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ふみちゃこ部屋



冬の眠気でぼんやりしてきた。


 れいか、と打つと、最初に出てくると思っていた零下はなかなか見えず、麗華や麗花や麗香という、ファンタジーな、いや、キラキラした漢字が候補に並んでいて、吃驚した。
 
 このところ、ずっと気温が零下の日が続いていたせいか、暖気になったら、心身ゆるんでしまったのだろう。
 恐ろしく、眠い。

 眠たくて、いろんなことが、ちょっとどうでも良い、というのか、じっくり考えられない感じだ。
 
 と言いつつ、気がつくと、無駄なことを思っている。

「鬱ですよ、じっくりやっていきましょう」
「違う気分の時もあるんですね、それなら、欝じゃありません。双極性障害です」
「あんだは、トラウマなだけだ。カウンセリングだな」
「なんでもありませんよ。投薬も次回予約も要らないよ」
「もうあなた、ものを考えることもできてないでしょ」

 医師によって、見立ても病名も違っていたなぁ。

 幸い、なのか、そうでないのか、投薬されても薬を吐いてしまうので、飲めないで終わった。

「あなたはどうせお人好しだから」
「お母さんみたい、優しくて」
「あなた、皆が思ってるほど、いい人じゃないね」
「全然お人好しじゃないわよ。なに言ってるの」

 医師じゃない人からも、色々、表現をされたなぁ。

 多分、わたしだけに起きることじゃなくて、人は生きてる間に、幼少期から老年期の果てまで、頼んでも頼まなくても、様々言われちゃうんだろうなぁ。
 酷い目に遭ったり、遭わせたり、してしまうんだろうなぁ。
 それでも、気を取り直して、なんとか生きていくとは。
 眩暈がするくらい、人間は、生きものとして、強いのではないだろうか。

「蜜柑ね、あなたは」
「牛蒡だと思ってる」
「人参に決まってるじゃない」
「バナナだってこと、そろそろ自覚したらどうなの」
「いや、リンゴ及びバナナって線も捨て切れないと思う」

 段々もう、どのように言われても、なんでもいいわモードになってきた。

 冬の眠気が、有り難い。



# by chaiyachaiya | 2021-01-14 16:58 | ねこの寝言

ポチ顔のわたしと思い出のねこ顔。


 幼児の頃から断続的に、中年以降は二十年近く、猫と一緒に暮らしているというのに、猫の神秘や美が、すこしもわたしの見た目に影響をあたえず、きょとんとしたワンコのポチ顔のままなのが、不満だ。
 猫顔のゆく末が、鍋島家の化け猫タイプの老女になることだとしても、望むところだったのに。

「あなたの顔のチャームポイント、わかりますか。そのかわいい鼻ですよ」
 バーのカウンターで、隣の席の男性客に言われたのは、去年の秋の終わりだった。
「ぐえっ、ぎゃあ」
 生まれて初めて、好きではない自分の鼻を褒められたわたしは、著しく反応してしまった。
『あなた、頑張って下地ととのえ、上手くアイライン引いて雰囲気美人ねらっても、本来の、鼻穴丸見えのとぼけた顔は、ぼくには誤魔化しがききませんからね』
 と、言われた気がしたのだ。
 はい、美しく自由な猫ではなく、いつもご主人様の意向を気にしてる駄犬ポチでございます、と心のなか独りごちる。急に、もの凄い距離で飛躍して、卑屈になってしまうわたしだ。
 犬が嫌いではないのに、高校時代、古文の女教師から、授業の最中、唐突に、「あなたの顔、ワンコみたい。ポチっていう感じ」と言われたことを、いまだどこかで引き摺っているらしい。

