばかりな、できる子なみこちゃんに、私は、恐る恐る、でも、いっぱしの論客として招かれたつもりになって、挑んでみました。