最初の骨は、父の。
油分と水分と蛋白質(あ、一緒に並べて語るのは、物質工学上間違っているのだろうけれど、)が焼かれて、熱い骨になって、再び現れたあの瞬間。
途中、焼き上がり所要時間の半分を過ぎたあたりで、炉の小窓から、お菓子を投げ入れる。
棺の内側で焼かれつつある亡き人への、励ましの意味があるというのだが...。
その頃には、既に殆どの肉も脂も焼かれ、肋骨の伽藍が炎のなかに見えるだけなのだが、もしかして、なんらかの不具合、不測の事態により、まだ骨と呼べる状態でなかったら、と考え、ゾクリとしながら、私達は、立ち向かう。
焼きあがり、スライドして出て来た、骨となった父の姿に、一同がどよめいた。
癌細胞によって薄く溶けた背骨を補強していたものが、白い骨を禍々しく貫くように、灰床で黒く鈍く輝いて見えたのだ。
「こんなんが、背中に入ってたなんて」
その瞬間から、父は、参列者其々の背骨のなかに、幾許かは、移り住んでいるのかもしれないと感じる。
もうきっと、私の父でもなくて、背中を病んで死んでいった人達の、溜息が、私達の背骨のちょっとした空洞を、満たしているのかもしれない。
だからますます、骨粗鬆症の私の骨の隙間が増すと、その分、死の分量が、増すのだ。