 かといって、わたしが若い時分に出逢った猫顔は、必ずしも神秘と美に寄ったものではないのだが。
 
 ・・・二十代の初めに、猫を二十数匹飼っているという女性と、数時間一緒だったことがある。そのひとが住居で経営する喫茶店での、十人ちょっとの、緩いパーティに、職場の同僚に誘われて出掛けての、一度きりの縁だった。
 その猫多頭飼いの女主人とは、最初の挨拶の後、ほとんど会話せずに、帰ってきたと思う。
 彼女は、わたしの倍の年数は、生きている感じだった。頸から背中がこんもりと肉厚で、様々な和風の布を、無国籍風になるまで重ね縫い合わせたものを纏っていた。顔は、丸いが、顎はキュッと窄まっている。化粧は、アイラインだけ、しっかり上向きに、黒々と引いていた。長いウエーブヘアは、本来のものなのか、ソバージュと言われる髪型を放置した結果なのか、わからなかった。
 演出もあるが、いわゆる猫顔のひとつの典型だった。
 
 その猫顔の彼女の料理で、覚えているのは、漬物だけだ。
 キャベツや胡瓜や人蔘を、切らずに漬けたものが、テーブルにそのまま出ていた。
 とまどいながらも、皆で、手でもいで、食べた。とても、酸っぱかった。
 
 生き方や趣向が、見た目にくっきりとあらわれている年上の人物を前に、若く、気の弱いわたしは、押し黙ることしかできなかった。
 誰かに連れられて偶々そこにいるわたしもまた、彼女の興味を引きはしなかったらしい。
 女主人の全体から、猫の属性がにじんでいるのを感じながら、憧れには、繋がらなかった。
 それでも、太いアイラインの揺り籠に守られた、大きめの瞳がこちらを向くと、ドキリとした。

「ちょっと、あの漬物、ダイナミックが過ぎるでしょ、いくらなんでも」
「厨房の調理台の上に、外から帰った猫たちが自由にジャンプして、そこでなんでも作ってるのよ」
 などと、店から出た途端、お客たちに言われることが、わかっている眼だった。

 不思議なことに、二十数匹同じ館に棲んでいるはずの猫の姿を、一匹も、どうしても思い出せない。
 思い出そうと試みたら、漬物のほかに、おでんのような煮物のさつま揚げを、今、たち上る湯気と一緒に、三十数年ぶりで浮かべられたのに、猫たちの気配が、まったく見えない。鳴き声も、してこない。
 なんとか記憶のすじを遡ろうとすると、最寄り駅の近くの新しい猫カフェの猫の佇まいが、まったりと思い出の視界を塞いでしまう。

 まさかとは思うが、あの猫顔の女主人は、二十数匹の猫で構成されていた生きものだったのではあるまいか。

 誰もいない時間、彼女がクシャミでもすると、一気にその人間の姿が解けて、二十数匹の猫たちが、館の床に溢れ、ひしめいていたのではないか。




# by chaiyachaiya | 2021-01-12 14:30 | 淡町銀座の口塞ぎの家

彼女に彼女を紹介する。


 再び、きがねなく首都圏に移動して、これまで通り、海外からやってきた絵画などを、観られる時が、来るのだろうか。
 
 この頃は、以前絵画展の会場を出た後、何かが仕組んでくれたように出逢えた人たちの夢を、見るようになった。
 
 出逢いの後、年に一度か二度、地方からやって来るわたしと、いっとき、人生の時間を分かちあってくれた人たち。
 話の途中で、わたしが一度も洋行の経験がないと告げても、冷たくそっぽを向かなかった人々。
 
 おとといの朝方の夢で、始まったばかりの夕刻の時間に、わたしは、いた。
 ほの暗い、建物の一階にある硝子張りのラウンジの外には、雪が積もっていた。タッセルで纏められているのはボイルレースで、端にぼんぼりが並んで垂れている。
「なんだ、わたしの想像の限界じゃないか、これ、『舞踏会の手帖』のどこかのシーンからだな」
 自分が想える洋風なホテルのラウンジは、こうなのだな、と夢のなか、少しがっかりしていた。だから、細部をあらわに見られぬまま、これから夕刻が加速していくのだな。
 輪郭が茫洋として、見ようとしても、むずかしい。雰囲気だけで我慢しなさい、と言われているみたいだ。
 そこに、絵画展巡りの途中で知りあった女性の気配が、あった。ささやく声を聞いたと、思った。
 以前、彼女から、鮮やかな伊万里の皿に盛られた、多彩なスパイスの効いたチョコレートと、洋酒の組み合わせを楽しめるバーへ、案内してもらったことがある。
 
