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ふみちゃこ部屋



長く伸びた鯉のぼりの影と、恐怖の逆さま雲梯

「豆腐、お願いね、おつりは、お駄賃だからね」
春の夕刻に、母から、小ぶりな、丸い木の取っ手の雪平鍋を手渡されると、もう、駄目でした。
お駄賃ニンジンが、目の前にぶら下げられようと、お気に入りの、銀色の細かいラメを含んだ、透明ピンクビニイル製の、魔法使いサリーちゃん顔付きサンダルを穿こうと、モチベーションは上がらないどころか、恐怖のあまり、からだ中の細胞のひとつひとつが、ヒクヒク回転したした後、ピシッと固まった感じにるのでした。

その手作り豆腐屋さんへは、二つのたどり着き方が、あります。
普通に住宅や商店の並ぶ車道傍の歩道を進み、豆腐屋さんの左手前の、井戸のあるお家の、ブルドッグ色の毛を持つ、でもブルドッグの顔はしていない中型犬に、鎖がピーンと張るまで飛び出され、吠えたてられ、車道に飛び逃げながら、を行き帰り耐え忍いで行くか、或いは、通っているカソリック系幼稚園の敷地を、裏の狭い門(まさに「狭き門」でした。)から抜けて、右側から、すっといくか。

「狭き門」から出でた方が、断然近道でしたし、のどかな草地に、[とき知らず]と大人達が呼んでいた花が、ランダムに地面を彩り、幼児の私にとって、本来であれば、迷わず選び取るべきコースでした。

けれど、四月の中盤から五月にかけてのコース選びは、葛藤と逡巡の限りを尽くさなければ到達出来ない、大きな問題を抱えていたのです。
・・・や、あのう、春になると、カソリック系幼稚園とはいえ、鯉のぼりを、ポールに掲げるので、私は、怖くて怖くて、しかも、裏門から入った後、その鯉のぼりポールの横を通らなければ、正門を抜けた通りに並ぶ豆腐屋さんへは、たどり着くことが出来なかったんです。

まさに、幼児には、地獄比べの相を呈した大問題でした。

考えた末、薄目を開けて、自分の足元だけを辛うじて視界のすべてとする遣り方で、自分と雪平鍋の平行を保ち、お使いミッションを成し遂げようと、その日私は、家を出ました。
多分、その使命をドラマチックに盛り上げるため、「家なき子」や「小公女」、「エルザと白鳥」に「青い鳥」、ついでに「マッチ売りの少女」も、ごちゃ混ぜに総動員し、悲壮な物語の道行きにキリリと表情を固め、ビニイルサンダルで、歩みを進めていった気がします。

「狭き門」を通過し、いよいよ、悪魔の巨魚のゾーンが近づいて来ました。薄目作戦、本格開始です。
「だいじょうぶ、ポール地点、おしまい」
念じながら歩いていた私は、はっ、と、ある盲点に気づかされました。
夕暮れ時は、すべての物の影が、長く伸びる、という理。
びろ〜んと、細長く巨大化した鯉のぼりの影が、オレンジ色に染まり始めた地面のうえに、何処までも踊っているように感じ、その恐ろしい影のダンスから抜け切るまでは、とても長い時間に思えました。
薄目を開けて地面を見下ろしながら行くよ作戦には、まだまだ改善が必要みたいでした。

「お〜い、◯◯ちゃん」
はっとして、声の方を向くと、卒園し、小学生になったお兄さんお姉さん、それから同じ年長のばら組(!?)の友達が数人づつ、園庭の遊具の鉄製アーチ型雲梯をひっくり返して、シーソーにしたり、ぶら下がったり、というワイルドな遊びに興じていました。
「◯◯ちゃん、こっち来て」
お兄さんお姉さんお友達が、皆んなでニコニコして、私を呼んでいます。
「はあい」
嬉しくなった私は、鯉のぼりの影からの解放感とともに、雪平鍋を振りながら、息を切らせて、皆んなのいる場所に走って行きました。
「目瞑って、此処に立ってみて」
お兄さんの声なのか、お姉さんなのか、同い年の子のそれなのか、思い出せないのは、きっと、その逆さ雲梯に集っていた、皆んなの気持ちで出来た音だったからかもしれません。
雪平鍋を足元に置いた私は、言われた通りの場所に移動し、目をしっかりと閉じました。
何度仕掛けられても、この次はきっと、心踊る、楽しいだけの遊びをくれる筈だと思う私は、幼児とはいえ、あまりの人間認識不足でした。
そして、次の瞬間です。
後頭部に衝撃が走りました。
何が起きたかは、すぐに理解出来ました。シーソーの反動がついた鉄の雲梯の横棒が、私の頭を直撃した、というわけです。
目を開けた時には、全員、全速力蜘蛛の子散らし状態でした。誰も戻ってはきません。

後頭部と心の両方の激しい痛みで、園庭で、ひとり、唯々、わんわん泣に続けました。
夕焼けも色を濃くし、屋根の上の十字架の影もまた、長く長く伸び、涙が落下した私の足の爪のあたりまで、届きそうでした。
鯉のぼりは、窄めた傘のように萎み、本体も影も、もう怖くはありません。

「あれ、◯◯ちゃんじゃないの」
尋常ではない幼児の泣き声に、出てきてくれた方がいました。
その声と、白い割烹着姿だけが、今でも記憶に残っています。

しゃくりあげながら、片手に空の雪平鍋、もう片方の手は、割烹着の小母さんと手を繋いで、家へと逆戻りとなりました。
きっと、ずっと何か話しかけられ、慰められていたんだと思います。
並んだ小肥りの小母さんと小さい私の影は、極まった夕陽の魔法によって、遠い世界のヒロイン達のように、ほっそりと神秘的に見え、なにか新しい物語りの始まりのようで、子どもの心は、ふうっと温められ、上向いていくのでした。
空っぽの雪平鍋については、この白い衣の守護女神さまと、私の泣き腫らした顔が、佳きように母をとりなしてくれるだろうと、勝手に安心して、私は、昭和の夕暮れを歩き続けました。
by chaiyachaiya | 2013-02-25 17:41 | ねこの寝言
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