本来アビシニアンは、日本猫と比べ、小顔で手脚が長く、人類に例えれば、エチオピア出身のモデルの如くの容姿なのだが、・・・諸般の事情とわたしの無知により、うちのアビシニアンは、つちのこか、凶悪化した際のカオナシのような体型になってしまった。
しかも、多頭飼いのストレスのためか、過度の毛繕いの結果、・・・ああ、多頭飼いは難しい、他品種とは無理、とアビシニアン本に記されていたのに、ロシアンブルーとペルシャを連れてきたわたしだ・・・アビの腹一帯の毛は失われ、贅肉は脚首まで垂れている。
それでも、アビはわたしの顔に、小顔を寄せて寛ぐ。あるいは、わたしの鼻先に、自身の尻の穴を寄せて開き、親愛の情を示してくれる。
猫に愛されるのも大変なことだと思うけれど、小動物に信頼される喜びは、わたしには、大切な生きる寄る辺だ。
小顔なアビの顔も、至近距離になると結構大きく、何か対等な感じがする。実際には、削り節のことしか思ってなくても、深い表情、顔つきなので、かなり哲学的、且つ、仏の知恵に満ちた考え、答えを、持っていそうに見える。
もはや、夫という感じがする。
少なくとも、来世でアビが人間になってか、わたしが猫になってか、・・・いや、アビはアビのまま、わたしもまたヒトのまま、アビのサイズが、にんげんレヴェルに大きくなるというのはどうだろう。なんだか、初源的なメルヘンを感じてしまう。
ピューマのように大きくなったアビシニアンにとって、人間のわたしは、飼い主でも仲間でも妻でもなく、捕食すべき獲物でしかないかも知れないけれど。