 今、その彼女は、わたしの夢のなか、グランドピアノの近くに見えている。
 でもグランドピアノは、液状化するか、ホログラム化しようか、迷っているふぜいで、ゆらゆら揺れはじめた。
 一気に怖くなった。

 彼女は、こちらに背を向け、そのグランドピアノの上に、伊万里ではなく、サロメがヨハネの首をのせたような銀の盆の上に、楽しげに、チョコレートの粒を並べている。
 グランドピアノが、しゃんとしているうちに、彼女をそこから引き離さなくては。
 グランドピアノがかたちを変える前に、わたしは、なにか、行動を起こすべきだ。
 
 けれど、このままのわたしでは、彼女を止められないらしい。

 おや。
 ラウンジの向こう端の窓際に、ひとりの女性が、こちらに背を向け、座っている。
 彼女と同じ、カジュアルなスーツの上着の背中だ。似た淡めのグレーに、ワイン色の細い線のチェック柄ではないだろうか。
「ああ、彼女に彼女を紹介しなくては」
 咄嗟に思いつく。

 しかし、窓際で背を向けている女性に、声を掛けようと歩きながら、既知の彼女と、これから紹介する彼女の違いが分からないことに気がつく。
 わたしは、彼女と同じ人物を、彼女に会わせようとしているのだろうか。
 それでも、彼女を彼女に紹介したら、彼女は、もしかしたら一体化し、こちらを向いてくれるのではと感じて、わたしは急いだ。

 いつものように、飼い猫のおはようアタックで、それは、中断されたのだが。



# by chaiyachaiya | 2021-01-09 14:56 | 淡町銀座の口塞ぎの家

手袋の雪。


 部屋の窓の向こうは、ごくわずかに霞んで見えている。 
 酷い寒波のせいで、雪が細かいのだ。
 窓ぎわまで行くと、これまで滅多に見たことなない、細い雪の粉が降っているのがわかる。
 陽に照らされずとも光って見える春雨のように見え、不思議だ。

 こういうパウダースノーの結晶は、どんな形をしているのだろう。

 幼い頃は、手袋の掌のうえに、幾度も、雪の結晶を見たものだった。

 祖母が編んだ手袋は、太い毛糸から成り、色は黄土色に赤茶、くすんだ緑に小豆色も混じり、形も色も、左右不対象で、親指も付け根がぱっくりと開いて、スースー冷たかった。誰かの着古したセーターをほぐしての、再生の手仕事という部分に、幼児ながら感謝の意をあらわしてはいたが、幼稚園児の嗜好からは、かけ離れていた。
 それでも、真っ白でちいちゃい、精巧なカタチの六角の結晶を思い出す度、背景として、その地味な彩りの掌が浮かぶ。
 いつしか、好きになれなかった手袋も含めて、懐かしく思い出してしまう。

