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ふみちゃこ部屋



成田亨のウルトラ怪獣と馬場隆志さんの備前焼

京都市立美術館における「リヒテンシュタイン展」では、同東京展で、人気があった、人形を抱いたまま眠るおさなごを、暖かくやわらかな光りのなかに捉えた「マリー侯女2歳の肖像」(図録で見ても、画面の外側から見護る天界からの微風で、幼女の巻き毛が揺れはしまいかと感じてしまうほどなのです)など、幾つかの作品は、展示されていず、京都に先だっての、国立新美術館の展示は、天井も含め、リヒテンシュタインの城を彷彿させる華麗な演出もあったそうなので、ちょっとばかり、しょんぼりして会場を後にしました。

それでも、京都市美術館の建物自体の、やや古いものとなった美しい建物の持つ魅力に敬意を感じ、建物全景が納まるよう、後退りしながら写真を撮り、「ここ、真〜直ぐ、歩いたら、知恩院まで、いけますよ」と朝に乗ったタクシーの老運転手さんの言葉を思い出し、「いざ、ゆくぞっ」と歩みを進めた時でした。

「備前焼、ご覧になりませんか? ここからすぐ近くです」
炎天下、ひとりの青年が、パンフレットを手に、声を掛けてきたんです。
「これ、僕です」
“たなごころのこころ at 京都 ”と題された、備前焼の若手作家6人による展示会が、本当にすぐ近くの〔みやこめっせ〕で催されているとのこと。目の前の青年と同じ顔の写真が、差し出されたパンフレットのなかにありました。
ひょんなこと、偶然により、知らないことを思い知らされるのは、脳への心地よい刺激であり、私の精神のヘタレ予防の特効薬です。
「見にいきますっ」
応えた私でした。

「焼物、備前焼、好きですか?」
という備前焼作家からの、[みやこめっせ]に向かいながらの問いに、
「いえ、好きなのは、ガラスとか、透き通ってキラキラ、虹色に輝いたりするものだけです。子どもの時に綺麗だと思ったものを、そのままずっと、好きなまんまで、ほれ、これですもん」
私は、自分のバッグの取っ手にぶら下がった、虹色の縞縞スカートを穿いた、小さなボリビアの少女の人形や、ピンクの革で出来たおすわり猫ちゃの上に、いろんな色のガラス小粒がラインを描いているもの、淡い水色の飴を透明なアクリルか何かに閉じこめたもの、本物だったら、ドバイに大っきなプール付き別荘が買えるかもしれない、オーバル型巨大キュービックジルコニア、を指して言いました。

会場に案内される途中、更に、到着してからも、普段、余計なことは何ひとつ言わず、はみ出すような行いはせず、伏し目がちに、そそとして、日常をこなしている私(あ、来世では、きっと、って最初に記すのを忘れました)なのに、「田舎もんだ」「門外漢だ」「オバちゃんだ」の“三本の矢”政策(どこかで最近聞きました)を卑怯な拠り所にして、失礼であろう質問を、真っしぐら、その若手作家の方に繰り返していました。

「あのう、同じ焼物でも、普通のと、作家もの、って、その境い目って、どんな感じなんですか?」
「これ、値段、0の数、も一個増えたらいいですね。あ、俗っぽいですね。賞を取ると変わっていくんですか?」etc etc...
おお。あああ。

彼は、これらの不躾な質問に、微笑みながら、真摯に答えかけていたのですが、私は、目に付くもの、作品について、次々に、「おっ」「あっ」と声をあげては、次の質問にはいってしまい、非礼を重ねていたのです。

そして、彼の作品のなかに、「おあっ」と、感じるオブジェがあり、またしても、私は、直ぐに言葉にしてしまったのですが・・・。
「あのう、ウルトラQとか、ウルトラマン、セブンまでの、マンや怪獣のデザイン、成田亨というひとだったんですが、この作品に、その怪獣たちの、謂れなく滅ぼされた怪獣の哀しみの遺伝子が、入っているように感じます」
ああ、言っちまった、と思う瞬間には、もう言ってしまっていました。
それは多分、短い時間のやり取りのなかで、私なりに、この青年作家は、気分を荒立てることなく、こちらの言葉を受けとめてくれるだろう、という確信を得ていたので、口に出来たのだと思います。実際また、そうでした。

・・・TVで、円谷プロによるウルトラシリーズが放映され始めた時代といえば、じわじわと、環境破壊問題が表面化してきた頃で、成田亨の造形は、今から思えば、地球の、大地の痛み、哀しみに裏打ちされているようで、なにか子どもながら、見ていて、切なかったのですが・・・。
目の前の、備前焼の作品は、初めは私の心の内側で、同じ哀しみの韻を踏んでしまったものの、一歩ひいて、もう一度見た時、そこにあるものは、哀しみではかった気がします。
若い手によって、地球の、大地の、痛み哀しみは癒され、造り直され、本来のエネルギーを取り戻し、大地の、土の、喜びに転化されてしまったようでした。

焼物、備前焼、器から、大きめのオブジェまで、新しい世界を見せてもらったものの、私が手に出来る値段のものなどなかろうし、では、そろりそろり、退場しなくては、と踵を返しかけた時、
「あっ」
彼が、小さく声をあげ、日常使いの器のコーナーへと向かい、一枚の中皿を指しました。
「あっ」
今度は、私が、声を出しました。
ほんわりと、備前の地肌の表面に、虹色が弛立って見える一枚が、あったのです。
まさしく、私の、《こんなのあったらいいな》のど真ん中の作品でした。
伝統の渋さや、侘、寂、に、つうー、と、はけられた、虹の彩り。
そして、私が手に出来る値がつけられています。
「く、くださいっ」

初備前焼を受け取り、にこにこ顏絶好調続行状態な私が、そのまま階段を目指そうとすると、一瞬の不思議な沈黙の後・・・。
「すみません、まだ」
「ぶああっ」
お代を支払っていませんでした。最後まで、見事なオバさん振りを発揮してしまったとです。

帰宅後、備前焼の小品が、居間のテーブルの上にあることの、静かな幸せが、私のこころに、滋味となって染みています。

私が、出逢ったのは、馬場隆志 さんという、若手備前作家の方でした。
一人でも多くの人に、備前焼に触れてほしい、という熱意と、なんていいますか、育ちの良さ、を感じました。

[みやこめっせ]で、もっとゆっくり時間をかけて、6人の若手備前焼作家の方々の作品を観れば良かった、とは、旅から日常に帰った今となっては、後の祭りな、初夏の真昼です。
by chaiyachaiya | 2013-06-12 13:08 | ねこの寝言
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