 わたしは、父親の仕事の運搬車の窓で、ワイパーの上で、まずそれを見つけた。
 白くて小さくて完璧なもの。
「わぁ、ゆきのけっしょー」
 お客さんの家の前で、停車中に、車のドアを頑張って開け、手袋の手の上に、雪が落ちてくるのを待ちうける。
 ややあって、綺麗なのが舞い降りた。
 意外にすぐには溶けない。
 運転席の父さんに見せようと、ドアを思いっきり強く閉めた。自分で閉めたんだと思う。
 わたしは、どういう動きをしていたのか。今となっては、思い出せない。
 一瞬の後、わたしは「ぎゃあ」と声をあげていた。
 もう一方の手の親指が、ドアの前の方に挟まれていたのだ。
 慌てて自分でドアを開ける。
 激しく痛いけれど、指がもげていないことが、嬉しかった。
「ばーか」
 即座に、父が、吐き捨てた。
 本当は自分の味方だと思っていた父の意外な反応に、子どものわたしは、黙ってうつむき、雪の結晶をのせた片手のひらを、与願印の角度の浅い仏像のように、水平に保ち続けていた。
 泣きたくもあった。でも、涙は出てこない。

 手袋の濁り色の上に、雪の結晶はもう見えなかった。
 わたしの替わりに、涙に変身して、透明になった小さな身体に、きっと、わたしとわたしを取り巻く世界を映していたのだ。



# by chaiyachaiya | 2021-01-07 16:37 | 淡町銀座の口塞ぎの家

天と地の間に。

 
 絶対王者といわれるフィギュアスケートの青年が、大河ドラマ「天と地と」のテーマ曲でフリーを演じ、優勝した。
 王者であろうとなかろうと、ジャンプが抜けたり、転んだり、という可能性がある競技だ。
 その悲しい瞬間に、画面を通してではあるが、立ちあうのが嫌になり、ここ数年、ネットで速報を確認してから、YouTubeで観ている。

 大会の翌日、勝者の解説とともに、その演技を観た。
 衣装は、白に淡い水色、桜色。立体的に散りばめられた金色の糸や粒。紫の手袋。ベルトは静かに輝く紺。以前も似たような配色のものに身を包み、舞っていたと記憶しているが、今回の手間の掛かり方、意匠のめぐらせ方は、わたしには、夢のように美しく感じられた。
 
 なよやかでしなやかで芯の強い。演者の特徴をあらわす装束でリンクに立つ姿に、魅入られていたのだが。
 彼が幾つかのジャンプをこなした後、わたしの耳に、子どもの頃からなじみ、愛しんできた旋律が、嘘のように、ながれてきた。
 同じ冨田勲の作による「新平家物語」のテーマである。忙しく盛衰した平家の物語にふさわしい曲だった。子どものわたしは、初めて耳にした時、魂の芯ごと持っていかれた。
 おとなになってから、この曲が収録されたCDを手にし、仲代達也が平清盛を演じたDVDも求めた。
 曲のタイトルが、“無間地獄 諸行無常”とあるように、この曲を聴いては、盛りの時も衰えの時間も、ともにまぼろしの如く、記憶のなかで遠のいてゆく陶酔を得ていた。
 あきらめの早い子どもから、あきらめる以前に、すべてはまぼろし、うたかただと、身も心も萎えさせたまま、こころざしを抱かぬおとなになる人物の、魂の拠りどころの一曲だったのだ。

 しかし、「新平家物語」特有の、ほかの大河ドラマのテーマ曲のようには、闘いを想わせる昂揚感を持たない、むなしさの勝る調べのなか、絶対王者は、こう言った。
「ここはちょっと闘ってるシーンだったんですけど、自分の中では」

 若き絶対王者の感性に、わたしは、たじろいだ。

 栄枯盛衰の、枯れると衰えるにばかり心を沿わせ、では、盛りも栄達も要らぬぞ、むなしいだけじゃ、と俯瞰したつもりになり、悄然と生きてきた気がする。
 
 書いているうちに、絶対王者の曲のとらえ方は、彼の若さや負けず嫌いの性質からだけではなく、俯瞰の場所の違いにもあるように思えてきた。
 
 むしろ、老女のわたしより、若き王者の方が、高みから俯瞰し、時空の巨きな視座から、栄枯盛衰をのみこんで、演技していたのかもしれない。

 などと、考えるのだった。




# by chaiyachaiya | 2021-01-06 14:41 | 淡町銀座の口塞ぎの家


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